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イキルサイノウ

先週から今週にかけて夏休みを取った。久々の長期休暇だ。

行ってみたいところがない訳ではないが、結局のところ昨年と同様、両親の元に帰った。本当のところを言うと、「帰った」という表現は適切ではない。「行った」が正しい。でも、その少々複雑な事情はわざわざここで書き連ねる必要もないし、複雑な事情を話したところでほとんどの人が覚えていない。だから、もし自分に本当に大切な人が出来たらその話をしたいし、その人にちゃんと覚えていて欲しい。

両親は現在、かなりの田舎に住んでいる。だから、1年に1回会うのが限界だ。僕も頻繁に電話をかけないし、向こうも気を遣ってか、あまりかけてこない。

両親に会うと、親族間の微妙で繊細な人間関係を垣間見ることになるので、おかしなことにならないように、双方が傷つかないように、誰も気づかないような加減で「合いの手」を入れて誘導しないといけない。馬鹿なふりをして阿呆に振る舞えばもちろん楽だけど、そうできないのは僕が「大人」になったからか?それを「大人」と呼ぶのだろうか?少なくとも見て見ぬふりをしようと思えば、いくらでもできる。

なぜそれをやるのかと言えば、父親が傷つくのを見たくないからだ。だから、そんな人間関係の気遣いなんて屁でもない。もしかしたら僕の思い過ごしかもしれないけど、少し寂しそうに切なそうに見えるのは気のせいだろうか。

父親は無口な方だ。それに対して母親はおしゃべりだ。だとしたら、僕はどちらに似ているのだろうか。どちらにも似ていない気がする。

父親はゴジラ、ガメラ、モスラが大好きだ。今でもレンタルビデオ屋で借りて見ているらしい。

そういえば、GODZILLAの続編の予告編が解禁されたとき、真っ先に父親に知らせたんだった。

空港から両親の家までバスで1時間ほどあり、最寄りのバス停に着くと、ベンチにサングラスをかけた父親が座っていてびっくりした。父親は仕事は休みで、母親は仕事で夕方まで帰らない。

父親と色々な話をした。

当然、GODZILLAの続編の話になった。話題は一向に尽きなかった。

先ほども書いた通り、父親はどちらかと言うと、無口だ。でも、自分の好きなことに対する熱量はすごく、活き活きとしてくる。だから、趣味の合う、話の合う父親とは何時間でも話すことができる。こんな書き方をすると、母親とは折り合いが悪いのかと勘違いされそうだが、仲はめちゃくちゃいいと思う。ただ、趣味が合うのは父親というだけだ。

こう考えると、僕は父親に似ているのかもしれない。趣味の合う人や話の合う人とはいくらでも話せるが、そうではない人とはなかなか難しい。でも、僕も多少なりとも「大人」になったからか、気の合わない人でも世間話くらいはするようになった。でも、やはり気を遣いすぎて、疲れる。誰しもそうなのかな。それとも、僕だけなのかな。

休息なんて束の間だ。

まさしく、過ぎ去る日々のような速さで、だ(これはわかる人にはわかる文言だろう)。

父親にthe HIATUSの"Tree Rings"という曲を聴かせたところ、いたく気に入った様子だった。こういう曲が好きなんだろうなあという僕の予感は的中した。この曲が収録されている『Hands Of Gravity』というアルバムを買ってあげようかな。

空港への見送りには父親が来てくれた。

土産を買って、手荷物を預けたら、離陸までまだ1時間あった。父親はトイレから戻ってきたら、チューハイとあたりめを買っていた。空港のベンチで早すぎる晩酌を始めた。父親がチューハイを片手にしている姿をたった数日間のうち何度目にしただろうか。アルコールは水分補給にはならないという僕の忠告も耳には届いていないようだ。

待ち時間の間、父親と色々な話をしたが、ほとんど思い出せない。

飛行機は15分遅れで離陸した。

飛行機はたったの1時間で僕が住んでいる大阪に着いてしまう。空港ゲートを抜けたとき、帰ってきてしまったと感じた。自分の手荷物が流れてくるのを待つ数分間がとても長く感じられた。

『くよくよ めそめそ
立ち直るのもめんどくさいけれど 
楽など疑って生きていこう これからは   

夜を耐えまた朝に泣きつくように
消えない傷を抱きしめるように
器用にならずに正直でいるのさ
イキルことにサイノウはいらない』
plenty "イキルサイノウ"

江沼郁弥は、イキルことにサイノウはいらないと歌ったけど、本当にそうかなとたまに疑ってしまう。

親族間の人間関係の微妙なところなんて屁でもないくらい、日々の人間関係にストレスを抱えることが多い。たぶん肩肘を張りすぎてるんだろうなあ。気を遣い過ぎてるのかな。考え過ぎなのか。

でも、少なくとも両親以外のほとんどの人間関係を拒絶していた時期に比べれば、はるかに進んでいるんじゃないか。成長とまでは言わないだろうけど。

そういえば、父親はこうも言っていた。曲を聴くときは歌詞をじっくり読む、と。

細美武士や江沼郁弥の書く歌詞が、そっと背中を押してくれたり、心をふっと軽くしてくれる。

江沼郁弥は「器用にならずに正直でいるのさ」と、細美武士はELLEGARDENの"金星"で「最後に笑うのは正直な奴だけだ」と歌った。

そうだ、それでいいじゃないか。考え過ぎだ。生きていて楽なんてあるわけがない。

だから、肩肘を張らずに、器用にならずに、正直でいよう。

#エッセイ #旅 #帰省 #江沼郁弥 #plenty #細美武士 #ELLEGARDEN

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