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子宮全摘なんて、なんてことない

ガマルジョバ!(こんにちは!)
ジョージアの黒海から、surf anneです🥰

私の日課のひとつ、一日の終わりに5年日誌を書くこと。

ちょうど1年前の今日書いた日誌を読み返したら、こんなことを書いていました。

2023年3月27日(月)

1ヶ月ぶりに仕事復帰した。
予定通り、望み通り、本当に本当にありがとう。
○○Dr.、夫、入院中にもLINEをくれた同僚、待っていてくれた上司、
そして父、母、姉
全てみんなのおかげ
心から感謝したい。
朝起き見上げた青空、
なにも変わらない街の景色
だけど私の心はこんなにもこんなにも違う。

2023年3月27日
子宮全摘、左卵巣腫瘍(チョコレート嚢胞)及び両卵管切除手術、
入院を乗り越え
職場復帰した日です。

今日はどうしてもnoteに書き留めなければいけない日だと思い、
今こうして記事を書いています。

一年前のことをnoteに書き留めようと思った日は、
子宮筋腫の治療を開始した日でもなく、
私の子宮とさよならした手術の日でもなく、
退院した日でもなく、

職場復帰をしたこの日でした。

生まれ変わった身体で社会へ出たこの日

今こうして海外暮らしをしていると
日々私の人生観が大きく変わるようなことで溢れていて、
あんなに辛かった治療の苦しみなんてちっぽけなことに感じてしまう時もあるけれど、

私はあの日を忘れない、決して忘れてはいけないと思うのです。

職場のみんなに励まされ見送られながら休職した日から、たった1ヶ月後のこと

たった1ヶ月、けれど私の人生で一番長く感じた、
まさに戦い抜いたひと月。

一年とういう自分自身の区切りのためにも、改めて私の病状を振り返ると…


妊婦さんと間違われた私

私が大きく育ててしまった子宮筋腫は、
約20㎝×10㎝/1.3㎏
とあまりにも巨大で、
初診では、この大きさに名医の先生が失笑してしまうほど (笑)

1.3㎏の塊を抱えて歩く私の姿は、まさに妊婦さんで、
(しかも体重は今よりプラス10㎏)、
会う人会う人に、「おめでたですか?」
とよく言われていました。

「おめでたならいいんですけどね…違うんです」
なんて頑張って笑顔で答えていましたが、
そのたびに深く傷ついていた私。

それでも治療には恐怖しかなくて、なんとかごまかしながら日常生活を続け、病院にはなかなか足を運べないでいました。

スーパーDoctorとの出会い

そんなふうに放置していた筋腫ですが、
いよいよ全力で私を苦しめはじめたのか、
日常生活にも支障が出始めました。

生理の時は、子宮の痛みで歩けないほどつらく、
トイレで気を失うことも多々あり、
生理時であろうと、今までは何とか我慢して出社し仕事をこなしていましたが、貧血がひどくついには早退してしまうほど。

生理時以外の日でも腰痛など痛みに襲われ、
休みの日もベッドで横になって過ごす日がありました…

さすがにこれではいけないと決心し、
恐る恐る婦人科へ🏥

治療するならこの先生へお願いしたいと思っていた先生との初診。
あまりの筋腫の大きさに失笑していた先生でしたが、

その後に続いた言葉は、

「10人の医師がみたら、10人が開腹手術しかないと言うでしょう。
でも私には、腹腔鏡手術で可能かもしれない、
約束はできないけれど、一緒に頑張ってみましょう」

とおっしゃってくださいました。

それからの半年間は、手術に向けてのホルモン注射を毎月打ち、
副作用の更年期症状もちゃんとやってきました💧

元が大きすぎたため、注射で小さくなった筋腫はわずかでしたが、
注射の効果はちゃんと出ているよ、
と毎月診察のたびに先生は励ましてくださいました。

子供は一人でいいから作りなさい

これは、私の実の母と義理の母に何度も何度も…
言われていた言葉です。

そして私には全く響かなかった言葉でもあります。

当時結婚して8年、子供のことはお互い特に考えることも話し合うこともなく、
仕事に趣味に、ペットとの暮らし、海外旅行にと自分たちの人生を好きなように生きてきました。

そしてあっという間に40歳を迎え、気づいたら私の子宮は出産どころじゃない様子…

子宮を残す方法もあるけれど、
そうなるとこの大きさでの腹腔鏡手術は難しく開腹手術を選択せざるを得ないこと、子宮がある限りその他子宮に関わる疾患を発症する可能性があること、
もし出産を望まないのであれば、子宮全摘がいいと思う、というのが先生からの説明でした。

出産については頭のどこかで漠然と考えていたのでしょうか。

私は子供が欲しいと考えたことがあったのでしょうか。

考えていたのなら、こんな重症化するまで筋腫を放置していなかったはずだと思いました。

改めてこれからの人生のビジョンを考えましたが、
私の描いているこの先の人生は、子育てをして子供と歩む人生ではなくて、
これからも夫と見たことのない景色をたくさん見て、
もっともっと世界を知りたい!

そしてインコのサーフとずっと一緒に暮らしたい。

というもので、答えはとっくに出ていたんだと気づかされました。

それでもいざ治療を進めていくなかで、
「子宮全摘の選択でよろしいですか?」
と先生に改めて確認されると、
その言葉はあまりにもリアルで露骨なかんじがして、
本当に自分に向けられている言葉とは思えない感覚に襲われました。


子供を産まないのではなく、産めない身体となってしまうこと

出産を望まない人生を決断したはずなのに、
その事実は思っていたより残酷で、私は女性ではなくなってしまうのか?
そんな考えも浮かびました。

そして迎えた手術

腹腔鏡でいけるよう全力を尽くしますが、
実際は実物をみて、開腹手術へ移行する可能性もあるとの説明で臨んだ手術。。

結果、腹腔鏡のみで手術は成功!
6時間に及ぶ大手術、

手術前日まで、先生に小さい穴だけで済むよう懇願していたわがままな私 (笑)
そのせいもあって手術後先生に言われたのは、
「お腹見た?本当はあと1㎝くらい穴開けたかったけれど、強い要望があったから、小さい穴で頑張ったよ、目立たないでしょ?」

先生ありがとう、感謝しかありません😭

子宮全摘後の私を待っていた世界

退院から今日までの一年、
妊婦さんと間違われていた私は10㎏の減量に成功し
ランニングを趣味とし今も走っています。

夫婦で夢だった海外移住の準備も本格的に始め、
今はこうして海外で暮らしています。

今の私は、生理も来ない身体なのでとっても身軽で、
海外生活でも生理用品に悩むことがないし、
薬だってなんにも飲んでいない。

退院後の趣味となったランニングだって毎日走ろうと思えば走れる。

生理がないおかげで、いつでも大好きな温泉やサウナに行けるのに、
ここにはないことが悔しい。


1年前の今朝、ベランダから見上げた青空

なんだってできる気がした前向きな気持ち

軽くなった全身で感じた外の風

お腹の膨らみを隠すため着ていた服を処分した日

自信をもって颯爽と歩いた街の景色

手術までは、子宮がなくなること、
子供を産まないのではなく、産めない身体となってしまうことに
抵抗があり、
子宮全摘を決意したはずなのに、心の片隅では怖く複雑な思いがありました。

それが今はどうでしょう
「そいいえば、私って子宮ないんだった(笑)」
「生理ってあったねぇ…」
とたまに思い出すくらい。

もっと早く治療を始めていれば良かったと後悔がないわけではありません。

しかし40歳を迎えて今後の人生と向き合えたあのタイミングこそが、
出産というもの完全に断ち切り、私に子宮全摘を決断させたのだと思います。

かつての私と同じ苦しみを抱えている方へ

私の場合は、子宮筋腫と卵巣腫瘍の治療でしたが、
その他多くの症状で治療中であったり、
言ってしまえば私の子宮筋腫なんて病気ではなくて、
悪性腫瘍など、もっと深刻な症状で苦しんでいる女性がたくさんいらっしゃると思います。

子宮全摘となると、子供を産む・産まない問題にも悩まされます。

私の周りだけを見ても、

婦人科系の病気とは一切無縁で子供を3人も授かっている女性がいれば、
不妊治療がうまくいかず、妊娠をあきらめた女性がいて、
生理痛ってどういうの?と聞いてくる女性もいれば、
健康な子宮があるのに、子供は欲しくないという女性がいたり。

どんな女性も、子宮があってもなくても、

みんなそれぞれ

わたしはわたし✨

そして、子宮全摘で悩んでいる方に心から伝えたい。


手術を乗り切れば、身も心も軽くなった晴れやかな人生が待ってるよ!

「あの時は苦しかったね」って笑える時が必ずくるよ!

大丈夫だよ!

子宮全摘なんて、なんてことない! 

前を向いて堂々と歩こう! 

たった一人の体験談に過ぎませんが、
この記事が一人でもいいからどなたかの背中を押し、
励ましとなれれば幸いです💐



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