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控えめに言って、楽しく生きることに決めてます。〈その後日談〉

場に集うということ

昔所属していたグループの会合にひさしぶりに参加した。
その集いで感じたこと、考えたこと、雑感。
一言でいうと、ただ楽しかっただけだけど。。

大前提として健康の大事さを痛感。
そうでないと、宴という場にも出没できない。
参加できても一定の制限でこころから楽しめないかもしれない。

人がそこにいれば、ボクは全開で人間観察する。
メンバーは懐かしいメンバーだったので、過去との比較も面白かった。
林真理子さんのいう、「俯瞰力と自己愛の比率を楽しみながらの人間観察は興味深い」を実践してみた。
傾向として、年を取ると自己愛が増えるようだ。
一方で、ステキに年を重ねている人は相変わらず俯瞰力も衰えていないようである。

過去のしがらみから、一定程度のネガティブが降りかかってきてもしょうがないと
モヤモヤと考えていた。
結局、なんのネガティブもなかった。
そんなくだらないことを考えていた時間のすべてが無駄。
あーあの、無駄な時間はなんだったんだろう、ってことになった。
「心配事の97%は起こらない」と他者に伝えている、
アドバイスを自分にもしよう。そんなことも思った。
そして、もうこんな無駄なことはしないと自分に誓う。
ただ一方で、ネタになるようなネガティブ事変がなかったことは、残念でもあると想えてしまっている自分の思考回路がいとおしくもある。
人生は話のネタ探しでもある、最近のボクの思考変化のひとつ。

事実としては、めちゃくちゃ楽しかっただけ。
20年前にタイプスリップしたような感覚を覚えた。
とても不思議で心地よい感情であった。
年月を重ねたからこその感覚に年を重ねることは悪いことばかりではないと再認識した。

楽しい場に楽しい気持ちをもって楽しく過ごせている自分が嬉しかった。
「人生は楽しいものである」というのは、娘に唯一伝えたいと思っていること。
そのために、ボクは楽しく生きてその姿を彼女にみせようと決めている。

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