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ぼーっと古代史 ‹殺戮された遺体›

日本古代史に関して、日頃ぼーっと考えた雑感をたまに書きとめるコーナー!新設しました】

昨年、知る人ぞ知る大きな発見がありました。
鳥取県青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡には、弥生人109体の大量殺戮の痕跡があるんですが、その人骨を使って、初めて本格的なヒトDNA検査が行われたところ、驚くべきことに彼らは弥生人というより、中国大陸各地から来て間もない渡来系移民。しかも来た年代は2世紀後半(邪馬台国の草創期)と出たのです。
ということは、後漢の時代、黄巾の乱を回避した移民たちがここに上陸。先住民と戦闘になったのではないかと考えました。私としては、これは倭国大乱の痕跡とは違う、と。
またもう一つ言えることは、当時中国から来る人々は、対馬→壱岐島→九州北部ルートだけでなく、直接出雲や鳥取にも来ていたってこと。もっと言えば広く日本海沿岸にも到達していたんでしょう。
つまり邪馬台国の時代、中国の人々は九州も出雲も北陸も”倭国”である認識を持っていた。少なくとも西日本全体を倭国と考えていたならば、倭人伝に語られる「倭の女王」は「西日本一帯を治める女王」となります。
そう、邪馬台国九州説を否定するひとつの根拠となりますね。私としては考えを変えねばならないかもです。


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