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決め打ち 130/365

ここ最近、よく目にする、耳にする言葉。

決め打ち。

元々は囲碁の手を打つ時、あらかじめ打つ手を決めておいて、その通りに打っていく事だそうです。
その意味が転じて、物事の展開や結論を決めておき、そこに向かって動いていくことをいうようになったようです。

決め打ちをするためには、やる前に結論を決めておくということが必要です。

結局のところ、こうなる・・・ということを決めて動き始める。

これって、どういうことかな?と考えた時、一番大きな影響としては、自分ではなく周りなんだと思います。

周りが、あの人はもう結論を決めているんだと、思うと、周りがそういう流れや、つながりを作ってしまうんだと思います。

決め打ちは周りを変えていく力があるのです。

その決めたことが、正しいとか、間違っているとか、妥当だとか、そんなことではなくて、本人の心の底から湧き上がっているものなのか?ということなんだと思います。

本人から湧き上がってくるものは仕方がない。そこを軸に決め打ちをすれば、周りが変わり、世界が変わるんだと思います。

不思議なんだけど、自分が決め打ちして変わらないと決めたら周りが変わっていくのです

この変わる、変わらないの関係がとても面白いと思います。対照的な関係になっているんです。

発想を変えて全く違った視点で見れば、もしかして自分なんてのはこの世にいないのかも知れません。
いるとすれば、決め打ちした結論の世界観。

その世界観が本質の自分で、それを他人を通して確認している。

わたしたちはそういう仕組みの上に、存在しているのかも知れません。

だから、自分の周りの人を見たら、自分の世界観がわかります。

その人たちがわたしに、その世界観を見せてくれるから。

鏡みたいですね。

だから決め打ちなんです。

世界観を決め打ちするんです。

僕の決め打ちは
意識と世界の繋がりを構築するゲシュタルトを作る

わたしたちの意識とこの見えている世界はつながりを持って、常に連動しているに違いない。
という結論
を立てて、決め打ちしています。

すると、不思議なことに、僕の周りには決め打ちの人がたくさん現れ始めました。
これはたまたまではなく、僕の本質的な存在はこの世界観、ゲシュタルトの方だから、そのような結論を周りが僕に見せてくれるようになったという仕組みです。

これが決め打ちの力。

もしかして、この世は思った以上にシンプルなのかも知れません。

目の前に現れた人はそういう意味を持って現れる。

だから、僕の意識と世界は繋がりを持っている。

決め打ち・・・だから、大事なのは自分です。

決める自分です。