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攻殻機動隊SAC_2045シーズン2一気見感想&解らなかったとこ書いてみた。『N』って何?

※攻殻機動隊SAC_2045シーズン2のネタバレを含んでいます。それでも読んで頂ける方はNになってください



こんにちはNするためすらぷるためです。

Netflixで攻殻機動隊SAC_2045シーズン2ついに始まりましたね!コロナを挟んで時間がかかってますが長年の攻殻ファンとしては待ちに待ちました。前シーズンよりも画面のテクスチャ(物体の表面の質感)とか演出のクオリティが上がってたような気がします(キャラの髪の毛の光沢とかツヤッツヤでしたよ!)

毎度面白過ぎて、先日最後まで一気観したんですけど、今回もNっトは広大でしたね、バカ感動しました。(ここでいうバカとはバカにならないほど感動した、という意味です)特に最後のシマムラタカシが少佐に運命を託すシーンとか凄かったですね。

これは「僕は好きなようにやった、次はあなたの番だ」的なポストヒューマンのNュートラルで根は争いと支配を好まないタカシの気質に現れた「寛容さ」が現れていたシーンだと思いました。何それタカシめっちゃかっこいいなタカシマジリスペクト。これもタカシが真にNになっていた故の行動ではないでしょうか。あと少佐とタカシが会話するシーンはSACの笑い男との会話を彷彿とさせましたね・・・

前作の攻殻のオマージュも盛りだくさんで今回一番オマージュが多かった気がします。プリンが蘇生した後全裸で車止めるシーンとかもろ前作のAIの人形使いやん、(プリンもAI搭載のアンドロイドで条件が同じ)

そして「Nットは広大だわ」と言い放ち高層ビルから飛び降りる素子さんを観た時、攻殻ファンなら「出た〜〜!」と心の中で叫んだことでしょう。ポストヒューマンのミズカネスズカが載っていたバイクやカーチェイスシーンの演出を見ると「なんかAKIRAっぽいぞ!?」と思ってしまったり、、、

というようにこんな感じで昔の出来事を想起してしまう自分は完全に「郷愁ウイルス」にかかってしまったようです。現実の視聴者にもそういう郷愁を思わせる狙いがあったような気がしました。

あと今作頻繁に出てくるキーワード「N」について少し考察してみました、「Nってなんだ?」って何回も言われると「N」気になるやん


N=Null

Nullはドイツ語で数字の「0」(ゼロ)を表す語らしいです、「何もない」という意味なので、トグサのように、ある人がNになると人の視界から消えて見えなくなる、というのはここから来ているように思われます。そしてNポは2ちゃんねるなどで使われていた用語「ぬるぽ」から来ていると思います。「ぬるぽ」はプログラミング言語であるJavaにおいて、処理に異常が発生したときに表示されるメッセージNullPointerExceptionの略です、なるほど!N領域のなかでトグサがイレギュラーな扱いでまだNになっていない状態をぬるぽ=Nぽと言われていたワケですね!

N=Nationalizm国粋主義

今回サスティナブルウォーに乗じてレイドを起こしている連中はどこかきな臭くて、個人的には「NってnationalizmのNか??」なんて思っていました。とても重要だと思ったのは江崎プリンを乗せた青年との会話のシーンです。理想を追い求める革命戦士になる!と言って武器をとったりするところは70年代の連合赤軍で、そしてこの青年は、もし彼女ができたらエヴァの綾波レイのようなプラグスーツのコスプレをさせるんだ、と意気込んでいる「オタク」のような人でした。

プリンが彼の電脳を覗くと電脳線が溶け出していて、まるで白昼夢を見ているのではないか!?とのことで「コイツ中途半端に解脱しちゃってるなぁ」というプリンのセリフ、この解脱という言葉から、この理想の為に戦おうとしている青年は「オタクの連合赤軍」という位置なんだと思います。これは90年代当時のオウム真理教の信者を指して呼ばれた言葉で、解脱というセリフもここからきている気がします。おそらく連合赤軍もオウム真理教もダブルシンクの作用が悪い方に働き、総括やポアを「良し」としてしまったモデル、として作中に現れていたのではないでしょうか?

お前、浄化が終わってこっちじゃ透明な存在になれたんだろ?

攻殻機動隊SAC_2045 エピソード5 ROOM101/夜と霧  

しかし重要なのは、真にNとなり進化した者は、目指す理想や革命を放棄している存在ということです。ビッグブラザーを助ける側に回るというのは1A84に個人の電脳を最適にチューニングされる管理社会(Nの世界)に染まるということです。
今で言うとネットをしているときにAIによるアルゴリズムによって興味のない広告を視界から遮る行為ですね。この「興味ないもの、都合の悪いものは初めからなかったことにする」ということを現実世界でも五感を通して実現してしまう状態を「Nになる」と言っているような気がしました。

例えば「犬が苦手だから犬に会いたくない」と思えば現実世界で犬が視界や概念に入らないように1A84によって「見えなくなる」ように電脳がチューニングされるようになるのではないかと思います(なんか怖いな)SNSのフィルターバブル現象のような状態を「N」になれば現実世界にも反映されるようになり、お互いにノイズになるような異なる世界とは一切触れることなく幸せに暮らせるようになります。

N(Null)になれた人は姿が見えません、レイドを起こして革命しようとしている人々はトグサと会話していた女子高生達をも含め「自分はNだと思い込んでいるNになり損ねた人々」だったのではないかと思いました。この、東京で武装してレイドを起こそうとしていた人々が、シマムラタカシが最後に言っていた「Nになりきれず意識だけが進化した人達」なんだと思います。

他にもNの意味はNet(ネット)とかNostalgia(郷愁)とかが該当しますが、9課のメンバーが頻繁に「Nってなんだ?」と視聴者に疑問を投げかけるセリフがあるのがポイントだと思います。「N」という表現が抽象的なので、逆に様々な言葉の頭文字に様々な解釈でNを当てはめることができるので、結果無数の世界が生まれる→各々の生きたい世界を生きている、ということに繋がるような気がしました。

(解らないことがまだありますが結論を断定しないことで他の方の物語解釈に多様性が生まれる余地を残す!というダブルシンクを発動してここは良し!とします!!!!!!!!!!!)

トグサがNから脱出する時のシーンについて

5/31追記※
今回のキーワード「N」についてモヤっていたのですが、それを理解するエピソードに、トグサが敵のアジトから脱出する話がありました。あれはかなりのヒントシーンです。あの場面は「ダブルシンクでNになりかけていたトグサを少佐が引き戻した」ということだと思いました。

ダブルシンクはざっくりいうと「戦争は平和である、という言葉のように一つの言葉に相反する意味を持たせて、理屈をこねくり回し、どんなことが起きてもヨシ!とする」行為なんだと思います。

なので究極を言うと、理不尽な理由で自分が死ぬことがあってもダブルシンクで心を平穏に保ち、それを受け入れてしまうというのが、トグサの諦めて死を受け入れる場面になっていきます。その直前に少佐の助けもあって、理屈を超えた自身の中にある郷愁や欲求に従い、最終的にトグサは銃口を遮って抵抗します。

トグサの死に抗う動機が「愛する家族を思い出す」ことなのが、渋すぎて好きすぎてもう3回くらい観直しましたほんとうにありがとうございました。

300万人のNが集まっているように見えない理由

上でも述べたように、真のNは他人の視界から完全に消えて別世界で生きるような存在です。おそらくシマムラタカシ(ビッグブラザー)の仮想現実を実際に存在させるような力でN世界が担保されています。最終話に出てきたNの会場にあった無数のポッド、多分このアニメを観ている自分とか少佐には見えていないだけで全てのポッドの中にはNになった人が入っていたんじゃないかな・・・・

N(Net)の領域はその世界だけで繋がれたり見えたりするオンラインゲームのサーバーが現実になったもののような感じがしました。トグサの目の前にいきなり露店が現れたり、Nぽを取り締まるためにいきなり思想警察が現れたりするのもこのためです。さらに言うと現実世界にバーチャルな人間や物が存在できると言うのは、AR技術の強化版みたいな感じでしょう、シマムラタカシの力でARで画面上に映った物体や人間に、実際に触れて感触を感じたり会話ができるようになっていたのだと思いました。今回キャラクターがCG造形なのはこの「仮想現実が現実に現れてくる」というテーマがあるからで、この表現のおかげでN化した東京の仮想空間感が半端ないですね!Nになりきれずに意識だけが進化した人たち「意識高い系」は令和で「意識他界系」になったのです!

トグサを助けたカナミが壊れた歩道橋を大ジャンプで乗り越えるシーンは、オシャウスキー姉妹の「マトリックス」でネオがビルを飛び越えるシーンのオマージュだと思うのですが、まさにトグサが踏み込んだNの領域はN専用の仮想空間なのでしょう!


最後、少佐はタカシのプラグを抜いたか否か

最後のシーンもプラグを「抜く」「抜かない」の両方のダブルシンクができるように描かれていると思うのですが、個人的には「プラグは抜かなかった」に5兆円賭けたいと思います。上の方でも書いたように、脅威的な演算能力を持つポストヒューマンのタカシならいくらでも少佐をアジトに来させないようにする事はできたと思うのですが、少佐が来る可能性がわかっていたにも関わらずそうしなかったのはおそらくわざとです。

そして少佐は「現実と夢の区別がないロマンチスト」です。異分子(ノイズや葛藤)を見つけてもすぐに「観なかったこと」にしたり「完全に排除」しようとすることはせずにそれを受け入れて、ある程度の寛容さがある人物だということをタカシは計算していたのだと思います。しかも抜いても抜かなくても、Nにならなかった人とそうでない人の間で問題は起こらない気もするので、自分は「プラグは抜いてない」派です。

攻殻機動隊は見直すと最初分からずモヤっていたところがだんだんわかるようになるのがやっぱいいですね、ただ一人で考え込むとどんどん沼にハマるのが攻殻だと思うので他の考察なども見ていきたいと思います。今回は個人的に攻殻シリーズの中でも最高傑作だと思いました。

2023.9.20追記
だいぶ前ですが考察動画作りました!

おわり

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