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4拍手する神社〜出雲大社 宇佐神宮 弥彦神社ミステリー

4拍手する出雲大社

マンガ家のあおきです。今回は神社の拍手のし方から、予想もしない方向へ話が展開しそうです。ちょっとびっくりするかもしれません。


さて、神社のお辞儀の作法はご存知ですよね?
2礼2拍手1礼。どの神社でも2拍手しますが、あの有名な島根県出雲大社だけは、なぜか『4拍手』することになっています。
なぜ4拍手なのか?その理由を神職の方に聞いたことがありますが、はっきりしたことはわからないとのこと。

古代では特に言霊を大切にするので、「4」という発音は縁起が良くありません。そう、死を暗示します。縁結びの願かけに訪れる参拝客には、あまり大きな声で言えないのですが(笑)、この点について次のような説があります。
出雲大社とは、4世紀にヤマト政権が出雲地方を攻め併合した際、祟らないようにオオクニヌシ神の怨霊を封じ込めた社。つまり4拍手するのは、「あなたは黄泉の国(死の国)いるのですよ。だから私たちを祟らず、黄泉の国から見守っていてください」という意味だと。
基本的には私も同意です。
古代、ヤマト政権は日本を統一していく過程で、祟りを恐れ、倒した敵国の神を祀ることが度々ありました。4拍手するのはオオクニヌシの御霊(みたま)を社の中に鎮めるための所作でもあるのでしょう。

●3つの神社に共通するもの

ところが調べていくと、この『4拍手』する神社は出雲大社以外に、なんとあと2社もありました。
大分県宇佐市にある「宇佐神宮
新潟県弥彦村にある「弥彦神社

全国80000社もある神社のうち、なぜ、出雲大社を含めてこの3社だけが『4拍手』をするのでしょう?
これには何やら公にしない理由がありそうです。検証して見ましょう。

宇佐神宮は、鉄の入手が容易で最先端の文化を有する北九州政権の、瀬戸内海側に位置しています。
北九州政権の中でもとりわけ伊都国(福岡県糸島市)は、王が住み、文字の読み書きできる役人もいることが推定でき、国力が最も充実していたクニでした。さらに伊都国で出土した5枚の銅鏡は、世界一の大きさ(直径47cm)を誇る立派なもので、これこそが「八咫の鏡」の原型ともいわれているんです。
3世紀中~4世紀初めにヤマト政権はそこへ進攻し、北九州勢を同盟に組み込むことに成功しました。

一方弥彦神社あたりは、古く縄文時代から交通の要所にあります。日本海沿岸には独自のネットワークがあり、そこを勝手に行き来されたら、統一するのにやっかいなことになる。そう思ってヤマト政権は、抑えにかかったのでしょう。

こうして見ると、出雲(出雲大社)・北九州(宇佐神宮)・北陸(弥彦神社)。
これら3社はみな日本海側の要所にあり、実は彼らこそ中国大陸や朝鮮半島と直接交流できる表玄関にいたことがわかります。

ヤマトからすれば、最も危険な場所。
もし彼らが結託して海上封鎖をしたら、ヤマトは大変なことになる。そのためには戦闘もあったでしょうし、懐柔も策略もあったでしょう。そしてヤマト政権は、戦死させた敵の王を神として祀り上げることで、自らにふりかかる祟りを避けようとしたのではないでしょうか。『4拍手』という呪術を使って‥‥‥。

●三種の神器の実像

おっと、話はここで終わりではありません。
先日私は「三種の神器」についてぼーっと考えてたら、「ああっ」と畏れ多いことに気づいてしまいました。
改めて3つのことを考えてみましょう。
1)出雲政権の神宝といえば何でしょう?荒神谷遺跡から358本も出てきましたが、伝承神話にもあるようにスサノオがオロチを倒し、そこから出てきたアレ。
そう、です。
(私は新羅から取り寄せた鉄で作った鉄剣だと思っています)
2)北九州政権が神宝としていたもの、とりわけ伊都国が神宝としていたものは何か?
はい、銅鏡です。国宝にも指定されている内行花文鏡かと思われます。直径47cmで外周が約八尺。つまり八咫鏡(やたのかがみ)と同じものではないか、と言われています。
3)そして北陸では、縄文時代から日本民族が長らく魔除けの守りとして珍重してきた貴重な石(玉)が採れました。
そう、ヒスイです。世界でもごく限られたところでしか産出されないヒスイ。特に北陸の糸魚川流域で採れるヒスイの勾玉は、最も高貴とされ、各国の王に喜ばれました。

そこで、思い当たるフシはありませんか?
そうです。
この3つは、古代からえんえんと続く天皇になるための証・”三種の神器”、そのものなんですね。

八咫鏡は、北九州政権から
天叢雲剣は、出雲政権から
八尺瓊勾玉(の採掘権)は、北陸政権から
それぞれゲットしたと。

そのクニの神宝を献上させるということは、
古代人にとって、「神宝の霊力をその集団から奪い去り、その力を自分の祭祀集団にとりこむ」という意味だそうです。
ヤマト政権はこうして、国の運命を左右する3つの地方政権の神宝を献上させ、
自らの祭祀の支配下に置いた。そして4拍手により、彼らの魂を
黄泉の国に留めさせたのではないか、と考えるわけです。
”三種の神器”と”4拍手の神社”はセットだったと考えた時、謎は一気に解けました。

いかがだったでしょうか?
現代に生きる我々さえも、「三種の神器」を丁重に扱い、神社で4回柏手を打つ度に、知らず知らずヤマト政権の歴史に、参加していることになるわけですね。
以上、ぼーっと古代史でした。


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