【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮)⑩

 扉を開け外に出ると、空は薄っすらと赤みがかり、夕暮れ時を迎えてい た。幸福感に包まれているカズマサではあったが、現実には迷子状態であり、帰路を探し出さなければならなかった。昂揚していて物事を考えることにかなり苦戦したカズマサだったが、なんとか考えを巡らせ、来た道を戻ることを決断した。小一時間もあれば家にきっと戻れるだろう、そんな風に考えていた。左手に下げたレコードをちらと見た。確かにある。心が軽くなった。早く帰らなければならないのに、いつものクセを今回もしてしまう。カズマサが欲しかったレコードや心躍るレコードを手に入れた時にしてしまう行動だ。店を出てすぐに袋からレコードを取り出し眺めてしまうのだ。今回も我慢できなかった。道路の脇に身をかがめ、先程の店員が止めてくれたテープを丁寧に剥がし、レコードを引っ張り出した。再びジャケットの女性と対面する。カズマサはあたりを見回したが、誰もいなかった。もしかしたら自分がニヤけているのではないかと心配になったのだ。一安心したカズマサは再びジャケットに視線を落とす。変わらず女性はそこにいる。レコードを保護しているビニールを取り、中身を確認したい衝動に駆られたが、そこはかろうじて思いとどまった。その代わり裏ジャケを確認し、じっくり眺めて、また表のジャケットを見返す。それを何度も繰り返した。
「ねぇ」
突然の背後からの声にカズマサは身体をビクつかせ、レコードを落としてしまいそうになった。
「ごめん、ごめん、そんなに驚かないでよ」
振り向くと、そこには、女の子が立っていた。
「あ、いや、えっと、はい」
驚きと照れくささで、声をうまく発することができなくなっていた。今の姿を見られたんじゃないか、もしかしたらニヤついていたのも見られたかも、だとしたら最悪だ。
「それ、それ」
「え、何?」
「それ、そのレコード。マシュー・スウィートでしょ?」
カズマサは心底驚いた。夕日を背にしていたせいで、彼女の姿はよく見えなかったが、おそらく同い年くらいの女の子だろう。突然自分を呼び止め話しかけてきたこともそうだが、それより何より、彼女の口から今自分が手にしているレコードのアーティストの名前が出てきたのだ。カズマサは状況が良くつかめず混乱していた。
「え、あ、はい、そうです。マシュー・スウィートです」焦りと混乱の渦の中から精一杯言葉をひねり出したが、なんて間抜けな答えなんだろう、カズマサはさらに恥ずかしくなった。シャイなカズマサは普段から女の子と話す機会はあまりなく、苦手というほどではないが、照れてしまう質だ。しかし、それにしても、であった。
 女の子はその言葉を受け、身をかがめてくっくと笑いだした。光の加減で、今度は少しだけ顔が見えた。髪は長く真っ直ぐで、肩のあたりまである。顔はとても小さく、鼻は通っていて、すっきりした顔立ちをしているように見受けられた。白かベージュのTシャツで、タイポグラフィのような英語の文章が4行に渡って書かれている。首周りは少しだけだらっとしていて、首から中に向かって細い銀のネックレスが下がっている。その下のタイトなブルーのミニスカートからは、健康的な白い足が覗いている。その先に少しだけヒールが高くなっている白に靴底が茶色のサンダルという出で立ちだ。年齢はやはりカズマサと同じくらいか、少し年上だろう。見ず知らずの少年に声を掛け、楽しそうに笑う姿から、人当たりの良さは明白だった。
笑われたことに少しだけムッとしたカズマサを見て、彼女は片手を前に突き出し、笑いを自分で静止するような仕草を見せて、言った。
「ゴメン、ゴメン、言い方が面白くて」
屈託のない笑顔で話す少女をカズマサはようやく直視した。その瞬間それまで以上に心臓の鼓動が速くなった。
「いきなり何なんですか。た、確かにマシュー・スウィートですけど」怒ったような、照れたような、ようするに大人気ない答え方をカズマサはした。
「ごめんなさい。私ね、そのアルバム好きで、思わず声掛けちゃったの。変な人だと思わないで。この街でそのアルバムを買う人がいるんだなって。しかも店の横で目を輝かせてジャケット見てるんだもの」
全部見られていた。恥ずかしさが天を突き抜けそうになる。その場から走って逃げ出したい衝動に駆られた。
「バカにしてるんじゃなくて、嬉しかったんだよ。自分が持っているのと同じレコードを買う人がいて、それを嬉しそうに眺めている人がいるなんてさ。運命感じちゃうってやつ」
「そ、そう」
恥ずかしさが治まらないカズマサは、そう返事することが精一杯だった。と同時に自分がなぜこんなにも恥ずかしがっているのかが判明した。かなり前から薄々感づいていたのだが、彼女は美しいのだ。その事実を認識すると同時に心臓の鼓動が加速していた。
 真っ直ぐこちらに向けている瞳は大きく、それほど高くはないが上品そうな鼻、悪戯っぽく笑う口元はふっくらと柔らかそうで、少しだけ大人の雰囲気を醸し出している。その整った顔立ちは、化粧はしていなかったが、それでも充分に魅力的だった。
 カズマサは自分の心音が少女に聞こえてしまうのではないかと心配になった。悟られまいとすればするほどそれは大きく音量を上げていくような気がした。
「本当ごめん、いきなり。名前も名乗ってなかったね。私、ナナミ。この近くに住んでるんだ」

ナナミと名乗る女の子は言い終えると折り目正しく礼をした。(続く)

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