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断酒336日目

今夜は鯖の蒲焼を作ってみた。料理酒を使っているので、アルコール分はしっかりとばす。これ、ポイント。

先週程妻の体調は悪くないが、夕食は惣菜パンですましている。

今日は、昨日の記事の続き。ニュース番組でやっていた、「酒蔵」の特集について。

とある酒蔵に、酒の仕込みの手伝いにやってきた親子。

娘が10歳になったのをきっかけに、お父さん、ある思いでやってきました。「(娘が)20歳になった時に、一緒に飲めるお酒を造りたいなと。ただ単に親のエゴです」娘の10歳を記念し仕込むお酒。10年後の成人式までとっておくそうです。小さな酒蔵でも人が人を呼び、そして歴史をつないでいくのです。

この父親は、10歳の娘が成人を迎えたときに一緒に酒を飲みたいという夢を持っているようだ。その日を心待ちにして、親子で酒を仕込んだという。

彼に限らず、「自分の子どもと酒を一緒に飲むのが夢です!」と、いう話はよくきく。

しかし、これを、「はあ~素敵!夢が叶うといいですね☆」と、ほっこりな気持ちで、美談にしてはいけない。

なぜなら、これはそのまま、「自分の子どもとアルコールという”ドラッグ”を一緒にやるのが夢です!」と同義だからだ。

親が酒好きなのは勝手であるが、我が子をも道連れにしようとしていること、しかも、それを「夢です!(キラキラ)」というニュアンスで語ることに違和感を感じた。

そもそも、自分の子どもが酒を飲むかどうかを選択するのは、当たり前の話であるが、自分ではない。

一月の大学入試共通試験の日、東大前で刺傷事件が起きたとき、ブログにこんなことを書いた。

これは憶測でしがないが、加害者少年のプレッシャーは相当なものだったろう。「絶対に我が息子を東大医学部に合格させるぞ!」と、ひたすら勉強することを我が子に強いて、その期待に応えようと頑張ろうとする少年。だが、思いどおりに結果が残せなくて、ヤケになって、無差別テロまがいなことを、しでかしてしまう。
当然ながら、親の子育ても思い通りにはいかない。当たり前の話であるが、親子であっても別人格なので、親の望み通りに子供が育って、親の望み通りの人生を歩んでくれるとは限らない。

親子であっても、別人格だ。

一緒に丹精込めて仕込んだ酒を、娘が飲んでくれるとは限らない。「飲んでほしい」と思うのは、親のエゴである。(幸い、記事中の父親は、その点については理解しているようだ)

もちろん、私は近い将来生まれてくる我が子に、将来酒を飲ませたいとは思わない。

しかしながら、私もまた、それを我が子に強制する権利がないことは、当然ながら、肝に銘じなければならない。

酒の話だけでなく、我が子に対して望むのは、様々な選択肢のメリット・デメリットを理解し、責任を引き受ける気持ちを持って、行動するような人になりなさいということだ。(ちなみに、酒を飲むことにメリットがあるとは全く思えないが・・・)

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