見出し画像

好きなことをするのが苦手?

好きなことを仕事に!好きなことをすればいい!
そうだ、その通り!

若い頃は好きが仕事になることが成功、幸せだと思っていた。
今でも、そういう気持ちが無くなったわけではないので、完全に過去形ではないけれど、若い頃はその気持ちが強かった。ある意味エンジン。

若い頃、音楽が好きで、好きなことが仕事になれば・・・ミュージシャン!と単純に思ったものだ。しかし、ミュージシャンなんて狭き門、簡単になれるわけでもない。なので生きていくために好きではない仕事をする。仕事で求められる役割を演じる。時には自分を騙す。そして、ときどき好きな音楽をする。一応プロ志望という名目で。

二十代の頃の自分はそういう日々を送っていた。そういう環境でやる音楽は好きで始めた頃の純粋な気持ちが無くなっていて、なんだか義務的。でも旗を掲げたからやらないわけにはいかない。エンジンもなかなか掛かり難くくくなっていて次第にモチベーションも下がっていった。好きで始めたはずか・・・。こんな気持ちを経験した人も多いと思う。好きでいるために工夫すること、好きだからこそいったん離れる、いろいろな対処法はあると思う。

僕の場合、住む場所を変えた。行き詰った場所にいても何も変わらない気がした。地元島根へUターンしたのだ。
その当時はまっさらな気持ちでゼロからのスタートという気持ちだった。
結局島根では「東京でミュージシャンを目指していた人」という像が出来て中途半端だった。
これが結果を残せなかったことのデメリット、痛いほど感じだ。結果って大事。
そんなこんなで、音楽活動もしながら島根で10年が過ぎた。

今は好きなこと=音楽でない。≒くらいかも知れない。時々歌ったり、楽器を弾くと楽しい。

自分と音楽、そして好きなこと。これらの取り扱い方に非常に苦労した若い頃。そんな自分だからこそ言えることがある。

音楽について。音楽はまず嫌いな人はいない。基本誰しも音楽は聞くし、テレビや街に自然に流れている。そして誰も無意識にそれをキャッチしジャッジもしている。
そして今やカラオケが日常にあるから、聞くだけでなく、歌う。音楽をプレイする側にもいる。楽器にしてみてもアコースティックギターくらいならコードを覚え、伴奏することはそう難しくは無い。
「私は音楽が好きです」は「私は食べるのが好き」くらい当たり前のことで、特別取り上げるべき感覚ではなくなっているのではないかと思う。
「音楽が好きだからミュージシャンになる」はあまりにも短絡的だった。
それは、なれる可能性が低いから選択をあやまったという意味ではなく、好きということにフォーカス仕切れていなかったということだ。可能性が低くてもやることは出来る、結果は出る。

僕の場合、音楽が好きは幻想だった。そして音楽は逃げの場だった。現実で上手くいかないこと、どうしようもないことにぶつかった時、音楽が慰めてくれていたと思う。将来のためにと嫌々勉強し、さして好きでもない勉強を高校、大学とやっていた当時の自分の癒しが音楽だったんだ。

本当の意味での好きではなかったと気付いたときから、好きを探す旅が始まった。音楽ではないけど、何か好きが見つかるだろうと・・・。
そこからたくさんの本を読むようになった。モチベーションを上げるようなビジネス書や心理学、社会学的なものまで。面白いと思う本は片っ端から読んだ。
そして好きなことは「読書」かな?と思っていた時期もある。でもある時パタッと読まなくなり、読書から離れる。

あと、運動もたくさんした。ジム通いをしてプールで泳いだり、フルマラソンに挑戦したり。これももしかしたら好きなことが見つかるかもという気持ちがあったかも知れない。体を動かし、余計なことを考えないようにして何かに集中したかった。
まあこれも習慣化されている時は生活の一部だけど、一度そこから外れると始めるのが困難。今はまったくやっていない。

そんなこんなで、ここ最近は「好きなことをするのが苦手」というか、「好きが分からない」という感覚でいる。
そもそも好きなことがあったのか?好きで選んでやってたことなんて小さい頃からあったのか?そこさえ疑っている。

僕の選択の大前提には主観的な好きとかではなく、客観的な正しさや妥当、そんなものが大きくあった。
小さい頃から好きなことばかりしてはいけない、好きな物ばかり食べてはいけない、好きな人とだけ遊んではいけない、と思わされていた気がする。
誰がこういう感覚を植え付けていたのか?多分学校だ。特に中学、高校。好きだからやってことなんて、一つもないかも知れない。学校生活の中で好きという感覚から動いた事なんてあったのだろうか?おそらく好きという感覚は眠っていた。
好きという感覚で選べるのは、家に帰ってから見れるテレビ番組、当時流行っていたミュージシャンのCDを聞く時、そんな程度だ。
つまり、チャンネルを選ぶときにしか「好き」が発動していなかった。
当時テレビ番組も面白くて、視聴率が30,40%、CDもミリオンセールと大衆を引きつけていたいわゆる「マスコミ」。好きをキャッチしてくれていたのはここだけだった。一方的な好きだけど。

つまり、マスコミに上手くガス抜きをされ、好きをコントロールされ、踊らされていた。何だか馬鹿馬鹿しい。
そういう自分には好きなことをするは高いハードル。好きなチャンネルは選べても行動は難しい。なぜならしたことが無いから。

好きなこと、特に仕事を考える上での好きなことは概念ではなく「動き」「作業」だ。どういう動きをしていることが好きなのか。話す、書く、作る、動く、と考えると人間そうそうたくさんのパターンは無い。
そこに乗る概念は無数にあるが、動きのパターンの種類はそう多くない。
とりあえず、そこから始めて見ればいいのだと思う。

好きな動き。何だろう?

そう考えると「書く」という動きは好きだな。
これが好きで始めるってことか。

もっと早く気づきたかった。