ヴィジョンが浮かぶ

民泊すさのわを始めるにあたって、確実なのはワクワクするようなヴィジョンが浮かんだということ!
今現状の建物、人の流れ、雰囲気とは違う新しい世界が待っているような気がしたこと!

不思議な感覚だ。想像の中では既に出来上がっている。
何だろうこのヴィジョンって?

人間の脳内の伝達物質「セロトニン」や「ドーパミン」の働きなどよく話題になる。セロトニンは幸せを感じる、ドーパミンは快を感じることと繋がっていると言われ、私たちが生きてく上で最も大切な部分かも知れない。

私たちは生きてく上で幸せや快を求めるのだけれど、ただそれだけで日々を生きているわけではない。社会の枠組みや流れがあって、それに沿うようにも生きている。
そういった毎日の中でなんとかやっていけているのは、社会の枠組みの中でも幸せや快を感じる瞬間があるからなのだろう。

ドーパミンは報酬系の働きをしていると言われ、動機付けに関わる。何かをしたら、何かを得られるからやる。目の前に人参をぶら下げられて走る感じ。その後の快感。
気付けば、わたしたちは、何かしらの人参をぶら提げられている。この人参についてよくよく考えることなく走り続けてきた。そして、現代ではこの人参はお金に変換され、お金を得る、それで消費するというような報酬系が確立されていた。
見事にドーパミンをコントロールされてしまっていた。
この報酬系のシステム、からくりが分かるともう快感は得られない。そうなってくると次の段階だ。


このドーパミンに替わる神経伝達物質として僕が注目しているのがDMT(ジメチルトリプタミン)。これはいわゆる幻覚剤として認識されているが、自然界にも多く存在し、人間の身体で生成されることもある物質。そして強烈な快感も得ることが出来る。臨死体験者が見るヴィジョンはこの物質が関係していると言われる。体内が低酸素状態になると脳を守ろうと生成されるのではという説もある。人間が感じるいわゆる至高体験などもこの物質が関係しているのではと言われ、宗教的カタルシスとも関係しているかもしれない。
あまりにもここに傾きすぎると危険なゾーンではあるが、夢を見たり、ヴィジョンを描いたりすることは、このDMTに少なからず関係がありそうな気がする。これからの人間はもうここまで行かないと動けない。

夢を叶えた人が良く口にする、何かに突き動かされる衝動。何かに導かれるように動いた。これは報酬系を越えなければ感じる事のない世界。

理屈を越えた、一個人のビジョン。
もうこれからは人参をぶら提げなくても、報酬を求めなくても、自らのヴィジョンを信じればいいのだと思う。それでしか満足を得ることは出来ない。

世の中はこのヴィジョンに気づかせない仕掛けで溢れている。
だからこそ、常に自分に問いかけ、時には追い込み、ヴィジョンを開くことが必要だ。

せっかく浮かんだヴィジョン、大切にしたい。