背中

「パリピ、パリピってうるさいんだよ。楽しんでる奴らの仲間に入れないからって僻んでじゃねえよって思うわ。なあ?」
 佑人はコーヒーに砂糖を大量に入れながら訊いてきた。
 彼のこの光景を見る度に顔を顰めそうになる。大学生にもなってという思いを無理矢理引っ込めた。彼は小学生のときからコーヒー牛乳やカフェオレばかり飲んでいた。
「確かにそうだね。文句言ってくる連中ってどいつもこいつも教室の隅っこにいるような奴らばっかり」
 呆れるような素振りを見せて、佑人に同意してみせた。確かに楽しくないことはない。
「この前の飲み会も楽しかったのに」
 どうやら佑人はまだ腹を立てているようだ。10日も前のことをよく覚えているものだと思う。
 10日前のことだ。僕たちの所属するテニスサークルで飲み会があった。当然ながら男だけで飲むのではなく、近くにある女子大の学生を交えてだった。アルコールが体中に回れば回るほど佑人たちは理性を失い始めた。あまりの騒々しさに店員に注意されたところで一度沈静化した。ただ、その束の間の静寂は佑人によって破られた。女子大生たちにあからさまなセクハラをし始め、それに周りの連中が追随した。その女子大生たちもアルコールによって正常な判断能力を失っているのか、楽しそうに僕には見えた。
 問題はそこからだった。翌朝、僕に佑人からLINEが入っていた。
『おい、どうなってんだよ。ツイッター見てくれ』
『何?どうしたの?』
『昨日、居酒屋で騒いでた様子とか女の子に膝枕してたときの画像が出回ってんだよ。しかも俺のアカウントも特定されてる』
『ちょっと見てみる』
 返信してからツイッターを開いてみると、佑人の言う通り、男たちが女の子たちに膝枕している画像や佑人が女の子に無理矢理お酒を飲ませていると思われても仕方がないような画像だった。
『見てきた。セクハラだってリプが大量にあるね』
『なんで背中だけで俺だって特定されんだよ。そもそも個室だろうが』
『誰かがトイレ行ったときにドア、閉め忘れたとしか思えないね。それで、その隙間から撮られた』
『お前、ドアの近くにいたろ。気づかなかったのかよ』
『気づかないよ。アルコールで意識朦朧としてたし。僕が酒に弱いの知ってるだろ』
僕が本当はアルコールに弱い振りをしていることに佑人は気づいているのだろうか。
『確かにそうだけどさ。ああマジで腹立つな』
 いつもは絵文字や顔文字が多い佑人がほとんど使っていない。それだけでご立腹なことがわかる。画像をSNSに晒されて腹が立たない人間はいないだろうけど、そもそも佑人たちが悪行を犯さなければ、個人の痴態が晒されるなんてことは起きないのだが、佑人の頭にひと欠片もそんな思いはないのだろう。
 どう返信したものか迷っていると、佑人からさらにメッセージが届いた。
『にしてもなんで俺だって特定されるわけ?あの画像には背中しか写ってないのに』
『なんでかは僕にはわからないけど、佑人たち、めちゃくちゃ騒いでたでしょ?大学の名前とかサークル名、叫んでたし。だから他のお客さんが気づいたんじゃないの?』
『えっ?何?どういうこと?』
『もしかして覚えてないの?』
『覚えてない』
 結局、あまりに批判が殺到したために佑人はアカウントを消すはめになった。佑人はアカウントを新しく作り直したが、今のところ炎上はしていない。
「確かに楽しかったけど、後味が悪かったね。仲間内で楽しんでるのに、あんなことになっちゃったから」
「犯人、特定してやろうと思ってんだけど、難しいね」
 佑人は砂糖で苦みを相殺した飲み物を飲みながら、そう言った。
 この話題には辟易しているので、
「で、今日は何の用?」
と訊いてみた。
「お前、なんだよ、その言い方は」
 佑人は愉快に笑っている、ように見えた。
「いや、いきなり呼び出すからさ」
「お前、昔と変わったよな」
「僕が?」
「小学校のときとか、俺の後ろばっかついてきてたじゃん」
「そうだっけ?」
とぼけた振りをしたものの、身に覚えはあった。確かに小学校のときだけではなく、中学時代もずっと人気者の佑人の後ろを追いかけていた。影で小判鮫と揶揄されていたことも知っていた。佑人の背中を追いかけていたら、何となく楽しかった。でも、一方で佑人の背中ばかりを追い回すしか学校という狭く息苦しい空間で自分を守る術がないということが堪らなく嫌だったし、佑人から内心では馬鹿にされてるのではないかとも思っていた。
「そうだよ」
「で、何の話がしたいの?」
 冷たいアイスコーヒーが入ったグラスがたまのような汗をかいている。
「ほら、それ」
「だから、何?」
「まあ、いいや。お前さ、サークル楽しい?」
「楽しいよ。飲み会も楽しいし。佑人たちは騒ぎすぎだけどな」
 薄く笑いかけたが、佑人は真顔だった。
「お前、いつも笑ってるようで顔が笑ってない。冷ややかに俺らを見てるように感じる」
「そんなことない」
「俺の背中を追いかけてるようで、俺の背中を見て嘲笑してるだろ。お前の目線からひしひしと感じる」
「そう思わせてしまってるんなら謝るよ。僕にはそんなつもりは一切ない」
 声が震えないように、ただそれだけ気をつけた。
「やっぱりお前、変わったよ。昔はそんなはっきりした物言いはしなかった」
 佑人の言う「昔」とは一体いつのことだろう。小学校のときか、中学校のときか。あれから一体どれだけの月日が流れたと思っているのか。誰だって変わるに決まっている。「昔」のままなのは佑人だけだ。僕と佑人は高校は別々になった。そこで僕は必死に変わろうとした。何もかもを変えようとした。その努力を目の前の「昔」のままの彼に語ったところで時間の無駄だろう。
 大学に進学したらそこには佑人がいた。結局は「昔」のままの佑人に誘われるがままにテニスサークルに入った。自分がしていた努力は結局はただの自己満足であって、自己満足は何も生み出さない。努力も自己満足もすべてくだらない。だから、これは自分自身を何も変えることができない人間の小さな反逆だ。僕にはこの程度のことしかできない。
「変わってないよ。僕は何も変わってない。昔のまま」
 残りわずかになったアイスコーヒーはたまのような汗をかいている。
「なあ?」
「何?」
「昨年のワールドカップときのこと、覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ。渋谷のスクランブル交差点で大騒ぎしたよな。楽しかった」
「ああ、確かに楽しかった。でも、あのときアルコールが入ってたせいもあって、周りの知らない奴らと揉めんたんだよ。取っ組み合いの喧嘩になっただろ」
「ああ、あったね」
 グラスの水滴を手で拭う。まだアイスコーヒーは残っている。
「あのとき、渋谷で馬鹿が騒いでるって俺の後ろ姿がツイッターに出回ったんだよ。あのとき、お前どこにいた?」
「近くにいたと思うけど」
 手で水滴を拭ったはずのグラスはたまのような汗をかいている。残りをすべて飲み干した。
「いや、違う。あの写真にはお前は写ってなかった。今回の居酒屋だってお前の姿だけが写ってない」
 変わろうとしたけれど、変われなかった僕はやはり「昔」のままだ。
「写真撮って載せたのはお前だろ?」
 佑人はまっすぐに僕のことを見つめる。佑人の目からはなんの感情も読み取れなかった。
 空になったグラスがなぜかたまのような汗をかいている。

#小説 #ショートショート

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