財布の中の折り紙の話

まともに就活も就職もせず大学を卒業した僕は、就職しデザイナーとして活躍し始めた友達らを横目に絵を描いたり、ファインアートで活躍するクリエイティブ集団でアート作品制作の手伝いをしたり(オープニングレセプション時にうん百万円で取引された)、友人たちと八百屋を設計したりと、常に胸に小骨が刺さったような焦燥感と引き換えに、大学在学時とあまり変わらない自由な日々を謳歌していた。
貯めたお金でイギリスに行き、憧れていたデザイナーに弟子入りを懇願しようかと本気で思っていた。英語も喋れないのに。
卒業から10ヶ月ほど経った冬、実家のコタツで地球の歩き方イギリス版を夢想しつつ眺めているうちにひょんなことから1番働きたかった都内のデザイン事務所に入社が決まった。

イギリスに向けて貯めていたお金は、引越し代や僕1人を支えてくれる様々な家電代等に消えていった。

東京の下町にある実家を離れ、都会で一人暮らしを始める僕に3歳下の妹が折り紙をくれた。

当時保育関係の職に就こうと勉強していた妹らしい、ブタの形に折られメッセージが書かれた折り紙。
なんとなく財布にお守りとして入れて新生活を迎えた。
(6歳下の弟からは印刷された僕の顔がはめられた謎のフィギュアをもらった。魔除けとして部屋に磔にしといた)

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毎日深夜3時過ぎまで必死に仕事し、自転車で家に帰ると、寝坊が怖くてフローリングの上に直置きされたままの寝袋に包まれ、それでも眠れず深酒をし、朝8時に奇跡的に起きると誰よりも早く出社した。
誰もいない会社を掃除し、新しい1日の始まりをセッティングした。

薄い膜の張ったような意識の中仕事し、毎日のように社長から叱責され、たまに手も出、その都度グッとこらえていたが、どこのデザイン事務所もこんなものだと疑わなかった。今思えばやはり僕が悪かったところも往々にしてあったと思う。
そんなことよりも憧れの人のもとで業界の有名人たちと憧れていた仕事をする日々は刺激的でワクワクした。
目の前で下される一流デザイナーの決断に新人デザイナーの僕は頭をクラクラとさせられていた。

学生時代からその社長にグラフィックデザイナーとして強く憧れていた。
その人は国内外問わずいくつものデザイン賞を獲っていた。
いつかその人を超えることを心の支えに必死にしがみついて頑張っていたが、大学を卒業して2回目の秋を迎える前に退職した。いろいろと限界だった。
憧れが強かった分、失望も大きかった。自分に対しても、その頃は社長に対しても。
夢半ばで舞台から引き摺り下ろされるようで、悔しくてたくさん泣いた。

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チーフデザイナーとして僕の残りの20代を捧げた2社目のデザイン事務所を勤め上げ退職した現在は、そこで出会い結婚した妻と、移住した海の近くの地で息子をもうけ、3社目の事務所で働きつつフリーランスのグラフィックデザイナーとして仕事をし生活している。

つい先日、フリーで手がけたロゴの仕事のひとつがニューヨークTDC(タイポグラフィに特化した国際的なデザインコンペの賞のひとつ)で入賞を果たした。
最初の社長も審査員をしたことのある賞のひとつだ。
朝、息子を保育園に送った後の車中で受賞のメールに気づき、一人泣いた。入賞だけど嬉しかった。

社名の頭文字であるTBLがBUSINESSのBを形作り、LINK=つながりを表現したロゴ。オリジナルフォントも制作した。

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インスタグラムにアップし受賞を報告すると、普段は“いいね”してこない妹が“いいね”してきた。
普段から特に言葉は交わさない妹なりの祝福と勝手に受け止めた。

財布に入ったままの、たまの財布の掃除の時にレシートの間から出てきては、「まだ入っていたのか」と思い出すお守り。
そして「そうだ、まだまだだ」と思い出させてくれるお守り。
これからもよろしく。道のりは長く、まだまだ遥か先まで続いている。

妹の“いいね”から、財布の中で社会人としての僕と共に月日を重ね薄汚れてきた折り紙のことを、ふと思い出した。


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最後までお読みいただきどうもありがとうございます。

ッドーーーン!!!!!!
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