生きていくこと

夜中、携帯のアラートが、感じたことの無いパターンのバイブレーションと共に私の背中に鳴り響いて飛び起きた。
いつの間にか携帯を下敷きに寝てしまっていたらしい。
寝ぼけ眼で通知を確認。津波…?特に揺れも感じなかったけど。地震か?と慌て、頭が瞬時にハッとした。
いつもは全然見ないテレビをつける。必要ないなと思う時もあるけど、こういう時にすぐに情報を得られるのはやっぱりテレビだなと感じる。
テレビをつけると東日本大震災の時のような、緊急事態という雰囲気がありありと伝わる画面が広がっていて更に緊張が走るが、どうやら遠くの地での大噴火が影響して津波が来るという事だった。
私の住んでいるところでは実害がなさそうで少し安心するも、昼間に起きた噴火が深夜になって遠く離れた日本に影響するのは相当だな、と自然の果てしない影響力に思いを馳せた。未知の事態なので今後悪化する可能性も考えて、テレビをつけっぱなしにしてなんとなく起き続けていた。

その時にぼんやり生きるということについて考えた。
普段は特に生きるも死ぬも意識もせずに生活しているが、こういう危険に晒された時に慌てる自分の姿を見て、「あ、私ってすごく生きたいんだなあ」と感じる。
自分の中の生き物としての本能みたいなものを感じると、結局なんだかんだ人間も生き物の一種でしかないんだよなと妙に納得する。
何を考えようが、何をしようが生きるための営みのひとつにしか過ぎない。
当たり前のことだけど、そう思うとなんだか全てがちっぽけに思えてくる。
いい意味でも悪い意味でも。

生きることを考えると、生きるって結構ハードルが高いなと思う。
今まで生きてきた中でも、大きな災害で言えば東日本大震災だとか、豪雨とか、今はコロナとか、近い未来だと火山が噴火する?だとか噂されている。正直ついていけない自分がいるが、ついて行こうがついて行かなかろうが現実は1歩だって立ち止まってはくれないので、諦めてずるずる引きずられるようにしがみついていくしかない。
身近な危険はもっと多くて、交通事故や通り魔。病気だって普通に有り得る。
数えだしたらキリがないほど生きるということを邪魔してくる出来事は多い。
それらをなんとか回避しながら私たちは今まで生きてきているわけだけど、なんか…大変だなと思う時もある。

それらを跳ね除けてまで生きる意味ってなんだろう、なんて考えてもきっと意味なんて無いのだろう。過去も未来も色々な人が色々なことを考えて、だけど明確な答えはきっとずっと見つからない。
「わからない」ことだけがわかる。

こういうことを考えるのは楽しくもしんどい。どうせ生きるのなら、考える力がない方がむしろ良かった。アリとか、猫とか、なんでもいいけど。今のところ人間だけがこういう風に考えたって仕方がない溝にハマる時がある。

溝にハマり、考えてもしょうがないという結論に毎回到る。そしてまた溝にハマる。

人間ってどうしようもないな。そう思った今は深夜。

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