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宇宙人と結婚して壊れたわたしのはなし

この時はまだ人間だった


そう。
あれは20年前。
私は大好きな人と結婚した。
高校生の時からの付き合いだった。
授業が終わると、日がくれるまでボールを追いかけていたサッカー部の彼はそのときは確かに人間だったはず。
真っ黒に日焼けして、サッカーをし、数学を教えてくれたこともあった。
彼女に困った様子をみたことがない。
いわゆる、モテ男だ。
その彼の「彼女」になれたのだ。
周りの友人には、「やめといた方がいいよ〰️」と言われたこともあるが、
うっひょひょ〰️い!と喜んでいた私の耳には届かなかった・・。
今となっては、耳をかっぽじって真剣にそのアドバイスを聞いとけば良かったのかもしれない。
が、後の祭りである。

当の私はテニス部だった。
これまた日に焼けて真っ黒だった。
そして、昭和世代、現代のようなメイクをしたおしゃれな高校生ではまったくなかった。
スッピンで眉毛なし。
それでも元気ハツラツオロナミンCな毎日を過ごしていた。

そんな2人が付き合いをスタート。
高校では勉強も部活も頑張り、それぞれ違う道へ進学。それでもお付き合いは円満に続き、短大を卒業し、私は社会人になった。
彼はまだ大学生。
モテ男は遊びたい盛り。
飲みに行き、朝までオールし、友達との時間を楽しんでいた。
もちろん、私はわたしで自分の時間を楽しく、友達と過ごしていた。

まず、ここで大きく違うことは
「相手の嫌がることをしない」わたし
                             と
「今がたのしけりゃそれでいいのさ♪」の彼

友達も家族も大切だけれど、彼のことももちろん大事だ。むやみに傷つける気は毛頭ない。
彼がいるのに他の男の人と朝まで一緒にいたりなんてことはしなかったし、コンパも参加しなかった。(単純に門限もあり、お酒も弱く、楽しめなかったのもあるが。。)

でも、彼は朝まで女の子といっしょにいるなんてこともざらにあったし、コンパも参加していたんだろう。
デートの約束をドタキャンされることもあった。
待ち合わせの時間になってもこない。
電話をするとまだ寝ている・・なんてことが普通にある。
デートはずーっと割り勘。サプライズもあるわけがない。
高校生のころ、わたしへの誕生日プレゼント!と嬉しそうに持ってきてくれたものは、自分の幼少期からの写真を集めた成長記録かと思うようなアルバムと図工で作ったような木彫りの時計だった・・・。もう記憶があやふやだが、強烈なインパクトがあったのは確かである。

この時点で、そろそろ人間性に気づいても良かったはず。

でも、この時はまだまだ人間らしかった。
だから、なんとなく憎めずに付き合いを続けていた。

そんなある日、
「他に好きな子ができた」と言われた。
とつぜんに。。

門限もあり、厳しかった我が家。

朝まで一緒に過ごせる女の子といる方がそりゃあ、楽しかったのだろう。

ショックだった。

「その子のことも好きやし、あなたのことも好きやねん。」と、さらに続ける彼。

なんじゃそりゃ。
たぶんこのあたりから宇宙人の片鱗はでていたのかもしれない。

こりゃダメだな。とお別れをした。

そして、傷心のわたしは泣きながら彼からもらった歴代のプレゼントを近所の粗大ごみ置き場に引きずりながら運んだ。
人目を忍んで真っ暗な夜に・・。
木彫りの時計、海ガメのぬいぐるみ、巨大なペンギンのぬいぐるみ・・。

「朝まで一緒に過ごせる女の子の方がいいんだってさ!」とわんわんと泣きながらぬいぐるみたちをごみ置き場に運ぶ娘の背中を見ながら、母親は「門限をゆるめてやろうか・・」と思ったらしい。

別れてから1年後、また再会することになった。
朝まで一緒に遊んでいた彼女とうまくいかなかったようだ。
私もその後、恋愛をしたけれどうまくいかなかった。

大学を卒業し、はじめてみる社会人になった彼のスーツ姿にまたコロリとやられてしまい、再び付き合うことになった。
でも、もうその頃は結婚適齢期といわれる年齢だった。
よりを戻すなら結婚を前提とした真剣なお付き合いを。と、結婚に憧れていた私は考えていた。
そのことを伝えると、彼も納得してくれた。

高校から付き合い、別れ、また復縁し、それから数年後プロポーズされた。

私はこの時、幸せの絶頂期だった。

つづく。。

私だけが宇宙人にまだ気づかず・・


プロポーズされて幸せの絶頂期だった。
大好きな彼からプロポーズされたからしあわせだったのか。
もちろん!
あたりまえである。
でも、他にも理由があった。

簡単に説明すると、我が家が厳しすぎた。
高校生の時は門限が5時だった。(彼とのデートの場合の門限である。)
学校がある時はもちろん一緒に帰るだけで終わる。
土日にデートするとなると、5時には帰らないといけないので逆算すると
1時間か2時間前には現地を出なければならない。
すると、夕飯を一緒にたべるというデートは皆無になる。
それでもデートは楽しかった。

高校を卒業してから門限は少し緩まるものの、夜にデートした記憶はほぼない。
今思うと、どうしてそんなに門限をしっかりまもっていたのか自分で不思議である。
いやな顔をされたり、叱られたりするくらいなら、守っていた方が生活が脅かされずストレスもない。
それでもデートしたい場合、どうするか。
昨今の育児書には必ず書いてあることだ。
「うそをつくようになる。」のである。

「友達と出かけてくる」といえば少し遅くなっても大丈夫。

でも、幼少期からの家庭の刷り込みはあなどれない。
嘘をついているという「罪悪感」から、デートを楽しめず胃痛を起こす体質になってしまった。真面目な性格が災いしたのであろう。

夜景の見えるレストランでディナーしたり、彼と旅行したり、日帰りの遠出のデートは憧れだった。

それができないままにプロポーズされたのだ。

おわかりだろうか。。。

そう!結婚したあかつきには、彼と朝まで一緒にすごせて、旅行もいけて、
好きなところに時間を気にせず行けるのである。
晩御飯も一緒にたべれる!

・・・そんなこんなでしあわせの絶頂期だったわけなんです。

彼もよくこんな門限につきあってくれたなと、この時は感謝の気持ちでいっぱいだったのを覚えている。

この時のことを、20年経ったころ、母親と話をしたことがある。

「あのころの門限5時って、なんにもできんかったわ。あの門限や厳しさはなんやったん?」と。
もちろん、わたしのことを心配し、大事に想ってくれて、愛されていたのは重々承知しているし、そういう返しがくるだろうなと予想していた。

「自分の娘が恋愛するとはおもってなかったんよ。」

・・・。

はて❔(・・?)
なにかの聞き間違いか?
どうしたらそんな思考になるんだ?
自分も恋愛結婚したんだろう?
産まれた時に「わたしは恋愛しません。」と宣言でもしたっけ?
おバカなのか?真剣なのか?
毒親なのか?ちがうのか?

などと、走馬灯のようにそのことばを聞きながら考えていた。

幼少期、物心ついたときから家にお手伝いさんがいた母はお嬢様だった。
そのとんちんかんな発想も妙に納得できる。

まあ、いっか。。
あの頃の時間はもう戻らない。

プロポーズされたんだから十分これから楽しめる。
明るく笑顔の絶えない家族を作ろうと若かりしわたしはウキウキしていた。

プロポーズを受けてから、彼と結婚式に向けて貯金をしようという話になった。
それなりにいいお給料をもらっていたはずの彼には貯金がなかったことが判明。
なぜだ?と頭をよぎったものの、一人暮らしをしているから色々とお金がかかるんだろうなと自分を納得させて、目標にむけてこれから貯金していこうと前向きにスタートした。

いつでも前向き、人を疑うことを知らず、愛情いっぱいのわたしはこれから待ち受けているどん底の苦労をこの時は想像すらしていなかった。

結局、目標額に到達する前に結婚することになり、不足分は全部私の貯金からまかなうことになる。
結婚前、父親がおもむろに「彼に借金がないか確認せなあかんよ。」と声をかけてきた。いい人でも、すてきな人でも結婚してから色々としらないことがでてくると苦労するからね。と。

そこで、彼にちゃんと確認した。
「借金はない?」と。

「ないよ。」と彼。

ここでよく考えてみよう。(考えなくてもわかるよ!という突っ込みはなしにしてほしい。)

「借金してる?」と聞かれて、
「うん、してる!」と馬鹿正直に答えるひとがいるだろうか。
「浮気してる?」「二股してる?」ときかれて「うん、してる!」と
答えるひとがいないのとおなじである。

若かった私は、「ないよ。」という彼の笑顔を信じてしまった。

父親は「探偵をつかってもいいんやで。」と念押ししてきた。
結婚に反対しているわけではない。大事な娘が嫁いでから苦労するのは耐え難い。という気持ちだったのだろう。今ならわかる。

でもその当時は、「好きな人を疑うような真似はできない。」とその申し出を断ってしまった。

父親の第六感というのか、ふとおりてきた直感だったのか。
まだまだ子どもだった私の未熟さ。
恋は盲目。人の助言も耳に入らず。父の愛にも気づかず・・。

100%信じ切っていた私は、能天気に幸せを感じながら
結婚し、新たな生活をスタートさせたのだった。

つづく。。

結婚・・からの宇宙人との遭遇


結婚してからは毎日楽しく、穏やかに過ごしていた。
彼も私も平日は仕事をし、土日はのんびりと。。

ただひとつ、彼には、趣味のひとつにパチンコがあった。
学生の頃から続けていたサッカーはもちろん、スノボーも好きだった。
釣りも好き。映画もよく一緒に観ていた。
明るく元気な彼の趣味のひとつがパチンコ。
そんな認識だった。
「悪」でもなんでもかった。

どうして「悪」ではなかったのか。

私が小学生の頃、大きな休みには必ず遠方の母方の祖父母の家に帰省していた。
そう、あのお手伝いさんのいる大きな家だ。庭には池があり、鯉が泳いでいた。
かめもいたなあ・・
なんてことは置いといて・・

午後2時ごろになると、仕事の合間の休憩なのか、おもむろにおじいちゃんが動き出す。
パリッとした真っ白なワイシャツに袖を通し、ゴールドの腕時計をカチャッとはめる。そして出かけていく。

1時間後くらいにふらりと帰ってくる。

随分と時が経ってから、母親に聞いたことがあった。
「おじいちゃんはいつもどこに行ってたの?」と。
その時に初めて「パチンコ」ということばを知ったような気がする。

帰ってきたときにいつもお菓子をくれたな。と懐かしく、
パチンコとは、趣味のひとつで、紳士のたしなみなんだと勝手に意識の中に定着していた。

だから、彼の趣味にパチンコがあっても、咎める必要もなく、
なんなら彼の大事な趣味を結婚したことで奪ってしまうことはよくないと、
気持ちよく「いってらっしゃい」と送り出していた。

でも、なんだか様子が違うことに気が付いた。
おじいちゃんはさらりとでかけて、さらりと帰ってきていた。
彼は朝から出かけると日が暮れても帰ってこなかった。

ふむ・・・。(-""-;)
付き合っている時にはわからなかった顔がでてきたな。
よくよく話を聞くと、彼の両親もパチンコが趣味とのこと。
朝の開店と同時に店に入り、外が暗くなったころに帰ってくる。

付き合っていた頃、彼の家に寄ったとき、玄関からキッチンがみえた。
部屋は真っ暗で、テーブルの上に、買い置きのスーパーのお弁当がみえたのを思い出す。
「今日はお母さんはお出かけ?」と聞くと、「パチンコ」とぼそっと答えていた。
パチンコって一日中するもんなの?とここで初めて疑問を抱いた。

そういえば、こんなこともあった。
結婚前に義母に「ごはんでも一緒に食べに行こうか✨」と誘われたことがあった。
約束の時間が近づいてきた。
彼が電話をすると、受話器の向こう側からなにやら賑やかな音が響いていた。
一言、二言話しをし、電話を切った。
「食事はまた今度でお願いやって。たぶん、フィーバーしてるんちゃうかな。」と。

今思えば、結婚前に気づくべきチャンスもポイントもあったのだ。
探偵を雇わずとも、
あちこちにキラキラとダイヤモンドのように「気づけよ〰️‼️」と私にむかっ光輝いていたのだ。
あぁ・・・神様❗️ごめんなさい。

ん?( -_・)?となるコンマ1秒の瞬間がありながらも、結婚生活は普通に、楽しく過ぎていた。

結婚から1年後、娘を授かり出産。
初めての出産と育児にてんやわんやしながらもサイコーにhappyな毎日だった。

そして時は過ぎ、娘が幼稚園にいっていたある日の昼下がり。

娘が産まれてからコツコツ貯めていた貯金を封筒に入れて自宅で保管していた。銀行の口座に入れる少しの間だけのことだった。
それでも、日にちと金額をメモして、確認はしていた。
でも、ある日、五万円ほど足りないことが判明。何度数えても、メモを確認しても足りない・・。

なんでだ??となる。
彼に確認してみた。
「知らないよ。もちろん、使ったりもしてないよ。」とのへんじ。
(最初に戻るが、お金をくすねた奴が「おぅ!俺がくすねたぜ♪」なんて言うわけがないのだ)

そして、警察官の友人にもメールをしてみた。

「タンス貯金がなくなってるねん。泥棒かな?」と。
ほどなくして返信がきた。
「荒らされた形跡はある?ないなら、まずは家族が使ってないかを確認するかな。」と。

なぁ~に言ってんだい❗️旦那がお金をとったとでもいうのかい❓️
チャンチャラおかしいぜ❗️(笑)❗️

と、絶対的信用をしていた私はまたもやここで友人のことばをスルーしてしまった。

チャンチャラおかしいのはお前だ・・と自分を殴ってやりたい。

結局この件はうやむやにおわってしまった。

その後、息子を身ごもり、娘が小学校に入学するタイミングで一戸建てに引っ越しをした。

切迫早産での緊急入院を乗り越えて、無事に二人目を出産。家族4人になった。

家族4人でお出かけできるようにとワンボックスカーにも乗り換えた。
きちんと計画性をもち、考えて決めたことだ。

新居に遊びにきた義母は、笑顔で過ごした後に、
「こんな大きな車まで買って、どこにそんなお金があるの。。」という謎のコトバを残して帰っていった。

もうこのときすでに、彼は宇宙人に半分変身していた。
いや、もうすでに宇宙人だったはず。
その宇宙人の母親と父親もやはり、宇宙人だったのだ・・。

つづく。。

宇宙人に敗れる・・


娘の貯金から数万円がなくなる事件から数年後・・。
息子は首がすわる月齢になった。可愛くて仕方ないほどだ。
さて、息子を早めのシャワーにいれてあげようかとお湯をひねるとお湯がでてこない。。

ん?(-_-;)
なぜに?水しかでてこない?
電気代も水道代も毎月支払っているはず。

出産と育児で忙しく、光熱費の支払いは会社にいくときのついでに彼にいつもコンビニで支払ってもらっていた。
お金はきちんと渡してある。

いつものごとく、彼に聞いてみた。
「お湯がでないんやけど。。」

「あれ?ちゃんと支払ってるよ?確認してみる!」と彼。

電気や水道がとめられるなんてことが起こるとは夢にも思っていないわたし。
そして、この時もまだ彼を疑うということを知らないおバカなわたし。

でもこの頃から、宇宙人からの怒涛のような攻撃は始まっていた。

電気代や水道代の督促のハガキがちらほらと届くようになる。
色々な郵便物に混ざって、一枚のはがきに目がとまる。
消費者金融からの督促だった。
3桁の額だった。

彼にまた尋ねる。「はがきが届いてるけど・・」と。

「こんなん知らんわ。なにかの間違いちゃうか。」との返事。

子どもも2人いる。家事も育児も手伝ってくれている。そんな彼がそう言うのだから間違いなんだろう。

ハガキに書いてあった連絡先に電話をかける。「なにかの間違いではないでしょうか」と。
今思えば、なんにも知らない哀れな奥さんに映っただろうと思う。

信じたい気持ちとは裏腹に、なにかがおかしい。という疑念が上回ってきた。

結婚した時に、老後の貯えになるだろうとふたりで決めた養老保険の解約通知書が届く。
子どもが生まれた時に作った貯蓄型保険の一時使用金のお知らせのハガキが届く。

さらに、ある日、会社でトラブルがあったから、今すぐお金を用立てしないといけなくなった。と彼から連絡があった。
彼は、某有名不動産会社に勤めていた。物件のオーナーさんや家主さんが困っているから立替をしたいというものだった。
最初、それは大変とお金を用意した。

二回目に頼まれたときには、会社の仕組みがおかしいのでは?なぜ個人が、一社員が自腹でたてかえないといけないのかと感じ、彼を問い詰めてみた。

全て白状した。ぜ~んぶ嘘だった。

スロットをするために消費者金融で借金をし、その補填を生活費でまかなうようになり、親に借り、親戚に借り、それはもう悪循環。
自転車操業だったのだ。
彼の両親は、私には内緒にするようにと最初から共犯だった。くれぐれもばれないようにと。甘やかし、お金を渡していた。

だからだったのか・・引っ越しをし、車を買い替えた時、義母はしっていたのだ。息子が借金まみれだったことに。
「こんな大きな車を買って・・」の言葉の中に、(息子にお金なんてないのに・・)という気持ちが含まれていたのだ。

こども2人はまだ小さい。父親の存在も必要だろう。
話し合いの末、借金を返済しながら頑張っていこうとなった。

でもこの宇宙人はうそを平気でつくのだ。
ギャンブル依存症はうそに罪悪感を抱かなくなるらしい。

念のため、銀行や保険会社に連絡をした。
事情を話し、彼から解約やお金の引き出しの申し出があった場合、断るなり、私に連絡してほしいと頼んだ。
しかし、あっさりと断られる。
契約者本人の申し出を断る理由がないからだ。
電話で督促があると、どのような内容でしょうか。彼に伝えておきますので。と対応しても、「契約者ご本人様にしか内容をお話することができないんです。」の一言で終わってしまう。
彼が悪さをしても、家族であり、妻の立場であってもなにも教えてもらえないという現実に打ちのめされていた。

まだ幼稚園の娘と、ハイハイができるようになったばかりの息子を守るためしっかりしなければと、こどもたちの前では笑顔で生活していた。
もう一度やり直すんだから。
借金を返済すればまた未来は明るくなる!と結構前向きな私だった。

頭では前向きだった私に異変が訪れた。
郵便物を取りに玄関のポストの前にいくと胸が苦しくなった。
どくんどくんと心臓がすごい音をたてている。口から出てくるんじゃないかと思ったほどだ。何かがせりあがってくる。
電話のコールがなると、また心臓が音をたてる。
深呼吸しようとしても空気がはいってこない。

友人に電話をしてみた。
「息が苦しいんやけどなんでやろうか・・・」
全てを相談して事情を知っていた友人が一言。
「それはパニック障害やな。大丈夫。過呼吸にならないようにゆっくりと鼻から吸うんやで。大丈夫。」

今の私がいるのは友人と家族の支えがあったからだ。
同じように苦しんでいる人がいるかもしれない。
ひとりで抱えずに、近くにいる人に助けてを求めてほしい。

こどもがいるから・・
家族なんだから・・
大人なんだから・・
仕事もしてるし社会人なんだから常識をもっているだろう・・

なんていうこちらのおもいは全く通用しないのだ。

逆に、
宇宙人たちに囲まれて生活し、彼らのうそや主張を繰り返し聞いていると
私が悪かったのかな?などと自分を責めだしてしまい、とんでもないところに連れていかれてしまう。
あぶないのだ。危険極まりない。

つづく。。

悪事は続くよどこまでも・・・

スロットによる消費者金融の借金、
公共料金の未払い
各保険の使いだしや勝手な解約
貯金からの不正使用・・・
ここまでで、しめて数百万の借金や損失。。

すごい額である。
それでも、こどもたちを守るという使命感から家族としてなんとか立て直そうと必死だった。

ある日、息子名義の通帳がなくなった。
産まれてからこつこつ貯めてきたものだ。
あちこち探しても見つからない。
彼に相談した。

「えっ!通帳がないの?」と
一緒になって探してくれた。タンスの裏やいろんな引き出しを隅から隅まで。カードもないので悪用されては困ると、一緒に郵便局まできて再発行手続きまでしてくれた。

数日後、なんとなくざわざわしたものがあった。

彼のバイクのメットインをこっそりあけてみた。
そこに息子の通帳が入っていた。

この瞬間、恐怖を覚えた。怖かった。
通帳を開くと30万引き出されていた。
泥棒だ・・・私は泥棒と生活を共にしているんだ。という恐怖。
家族で旅行に行くためにへそくりしていたお金もなくなっていた。
もうだめだ。と。悟った瞬間だった。(気づくのおそいよ~!というつっこみが聞こえてきそうだが・・)

土下座する彼にうちをでていくように言った。

そうして別居生活がスタートした。
息子が5歳、娘が9歳の時だ。借金がわかって4年後のことだった。

宇宙人は平気で土下座をする。念書を書くのも、拇印をおすのも平気。
何をしでかしたかわかっていない。
どれほど相手を傷つけたのかもわかっていない。
義父も義母も同じなのである。
私に内緒にするようにと息子が借金をつくるたびにお金をわたし、自分たちもパチンコを楽しんでいる。
私にばれた途端に、「趣味の範囲でじぶんたちは楽しんでいるから何も悪くない。もう払うお金はないから、あとは頼むよ。こんなバカな息子でもかわいいのよ。」
と、わけのわからない言い訳を普通のかおで言っていた。
恐るべし宇宙人ファミリー。
さらに恐ろしいのは、宇宙人の妹だ。

電話をかけてきて、「お兄ちゃんの借金をお母さんが払うのはかわいそうやから、あなたの友達にでも頼んで払ってもらってよ。」と。

(。´・ω・)ん?
新たな宇宙人もでてきたぞ。私が悪いことしたんだっけ?

「借金を抱えてるのに、こどもに習い事をさせてるなんて贅沢~」

(。´・ω・)ん?
こどもたちがなにか悪さでもしたっけ?
この習い事の費用は私が払っているんだが。。

というか、この宇宙人ファミリーは相手に申し訳ないとか、
相手を思いやる精神というものをもちあわせていないのだろうか・・

この電話を受けている私の後ろで、当の宇宙人はテレビを観ながら笑っていたのだ。
宇宙人に失礼かなと書きながらふと思う。
泥棒だった。宇宙人に申し訳ない。

月日が経ち・・(別居していてもこの泥棒はなにかとやらかしてくれるのだがこれはまたべつの機会にと思う。)

娘は中学3年生となり、必死に勉強し、第一希望の高校に見事合格した✨
本当によくがんばった。家庭の経済的事情で塾に満足に行かせることができなかったなかでの合格だった。

合格発表当日は、(別居していたけれど)彼も父親として参加していた。
一緒に喜び、私にも
「おつかれさまでした。ありがとう。」と珍しくまともな言葉をかけてくれた。

合格が決まれば、入学金・教材費・制服や体操服費・電子辞書購入など数十万円が必要になる。
義母が娘が生まれた時からこつこつと積み立ててくれていた学資保険を使う予定だった。
義母は息子(宇宙人)の名義で作ったと言っていた。
そらそうだ。息子に赤ちゃんが生まれたらそうするのは自然な流れである。

100万の積立金。
20万は今回の入学支度金に使うとして、残りのお金は娘がさらにこれから進学するであろう大学や専門学校の費用としておいておこうと彼と相談し決定した。

そして、20万を手続きしてもらった。
彼の名義なので彼しか手続きすることができなかった。でも、信用できなかったため、義母も同席して手続きをしてねとふたりに頼んだのを覚えている。
「はい。わかったよ。」という返事を信じて20万円を受け取った。

後日・・・。
学資保険が満額解約されているということがわかった。
みなさん、お気付きであろう・・

入学支度金を引き出したときに、全部解約したのだ。義母は同席していなかった。
残りの80万はどこに消えたのか・・
義母はあたまを抱えていた。
泣きながらこう言った。
「バカむすこでごめんね。でもかわいいのよ。」と。

あいた口がふさがらないというのはこういうことなんだなと
実感した。

当の泥棒はさらあ~っとした顔をしている
この時、初めて殺意が芽生えた。
全く悪びれる様子もない。
「大学進学のときは奨学金制度があるやん」
と言ってのけたのである。

ひそかに、すぐ手の届くところにかなづちを用意していたわたしも壊れていたのだろう。
でも、思いとどまった。
こどもたちがいる。守り、育てなければいけない。
ふたりの未来を奪うわけにはいかない。

そして、離婚した。

宇宙人と離れた今も、現在進行形で心と体の不調と闘っている。
負のエネルギーやストレスは本当に体を痛めてしまう。
心と体は繋がっていると痛感する毎日。

養育費などの支払いも終わり、本当の意味で宇宙人との繋がりが切れた時に
私の体や心は痛みから解放されるのかもしれない。












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