サイファー・リズムと言葉・遊び・スキル・間・自由

サイファーって知ってますか?

サイファーというのは、即興でラップするのが得意な人達がマイクを2本か3本くらいをまわしあいながらDJの流すビートの上でラップで会話(バトルと名うたれ実際にディスりあう様子が売りなことが多い)する催しのこと。メインの出演者もいつつ、通常はお客さんのフリースタイルラップ参加も歓迎される。盛り上がる時はもの凄く盛り上がる。

だけど傍観者の私にとってサイファーでマイクを差し出されることは恐怖である。フリースタイルラップの"フリー"は言葉の内容が即興的だというだけでその他の自由はほぼ求められていないことが恐怖なのだ。「ビートにのっかって」というのが素人にはまず恐怖だ。ビートにのっからなくてもいい というフリーさが欲しい。まじで。

自分の場合ビートにのっからなくてもいい というフリーさがその状況にあって初めてマイクを握る気になるかもしれない。それはなんでも許されるという自由度の話で、やるなら実際はリズムと戯れるだろう。リズムの上で声で遊びたい。「おなかがすいた」とか単純な一文だけで音節を解体して遊ぶとか。

ビートにのった隙間のない早口言葉の名演説が期待されてる状況下ではそういう歌未満・ラップ未満な音遊び的言葉遊びをする度胸がわかない。もしサイファー主催者などがスキルのない人にも参加してほしい気持ちがある場合は、どうしたら傍観者が抱えてる参加する恐怖を実際的に拭えるのか考えるべきだ。

私自身は、音楽は音で楽しむタイプで、歌詞や早口言葉は基本頭に入ってこない(ずば抜けてるものならスッと入ってきてくれる が、めったにない)。延々繰り出されるマシンガンラップを浴びるのも嫌じゃないが、どうしても「間」がないものは窮屈なのでそればっかりじゃすぐ飽きる。

というか「間」を活かし、「間」で遊ぶ粋さ、それがリズムと言葉で戯れる上での真のスキルだと思うんだよな〜〜〜。「間」だらけでもいいじゃん という認識がせめて欲しい。強迫観念を音で感じるのは楽しくない。


観念的な自由ではなく、実際の自由感に解放されたい。

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