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「陽光の中へ…」

ボクは尚もスロットルを開いた。排気音が研ぎ澄まされ、その鋭利な切っ先が内壁を容赦なく痛めつける。まだ出口は見えない。途轍もなく長いトンネルのさなか、前を疾走するマリアとの間隔は広がる一方だ。右手は負けじとCRキャブへ更なる加速を要求する。狭まりゆく視野に比例するかのごとく刻々と小さくなる背をボクは無我夢中で追った。

「待ってくれ!」

悲鳴混じりの懇願は絶叫と化したエグゾーストに軽くあしらわれる。出口が見えてきた。白光に満ちた向こう側へマリアは躊躇なくRZ-Rを突っ込ませた。暴れそうなマシンを辛くも制し、ボクも出口を抜ける。刹那、眩しさに眼がくらみ無意識に右手を緩めた。

網膜は明度に順応したが、時すでに遅し。マリアの背は陽炎の彼方へと吸い込まれていった。

ボクはおもむろにギアを落とし、ドゥカを減速させた。やがて惰性が尽き、停止。立ち昇る凄まじい熱気に一瞬気が遠くなりそうになる。バラバラに崩壊するのではないかと危惧するほどの限界走行を強いたにも拘わらず、ボクのドゥカが生み出す速度はマリアのそれの足元にも及ばなかった。排気量は4倍近くもあるのに…。

ボクはシートに跨ったままターゲットの失われた前方にぼんやりと視線を向けた。真っ直ぐに伸びる道の両肩に果てしなく立ち並ぶサクラの木々。ピンクのベールを纏ったフワフワの艶姿とは別物、硬く重い風情の林立。蜃気楼の悪戯で不気味に揺らぐ様はまるで魔物たちの舞踏。それら一同にねっとりと視姦されている……。そんな奇妙な錯覚に陥った途端、言い知れぬ恐怖が襲ってきた。

ボクは身震いと共にハッと覚醒した。窓の外からスズメたちのさえずりが届いてくる。ベッドに半身を起こす。ハァッと溜め息が漏れた。部屋のあちこちを見るともなく見る。適度な生活感が沈殿する住み慣れた空間。良質な安心をもたらせてくれる拠点だ。この部屋の合鍵を持っているマリア。とは言え、彼女の痕跡はだいぶ薄れてしまった気がする。カーテンの隙間から差し込む陽光が枕元に陽だまりを落としている。

……夢か……。

マリアがここを出て行ってもう2年になる。

ボクは熱いシャワーを浴びてから身支度を整えてブーツを履いた。

下の駐車場へ降りると愛機のドゥカにキーを差してガソリンコックをオンの位置まで回し、空キックを2回踏む。チョークを全開にしてキーをオンにして全体重を掛けてキックペダルを踏み込む。

エンジンは一発で目覚めた。軽くアクセリングをしてからチョークを戻してアイドリングを安定させる。

革ジャンからグローブを引っ張り出し、嵌める。

センタースタンドを外してサイドスタンドに車重を預けた。そしてドゥカに跨った。

ハンドルを真っ直ぐにして280kgの車体を直立させる。左足の爪先でギアをローに入れてサイドスタンドを払う。

ゆっくりと左手のクラッチを繋いでいくと2本のコンチマフラーから叩き出された爆音が駐車場いっぱいに轟く。

そしてボクとドゥカは陽光の中へと躍り出ていった……。


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