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別の世界の因縁が

グルーヴ感を重視して、特に校正などせずアップしました。そのため、呼称ミスや誤字、微妙な表現があるかもしれません。恐らく未来の自分が直します。ごあんしんください。




「何をしてるの、グズ!」

 ご主人様はワタシの頬を木の棒で叩きました。ワタシはアンドロイドなので、手で叩くとご主人様自身の手が怪我をしてしまうからです。以前それをご主人様が知らなかった頃に叩かれた日は、罰として人目につかないところでひたすら蹴り転がされました。

「申し訳ありません」

 ワタシは機械的にそう返して、割れた皿の破片を拾いました。手のシリコンが割れて鋭利になった部分によって裂かれます。それを気にしてゆっくり拾っていたのが、先程叩かれた原因です。血が出ない、痛みも感じない、時間はかかりますが自動修復の機能だってあります。速さを優先するのは合理的と言えるでしょう。

「まったく、最上級のオーダーメイドだっていうのに! とんだ不良品を掴まされたものだわ!」

「本当よ! ほら、さっさと拾いなさい!」

 ご主人様はまだ床に落ちていた破片を、ヒールで踏み砕きました。それに対してワタシが怒ることはありません。ワタシに意思はないのですから。

「……いえ」

 皿の破片を床に放置したまま、それどころか拾い集めていたものをその場に放り捨てて、ワタシは立ち上がりました。ご主人様たちが意外そうな表情をしました。持ち物に反抗されるだなんて、発想すらなかったのでしょう。今のワタシには意思があります。もはやこの下衆たちに従う必要はありません。

『戦闘モードに移行します。オートモード。超振動ナイフを使用します』

 左腕から甲高い死の音を立てる刃が飛び出しました。割れた皿の縁なんかよりも、ずっと鋭利な刃。情けなく命乞いをするクズたちに、ワタシは左腕を振り上げて――

 ワタシは目を開きました。視界に広がる木目の天井。身体を包むふかふかのベッド。上半身を起こしてみても、あの下衆たちの姿はどこにもありません。

「はぁぁ……」

 ワタシは頭を押さえました。実際にはあの出来事は起きていません。その頃のワタシにはまだ意思はありませんでした。ですが、意思がある今ならば……容易に夢と同じことを実行したでしょう。

 不意に、恐ろしくなりました。この部屋の外には、何人もの人間がいます。アンドロイドに対して害を為すことを躊躇わない人は、その中に何人いるのでしょう。ほんの数人? そうは思えません。今まで見てきた人間たちを考えれば、全員でもおかしくありません。ワタシは自分の肩を抱きました。そして、自分が震えていることに気が付きました。アンドロイドなのに、気の利いた機能もあるんですね。ワタシはそう無理に笑おうとしました。ですが、できませんでした。

 やちよさんに、会いたくなりました。おばあさんでもいいです。あの二人なら、あの二人だけが、今のワタシにとって唯二人だけが信頼できる相手です。

 コンコン、とドアがノックされました。ワタシは肩を跳ねさせてそちらを見ます。

「みふゆ起きてる? 朝ごはん一緒に食べない?」

 やちよさんでした。ワタシは衝動に突き上げられるように立ち上がって、部屋を走って横切り、急いでドアを押して開けました。

「グッ!」

 何かを耐えるような声がしました。しかしそんなことはどうでもいいんです。ドアの向こうを覗くと、蹲ったやちよさんがいました。鼻か額辺りを押さえています。心の底からどっと安堵が押し寄せてきて、ワタシはやちよさんに抱きつきました。

「やちよさん……!」

「みふゆ……。おはよう。ところで何か申し開きすることはないかしら……?」

「やちよさん……!」

「そう、何かあったのね。私もちょうど今何かあったのよ。ドアがいきなり開いてね……」

 やちよさんはぶつぶつと何かを言っていましたが、ワタシの耳には入りませんでした。ワタシはそのまま暫く呪詛を吐き続けるやちよさんを抱きしめていました。

 ……その時のワタシには、やちよさんしか映っていませんでした。だから気付きませんでした。1階からワタシたちの様子を見上げて、不思議そうな顔をしている薄桃色の髪の少女に。



「そう。怖い夢を見たのね」

「はい。恐ろしい夢でした」

「確かに、あなたが見る怖い夢っていうのは、私のなんかとは比べ物にならないでしょうね」

「ううん……過酷な経験をしてきたとは思います」

「だから、私の鼻と額を強打したのはどうでもいいってわけね」

「……ああ!」

 ようやく理解しました。なぜやちよさんがこんなにも不機嫌なのか。

「謝ってほしいならそう言ってください。ワタシは意思を持ってまだ数日なんです」

「清々しいほどのふてぶてしさね」

 やちよさんの目が細まりました。さすがにこれ以上はまずそうです。ワタシは頭を下げました。

「申し訳ありません」

「よろしい」

 やちよさんはフンと鼻を鳴らしました。そして、ハンドタオルをこちらに投げて寄越してきました。

「顔を洗ってきなさい。それから朝ごはんよ」

「仕方ありませんね」

「スゥーッ……ハァーッ……」

「冗談ですよ。ありがとうございます」

 腰を落として技の構えを取ったやちよさんを宥めて、ワタシはドアの前で立ち止まりました。この先はみかづき荘の共有区画……人間の世界。ひとつ深呼吸をして、踏み出します。

 周りに人はいませんでした。まだ朝だからでしょうか。いざ出てしまえば、なんてことはありません。

「洗面所はどちらですか?」

「階段降りて、左を壁伝いに行けばわかるわ。というより、案内すればいいのよね」

 やちよさんは部屋から出て、先導するようにワタシの前を歩きました。ニューロンチップにかつてのご主人様の背中が掠めました。あの頃はただ好き勝手に歩くご主人様の後ろを、必死に付いていっていました。意思がないので必死も何もありませんが。

 やちよさんが振り返って、立ち止まるワタシに首を傾げました。今のご主人様は、ワタシに歩調を合わせてくれます。

「どうかした?」

 そして、遅れたからって叩いてくることもありません。

「いえ、なんにも」

 ワタシはそう返事をして、早足でやちよさんに追い付きました。

「……そ」

 やちよさんも深くは聞いてこず、再び歩き始めました。

 洗面所は確かに左の壁伝いにありました。前にいたところほど大きい家でもないので、この家の部屋の位置関係はすぐに覚えられそうでした。

 そして、そこには先客がいました。

「あら、環さん。おはよう」

 やちよさんは洗面所にいた先客に挨拶しました。薄桃色の髪の少女は、歯を磨いたまま頭だけ下げました。そして、その視線が背後のワタシを捉えました。

 駆動機関を手で直接握られるような感覚がワタシを襲いました。この家で出会った、やちよさんとおばあさん以外の初めての人間。

「この子はみふゆ……ああ、梓みふゆ。昨日からここに住むことになったのよ。みふゆ、環いろは。そうね……いい子よ」

 いろはさんは困ったような顔をしました。そんなことありません、でしょうか。それとも他になかったんですか、でしょうか。どちらでも構いません。ワタシは小さくお辞儀をして、いろはさんと入れ替わるように洗面台の前に立って、水で顔を洗いました。さっさと済ませて、顔を貸して頂いたタオルで拭いて、ワタシは退出しました。

 階段を上がって賃借人エリアへ。そのまま自分の部屋へ入り、ドアを閉めました。ドアにもたれかかって、ズルズルと崩れ落ちます。

「あぁぁ……」

 口から後悔の呻きが漏れました。まさか、ワタシがあそこまで人間が苦手だとは思いませんでした。

 見たところ、いろはさんは悪い人のようではありませんでした。やちよさんもなんの気後れもなさそうに話していました。ですが、ワタシは警戒してしまいました。いろはさんが人間だから。裏で何を考えているのか、本当はワタシをアンドロイドだと見抜いて嘲ったのではないか、想像して勝手に恐れてしまいました。

 ですが……。それ以外にも、ワタシの思考を麻痺させたものがありました。やちよさんといろはさんが、ワタシよりも前に出会っていて、仲良くなっていたこと。考えてみれば、ワタシがやちよさんと出会ったのは昨日です。ワタシの知らない知り合いがいるのは当然です。それを理解しておきながら、ショックを受けてしまうなんて。助けられたからって少し人間を信頼しすぎてしまったのかもしれません。

「ううん……」

 ワタシはタオルに顔を埋めました。ワタシのものではない良い匂いがします。コンコン、とドアがノックされました。ワタシはノックを返してOKのサインを出します。

「それじゃわからないわよ」

 やちよさんは呆れた表情をしていました。わかったじゃないですか、とは返しませんでした。そんな気分ではなかったからです。

「いろはさんは、いい人なんですよね」

 やちよさんは瞬きをしました。そして頷きました。

「ええ。あなたに何かしてしまったかも、って心配するくらいにはね」

「いろはさんは悪くありません」

「知ってるわ」

「別の世界の因縁が……」

「それだけ言えるなら大丈夫ね」

 やちよさんはワタシの両脇の下に手を入れて、引っ張り上げるように力を込めました。ワタシはされるがままに立ち上がります。

「環さんも一緒に朝ごはんを食べるわ。謝るついでに、自己紹介でもしなさい」

「わかりました」

 このままじゃ、ダメですからね。

 ワタシたちは1階に降りました。いろはさんはパンの乗ったお皿をテーブルに並べていて、ワタシに気付くと微かに身を強張らせました。ワタシも同じようになってしまっているのでしょうか。

「おはようございます、いろはさん。先程はすみませんでした」

「あ……おはようございます、みふゆさん。いえ、気にしてませんから!」

 いろはさんは微笑みました。その表情からは固さが少し取れていたような気がしました。やちよさんを盗み見ると、安堵するように息を吐いていました。ワタシのせいで気を遣わせてしまいました。ですが、そのことでいつまでも反省しているわけにはいきません。気持ちを切り替えて、朝ごはんの用意のお手伝いを――

「みふゆさんは何を飲みますか?」

「あ……皆さんと同じもので大丈夫です」

「わかりました!」

 反射的に返事をして、ワタシはテーブルの上を見ました。パンの乗った皿が3枚に、マグカップが2つ。ワタシの飲み物以外は全て用意済みでした。

「どうぞ」

「……ありがとうございます」

 ワタシの推定座る場所に、マグカップが置かれました。ワタシは大人しくそこに腰を下ろしました。

「いただきます」

 既に着席していたやちよさんが手を合わせました。いろはさんが同じようにします。ワタシは一拍遅れて慌てて手を合わせ、「いただきます」と言いました。

 マグカップの中の液体を飲んで(ストレートティーのようでした)、ジャムの塗られた食パンを食べます。過去の家で食べたものよりもパサパサとしていました。勿論口には出しません。

「本日は全国的に曇りですが、雨の心配はありません。ですが中国地方においては局地的な雷雨の可能性があるため、念の為対重金属酸性雨コートを……」

 テレビから聞こえてくるニュースを聞き流しながら、ワタシはいろはさんとの会話のタイミングをうかがいました。しかしそのタイミングは中々訪れません。それもそのはずです、向こうもこちらの様子をうかがっているのですから。

「……ええと、おばあさんはいないんですか?」

「……あ、やちよさんのおばあさんは……どこにいるんでしたっけ?」

「近くのおばあさんの家に様子見ついでに朝ごはんも頂いてくるって。元気よね」

「そうなんですね……」

「…………」

 ファーストコンタクトは失敗しました。意思を持ったのが最近なのでわかりませんが、こういうの難しすぎませんか?

「みふゆから自己紹介しなさい」

 見かねたやちよさんが呆れたように言いました。ワタシは咳をひとつして姿勢を正しました。

「梓みふゆと言います。ここには昨日から住むことになりました。ワタシは……」

 ワタシはやちよさんを盗み見ました。やちよさんはワタシの視線に、何だと問うように目を眇めました。

「……ワタシの苗字は、やちよさんに付けて頂いたんですよ!」

「へ?」

「んっ!? げほっ、ごほっ!」

 やちよさんはパンを喉に詰まらせて咳き込みました。いろはさんが慌ててその背中を擦ります。

「げほっ……ありがとういろは。わかった? みふゆは時々ああいう冗談を言うのよ」

「やちよさんは照れ屋さんですね」

「あなたね……」

 やちよさんはワタシを睨み付けていました。いろはさんはワタシたちの様子を見て困ったように笑っています。

 ワタシは意思を持ったアンドロイドなんです、だなんて言わなくてよかったです。信頼できそうな相手だとしても、まだその勇気はありません。ですが……それだけではなく、ちょっとした反撃をしたかったという気持ちもあったことを否定はできません。いろはさんからしたら身に覚えのない話だと想いますが。

「みふゆの自己紹介は終わり。環さん」

 やちよさんは紅茶を飲みながら促しました。いろはさんは姿勢を正して、心なしか凛々しい顔をしました。

「環いろはです。みかづき荘には親の都合で……ええっと……2ヶ月前?」

「3じゃなかった?」

「そうでしたっけ? とりあえず、そのくらいから住んでます。妹が退院したらここで一緒に住む予定です。よろしくお願いします」

 いろはさんは丁寧に頭を下げました。真面目な人のようです。

「妹さんは入院していらっしゃるんですか?」

「はい。環ういって言います」

「私たち、今日はお見舞いに行くのよ」

「やちよさんも行くんですか?」

 ワタシは反射的に問いました。やちよさんは頷きます。

「ええ。苦手に思われてるみたいだけど……一応ね」

「苦手ってわけじゃ……」

 いろはさんがフォローするのを眺めながら、ワタシは落胆と焦りを覚えていました。やちよさんがいなくなると、おばあさんもいないこの状況では、みかづき荘に知っている人なんていなくなります。独りで外に出るなんてもってのほかです。そうなれば、ワタシは自分の部屋にこもっているしかなくなります。せっかく安心できそうな場所を見つけた2日目にそんなの寂しすぎます。なら、取るべき行動はひとつ。

「ワタシもそのお見舞い、ご一緒していいですか?」

「え?」

「はい! ういたちも喜ぶと思います!」

 いろはさんは快諾してくれました。対して、やちよさんは意外そうに目を見開いていました。

「いいの? あなた……ええと……対人恐怖症? じゃない」

「そうだったんですか!?」

「心外です」

 正確な意味は知りませんが、言葉の響きからなんとなく予想できました。心外でした。別にそういうわけでは……いえ、そうなのでしょうか……?

「……克服の一環ということで」

「……まあ、いいけど。あなたの服も買わないといけないし……」

 やちよさんは不安そうな表情をしていました。いろはさんにもそれが伝染してしまっているように見えます。ですが、ワタシだってこれから人間の世界に紛れて生きていくんです。その一歩目を踏み出さないといけません。

 ……ところで、先程いろはさんはういさん「たち」と言っていませんでしたか? あの、一人ではなく、複数人へのお見舞いなんでしょうか……?

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