見出し画像

40年ぶりの挑戦〜イタリア歌曲をステージで歌う〜

大学の卒業記念コンサートで1人で歌って以来、40年経ってしまった。教員時代は声の使い過ぎのためなのか、高い声が出なくなっていた。そのため、以前歌っていた声楽曲を歌うことはもう無理であろうと、私はすっかり諦めていた。

そんな折にYouTubeで小玉 晃先生の発声メソッドに出会った。それは今までの教えとは180度違うといっても過言ではない。その発声法を試すと、声域が広がって「また歌えるかもしれない」と自分の可能性が感じられた。まるで希望の光を見出したようにうれしくなった私は、1年半前からオンラインで月1回、その先生のプライベートレッスンを受けるようになった。

4月13日土曜日京都の紫明会館で、先生の発声法を学んでいる人のサロンコンサートが開かれることになった。参加すると決めた1月以来、私は月1回のレッスン2回に増やしてイタリア歌曲の練習を続けた。曲はIntorno all’idol  mio (私の偶像の回りに)である。西暦1600年代前半に作曲されたから、日本で言うと江戸幕府ができた頃の曲の古典である。

イタリア歌曲は、声楽を学ぶものが入門期に必ず歌う曲のジャンルである。私は大学時代あまりイタリア歌曲の魅力がわからなかった。シンプルで素朴なメロディーも多い。だが、歳をとってくると、そのストレートな美しさが、素敵に思えてくる。

小玉先生はウイーン国立音楽大学で学ばれているので、昨年まで練習していたドイツ歌曲では、本物のドイツ語の発音を求められた。それがなかなかうまくいかない私は、選曲の際にイタリア語だったら良いのではと、半ば“逃げ”の気持ちで曲を探した。イタリア語の発音の方が楽であろうと…

〜イタリア語の対訳等の資料〜

🎵 イタリアのメゾ・ソプラノ歌手 チェチーリア・バリトリの演奏

練習が始まってから、私は大きな間違いに気づいた。問題は言語でなかったことを。イタリア語の方が、日本人にとって発音しやすいだけに、日本語的な平べったい発声になりやすい。私の課題は言葉ではなく、声の出し方の問題だったのだ。またイタリア歌曲を古典と考えて、平板な歌い方になってしまっていた。
しかし、当時は最先端であり、情感豊かなものだったと先生から教えていただいた。認識の違いは大きく表現に影響する。また現在楽譜に載っている伴奏は、後から作られたもので、当時はもっと即興的で枠を感じさせない自由なものだったということも知った。先生の話を聞いて、私はドイツ歌曲よりも場合によっては、もっと難しいものを選んだことに気づいた。

参考音源にしているバリトリの歌を聞かれるとわかるが、この曲にはトリルが多い。隣り合った音を震わすように表現するのだが、私はどうしても1つ1つの音でとらえてしまっていた。先生からの指導は言葉に応じて、「ここは(そよ風)だから、風の吹く様子を想像してごらん。ここは(愛)だから、心の揺れを感じてごらん」という内面に根ざしたものだった。『速くたくさんドリルを入れたい。なかなかうまくできない』など、技術面ばかり考えていた私は、まるで雷に打たれたように感じた。

コンサート当日は朝からリハーサルがあるので、金曜日に京都に行ったが、京都駅に降り立った途端、あまりの人の多さにびっくりした。90%以上が外国人の観光客の方で、大きなスーツケースを持っているので、出口に向かう道が完全にふさがっている。私の利用した『のぞみ』も臨時列車だった。新幹線を待つ人が、長蛇の列をなしていた。

今回利用したホテル『リーガロイヤルホテル京都』は1ヵ月以上前に予約したのだが、残室がたったの2部屋だった。私は完全に出遅れていたことに気づいていなかった。春の京都の人気の高さや外国人観光客の多さは知っていたつもりだったが、それは予想をはるかに超えていた。そして残っていた部屋は、私の考えたものよりはるかに高いプレミアムクラスのダブルルームだった。

お部屋の様子

翌日がコンサートなので、あまり疲れを残したくなかった。14時からチェックインできたので、ちょっとお部屋でゆっくりした後、近くの西本願寺まで散策しようと出かけた。はじめは、ホテルのパンフレットで見つけた15時半から始まる西本願寺の「お坊さんによる境内案内」に行くつもりだったが翌日の朝のタクシーを予約しているうちに、時間が過ぎてしまった。仕方がないので自分でゆっくり回ることにした。

西本願寺の場所を頭に入れて歩き始めたが、すれ違う人が全部外国の方なので、まるで自分がよその国に行ったようだった。そしてこの日から昼間の気温が25度近くになり、陽射しもとても強くなった。お寺に着いたら、思いのほか人が少ない。なんと西本願寺隣の 本願寺と深い関係のある『興正寺』(こうしょうじ)という違う寺に入っていた。祖父が寺の四男だったので、『お西さん』に行こうと思っていたが、迷い込んだ興正寺にご縁があるのかもしれない。


興正寺 御影堂


聖徳太子の実績にちなみ「正しい法を興しさかえさす」という意味が
こめられている。また 親鸞聖人と伝えられる木像が安置されていた。

コンサート当日 リハーサルのため会場に着くことを考え、6時半から始まるビュッフェ形式のレストランに開始早々行ったら、欧米の方達が長蛇の列を作っていた。8時半からホテル内の美容室の予約をしてるので、1回目で入れないと間に合わない。10分ほど外で待っていたが、どうにかレストランに入ることができた。だが、人が多くお皿までたどり着けない。そのため人数の少ない和食を組み合わせながら自分で和定食を作った。野菜の炊き合わせもカツオの出汁が効いていて、とてもおいしかった。いろいろな漬物も発酵食品なので体に良さそうだ。

ホテルからタクシーに乗るのは、当初9時15分と考えていた。ところが観光客も多いので、「9時10分に出発しないとリハーサルに間に合わない。」と言われた。
美容室は8時半からなのだが、事情を話すと、8時25分から対応できるとのこと。5分の時間も大切だ。前日にタクシーの出発時刻を伝えておいたので、2人がかりで髪を乾かしたり、ホットカーラーで巻いたりしてくれた。

ふだんは、髪に無頓着な私が美容室を利用したのは、ステージでの発表のために購入した薔薇の模様が浮き上がる深い赤のドレスのためだ。これまでは人目を気にして、派手な色を選んだこともなかった。でも今回はステージで歌うから特別だ。還暦祝いも退職祝いも、コロナの影響でできなかった私は、自分へのご褒美としてこのコンサート出場を決めたのだから。

紫明会館は、昭和7年に建てられた風情ある洋館である。タクシーで着いた会場は
朝の光を浴びてとてもきれいだった。早めに到着したが、十分に発声練習ができないままリハーサルが始まった。朝早いためか、声が響いていないように感じた。お客さんにどのように聞こえるかが全くわからない。

紫明会館の正面

午前中は発声練習や体操をしたり、他の方の表現と先生のアドバイスを聴いたりいて瞬く間に過ぎていった。早めのお昼ご飯を食べ、自分の本番である。1時40分
に向けて気分を高めていった。

本番では、一切のことが頭から消え去った。手が震えてきて、深い息ができるように背中を伸ばして歌うことで精一杯だった。3分半と言うのは、長いようなまた短いような不思議な長さだった。たくさんの方が私の歌う様子をカメラで撮ってくださったのがありがたかった。歌う人は、年齢層もバラバラであるが、自分の選んだ曲を、ひたむきに歌う姿に胸がいっぱいになった。特に80歳を超えた方が、高い声で美しく歌われたのには驚いた。「小玉メソッド」は老若男女に有効だということがわかった。ずっと歌を続けられたらどんなに楽しいことだろう。
先生曰く「100回人前で歌ったら、自分の表現で歌えるようになる」私はたった2回だ。思うように歌えるわけがない。そう考えると気が楽になる。

何も考える余裕がなかった本番
(後で、先生にそのことをお伝えしたら、何も考えていないことがかえってよかったと)

打ち上げは、お庭も美しい「がんこ高瀬川二条苑」だった。初めて会う方がほとんどなのに、先生のレッスンを受けている仲間なので、すぐに打ち解けて楽しい時間を過ごせた。次回のコンサートは、8月10日 会場は神戸だが、「ぜひまた一緒に出ましょう」と誘われた。

がんこのお部屋からの眺め 美しい庭を散策する人もちらほら
コンサート翌日 フレンチレストラン トップ オブ
キョウトからの眺め (ゆっくり朝食いただきました)

翌日は、コンサートに来てくれた大学の同級生と一緒に食事をした。彼女と会うのは12年ぶり。まだ学校に勤めている。昨日のコンサートを聴いて「私ももう一回歌いたくなった」と言ってくれたのが嬉しかった。思い出話に花がさき、瞬く間に時間が過ぎていった。

京やさい料理 接方来で美味しいランチ

京都のコンサートに出ようと思った1月はまだ体調が整わず、行くと決めたものの不安も大きかった。だが、4月に目標を定めたおかげで、歌に前よりももっと真摯に取り組め、体力づくりのために毎日運動もがんばれた。今回ステージで歌った経験は貴重なものとなり、「イメージを思い描けば、願いは叶う」という思いをもった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?