終わりが、始まる。

日付は忘れてしまったが、中学3年の4月、私はあなたたちに出会った。
数多の動画に溢れるYouTubeのおすすめ欄に一際目を引くサムネイル。
真っ白な顔と青黒い地面とのコントラストが、私の指を引き寄せた。
その指をぐっと掴んで私をこの世界に引き込んだ。
それが欅坂46だった。

少しだけ自分の話をさせてもらうが、私は当時学校に行っていなかった。
目立つ性格をしていたのが悪かったのか、クラスの人達から無視されたり持ち物を壊されたりしたことが少しずつ心を壊していったのだと思う。保健室登校をしていたこともあったが、一緒に保健室登校をしていた友達が自殺してしまったことがきっかけで「私はこの世界にいたら殺されてしまう」と感じて、登校することから逃げた。そんな自分が許せなかった。

「受験生なのに」
「部長なのに」
「学級委員なのに」
「どうして?」
「なんで?」

こっちが聞きたい。
どうして私は学校に行けないの?

子供の役割は学校に行くことで、その役割を放棄した私は社会不適合者の焼印を押されたようだった。

みんなと同じようには生きられない
みんなと同じ価値観は持てない

ためらい傷だけが増えていく
そんな毎日だった。

そんな日常に現れた欅坂46は救世主だった。
夜中にこっそり自室にノートパソコンを持ち込み、次から次へとMVを見た。
私をハマらせた不協和音に始まり、代表作のサイレントマジョリティー、爽やかな世界観の世界には愛しかない、切なく儚い二人セゾン。
「みんな揃って同じ意見だけではおかしいだろう?」
「僕は普通と思ってる、みんなこそ変わり者だ」
「見栄やプライドの鎖に繋がれたようなつまらない大人は置いて行け」
「あんたが私の何を知る」

これは私だ。私のことを歌ってるんだ。
初めて不協和音を聴いた時に強く思った。

素晴らしい楽曲にパフォーマンス。
彼女たちがアイドルだなんて忘れていた。

毎晩のように「欅坂46」で検索して、沢山MVを見て、バラエティーも見て、ブログも読んで。
少しずつメンバーの名前も覚えた。
その頃には学校に行くようになっていた。
欅坂の歌詞を心に留めて、人の目を気にせずにひたすら勉強した。辛いことをされたら帰った後に泣きながらエキセントリックを聴いた。無視されたら不協和音を聴いた。私がギリギリ学校で戦えていたのは欅坂46のおかげだった。

1stアルバムが発表されたときはすごく嬉しかった。聞いたことがない楽曲が並ぶ収録内容に心が踊った。生まれて初めてアイドルのCDを買うことにした。
おばあちゃんからもらったお小遣いを握りしめ、
発売日の放課後に近所のCDショップに走った。
乱れた制服に汗まみれの顔で店員に詰め寄った。

「真っ白なものは汚したくなるっていうやつありませんか!!!???」

「えっと…当店の入荷は明日以降になりますね〜」

田舎を呪った。私は生まれ故郷を呪った。
なんで発売日にないねん。発売日の意味ないやろ。
関西出身ではないが関西弁のツッコミが止まらなかった。そして私はその時中学3年生にして「予約」を覚えたわけだ。

話が逸れたが、なんだかんだ私はアルバムのtypeBを無事に後日ゲットした。なぜtypeBかというと、typeBしか入荷していなかったからだ。そこらへんもまあ中学生らしい。

アルバムには初めて聞く曲が沢山入っていて、すごく嬉しかった。何度も何度も繰り返して聞いた。AM1:27を初めて聞いた時の衝撃は凄かったし、夏の花は向日葵だけじゃないを聞いてこんなに歌が上手いアイドルが存在するのかと感嘆した。

私は欅共和国や全国ツアーなどのライブには1度も行ったことがない。家の方針で、未成年のうちは県外に行けなかったからだ。ライブの日はまとめサイトとTwitterを往復して情報を集め、在宅ライブを個人的に開催していた。

私が平手友梨奈という存在を痛感したのはTIF2017の様子をTwitterで追っていた時だ。
「平手やばい」「てちの顔死んでる」そんな言葉がズラっとTLに並んだ。次々とアップされる彼女の姿は思わず言葉を失うほど痛々しかった。長い間パソコンを見つめている私にむけて母が声をかけてきた。その時に、私の中で何かが溢れた。泣きながら「平手友梨奈ちゃんって子が好きなの…その子がしんどそうなの…」
と言った。母は驚いていた。私が人のことを思って泣いている姿を初めて見たからだろう。
どういう涙だったんだろう。悲しさ、心配、不安。様々な感情が私から溢れた。


その時にはもう、私の中で欅坂46は、平手友梨奈は、ものすごく大きな存在になっていた。

会ったことのない、話したこともない、ましてや相手は私の存在すら知らない。それなのに心配で心配でたまらなかった。
そこから全国ツアーまではしんどかった。名古屋公演で彼女の欠席が発表された時、心から「休めてよかった」と思った。
賛否両論があると思うが、武道館がひらがなちゃんに変わった時も、2ndアニラ欠席の時も、私はただただ彼女が休むことを受け入れる大人が彼女の周りにいることがすごく心強かった。


それでもやっぱり、彼女がいる欅坂46は強かった。
2017年全国ツアーの千秋楽、リベンジの武道館、東京ドーム、紅白。
円盤化したものとテレビ放送は見ることが出来て本当に嬉しかった。
出演が決まった時からそわそわして、録画して、家族みんなに知らせて、誕生日プレゼントに買ってもらった推しメンタオルを握りしめてテレビの前で待機するのが幸せだった。
毎回100%のパフォーマンスとはいかなかった時もあったが、私にとって欅坂46をテレビで見られることがすごくありがたかったから、顔を見られただけで嬉しかった。
特に2019年の年末は素晴らしかった。
避雷針、月スカ、風吹かとアンビバのメドレー、二人セゾン、黒い羊、角を曲がる、そして、不協和音。

1つずつ音楽番組出演が終わる度、私の中で小さな違和感が生まれた。それは紅白歌合戦の不協和音を見た時に確信に変わった。

テレビで彼女を見ることが出来るのは、
最後かもしれない。

私はずっと覚悟ができていたような気がする。
いつ消えてもおかしくない人だった。
むしろ、よくここまで残ってくれたと思う。
捧げてくれたと思う。
辞めるタイミングはどこら中に転がっていただろうに。

それでも最後の最後まで私たちに最高のパフォーマンスを見せてくれた。最後まで背中を押してくれた。
支えてくれた。


ありがとう。本当にありがとう。
出会ってくれてありがとう。

ドキュメンタリー映画が決まった時、なぜか義務感に駆られた。見なきゃいけない。
だって、だって、

私は1月23日で時が止まっているから。

再生しなければ、いけないから。
前を向かなければ、ならないから。

今まで避けてきたものと向き合おう。
彼女が背負ってきたものを見つめよう。
目をそらすことをやめよう。
私たちは彼女に依存しすぎた。

長い137分間だった。
館内に太陽は見上げる人を選ばないが流れる。座っていた人々が動き出す。それなのに、私は動けない。止まらない涙と嗚咽を両手で受け止めるのに精一杯で。誰もいなくなった映画館から動けなくなった。

私が今まで応援してきたこと、
感じていた気持ち、
向けていた目、
正しかったのだろうか?

見えていたもの、
見たかったもの、
間違っていたのだろうか?

欅坂46を応援してきた時間を否定したくないのに
私の心の中は自分を責める気持ちが満ちていた。

蒼白の顔、血だらけの足、崩れたヘアメイク
泣き叫ぶ彼女を着替えさせ台車に載せて運ぶ大人
ステージにでてきた彼女を歓声で迎えるファン


商品だな、と思った。


そして、あなたをそうしたのは
紛れもなく私たち、ファンだ。

「無理しないで」
なんてどの口が言えるのだろうか。
今まで背負わせてきたのは紛れもなく私たちなのに。

彼女をここまで追い詰めたのは、私たちなのに。

彼女を神格化して
プレッシャーをかけて
ボロボロにしたのは
私たちなのに。


「みんなは今、欅坂をやってて楽しいですか?」


周りのファンはどう思っているのか、映画の中で平手友梨奈もほかのメンバーもずっと言っていたことだった。欅坂46は、というよりはアイドルグループは周りのファンがどう思っているのか、ということに重きを置いて活動していると思う。
そんな彼女たちへの平手友梨奈からの問いは
「みんなはどう思ってるの」
「あなたは、どう感じているの」
核心につく問いだったと思う。

欅坂46というグループは、最初から売れたから実力が無い。プロ意識がない。やる気がない。貪欲さがない。一部の人からたくさんのものが足りないグループだと言われていた。
でもそれを1番感じていたのは第三者なんかではなく
当事者であるメンバーだったのではないだろうか。

上に挙げた欅坂46の足りないものを総じて
「メンバーに自信がない」
これが1番欅坂46に足りなかったものだと思う。

その結果、全員が無意識のうちに自分以外の"誰か"に依存していた。その"誰か"が平手友梨奈だったわけだ。
その結果、欅坂46というグループは平手友梨奈という存在によって強くもなれるし弱くもなれた。

もし自分だったら、耐えられないと思う。
本当は大きなポテンシャルを持っているメンバーが自分という存在によって日の目を見ていないこと、自分の行動が欅坂46の行動として報道されてしまうこと。

私だったら耐えられないと思う。

2018年の全国ツアー、千秋楽。
感情を爆発させて表現したガラスを割れ!で花道に飛び出した彼女は、欅坂46の一員ではなく、「僕」だった。
後ろを気にしないでいられたから、前に進めた。
ただ我武者羅に、自分のことだけを考えて
曲の世界観と「僕」の気持ちを乗せて
前に進めた。
でも、それはグループとしてやっていく上で
致命的だったのだろうと思う。

何も知らなかったんだな、と思った。
知ろうとしなかったという言い方の方が正しいのかもしれない。
裏でどれだけの葛藤と悲壮感と涙があったのだろう。
どれが嘘でどれが真実だなんてどうでもいい。

今ここにある事実は、身を削ってパフォーマンスした欅坂46に救われたということだけだ。


受け入れたくない事実があって
整理できない気持ちがあって
押し寄せてくる自責の念があって

それなのに、欅坂46というグループを心から愛しく思う。


最後に1つ。
誰がその鐘を鳴らすのか?を聞いていて思ったのだが
「この世の中に神様はいるのかい?会ったことのない」
という歌詞がある。
私たちが神だと崇めていた友梨奈ちゃんのことかな、とふと思った。
ファンが神だと思っていても、メンバーは神だと思っていなかったことを表していたとしたら。
また聞こえ方は違ってくる。そんなふうに楽しむのも粋かもしれない。


私の青春が終わるまであと数時間。
終わりが、始まる。