縁側

サンダル履きの足をぶらぶらさせながら、風鈴の音色に耳を傾けている。

風鈴の涼しげな音色は心を落ち着かせてくれるけれど、なぜだか今日は空しく響く。どうしてこんなにも寂しいのだろうと自問するも、理由ははっきりしている。私は気づかないふりをしているだけだ。

ゆうちゃんと呼びかける声がして、振り向くと居間からおじいちゃんがカルピスを持ってきてくれた。

「ありがとう」よく冷えたコップを受け取ってお礼を言った。
「カルピスは好き?」おじいちゃんは縁側に座りながら言った。
「うん、好き」おじいちゃんが作ってくれたカルピスは少しだけ薄いけど、それは言わなかった。

おじいちゃんが住む街は私が住んでいる県の隣の県の外れにあった。季節ごとによく遊びに行っていたし、特に夏は何度も遊びに行っていた。いつもはおじいちゃんとおばあちゃんの穏やかな笑顔が私を出迎えてくれるけれど、今日はおじいちゃんの寂しそうな笑顔だけが玄関に浮かんでいた。

1ヶ月前、おばあちゃんがいなくなった。失踪したという意味ではなくて、この世からという意味だ。その知らせを聞いても、棺桶の中に窮屈そうに入っているおばあちゃんの姿を見ても、現実味がなかった。ただ、おじいちゃんが棺桶のそばに寄り添って泣いているのを見て、本当にもういないんだと思った。

「身の回りのことは全部おばあちゃんがやってくれてたから、僕には何もできやしないよ」

「カルピスだってちょっと薄いだろ」とおじいちゃんは寂しそうに笑った。

「そんなことないよ。美味しいよ」
「そうか、それなら良かった」

おばあちゃんが元気な頃、訊いたことがある。お母さんやお父さんには訊けないこともおばあちゃんには自然と訊くことができた。おばあちゃんはお母さんに似て、怒ると怖い。だから機嫌の良さそうなときを見計らって訊いた。

おばあちゃんはお母さんに似て、というのは逆だなとどうでもいいことを思った。

おばあちゃんに「なんでおじいちゃんと結婚したの?」と訊いたら、「私と違って優しいから」と言われた。「おばあちゃんは優しくないの?」と訊くと、優しくないよとおばあちゃんは笑った。

コップから水滴が垂れて、ワンピースの膝の部分が丸く滲んだ。いつの間にかおじいちゃんがコースターを持ってきてくれていたので、コップをそこに置いた。

「おじいちゃんはどうしておばあちゃんと結婚したの?」
「急にどうしたの?」おじいちゃんは庭の花壇から視線を私の方に移した。
「訊いてみたかったの」
「うーん、どうしてだろ」少しの間、視線を下の方に向け、「おばあちゃんは僕と違って、人に厳しくできるから。僕は人に甘いから。それが僕の駄目なところ」と言った。

「一緒だね」
「何が?」
「おばあちゃんに、なんでおじいちゃんと結婚したか訊いたことがあるの。そしたら、おばあちゃんは、おじいちゃんは私と違って優しいからって言ってた」
「そんなこと言ってたのか……。理由が似てるね」
「おじいちゃんとおばあちゃんはどうやって知り合ったの?」
「お見合いってわかるかな?」
「うん、なんとなく」ぎこちなくうなずいた。正直なところあまりわかってはいなかった。

おじいちゃんにお見合いのことを説明してもらった。そう言えば、テレビ番組で似たようなものを見たことがある気がした。

「写真だけ見て、いきなり会うなんて嫌じゃなかったの?」
「あまり気は進まなかったよ。でも、こういうものは縁だから、緊張はするけど、会ってみようとは思った」
「縁?」
「そう、わかりやすく言うと、人と人との偶然の繋がりみたいものかな。ゆうちゃんにも仲の良い友達がいるだろ。それも縁なんだよ」穏やかに笑った。
「なんとなくわかる気がする」
「初めておばあちゃんを見たとき、この人だって思った」
「どうして?」この人だとはどういう意味だろう。
「何に対しても怯えていないような目をしてたんだよ。僕にはそんなものないから」

おじいちゃんの言ったことが難しくてわからなかった。確かにおばあちゃんはたまに厳しいときがあるから、そういう意味だろうか。

「おばあちゃんとはよく喧嘩してたの?」
「うん、いっぱいしたよ。」
「喧嘩は嫌だな」この前、友達とした喧嘩を思い出してしまった。
「確かに嫌だね。でも、そういうときってお互いが悪いんだよ。僕も悪いし、おばあちゃんも悪い。だから、僕も謝るし、おばあちゃんも言いすぎたねって言う」

「楽しいこともいっぱいあったし、それと同じくらい辛くてしんどいこともあったなあ」とおじいちゃんは後ろに手をつきながら、しみじみと言った。

「私もおじいちゃんみたいな優しい人と結婚したい」
「そこはお父さんと、じゃないんだね。お父さん、悲しむよ」おじいちゃんは苦笑いを浮かべた。
「もちろん、お父さんも好き。優しいし。でも、おじいちゃんのおばあちゃんに対する優しさはもっと好き。おじいちゃんみたいな優しい人なんているかな?」私はまっすぐにおじいちゃんを見つめた。
「絶対にいるよ」おじいちゃんもまっすぐに私のことを見つめた。
「本当かな?」半信半疑だった。
「ゆうちゃんが大人になったら、びっくりすると思うよ。ゆうちゃんのことをずっと見守ってくれるような優しい人がひょっこり現れるから」

おじいちゃんは「僕が良い例だよ」と胸を張った。「まだカルピス飲む?」と訊かれたので、空になったコップを渡すと、おじいちゃんは居間の方に消えていった。

縁側から立ち上がって、遠くの空を眺めてみると、空が赤く染まっていた。日は沈んでいくけど、まだ外は暑い。背中はじとっと濡れている。

おじいちゃんや、お父さんみたいな優しい人はどこかに必ずいて、ひょっこり現れるとおじいちゃんは言ったけれど、本当だろうか。

でも、今はひとまずおじいちゃんの言ったことを信じてみよう。そう思った。

#小説

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