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素晴らしきかな人生 36/365

今日は少し、変な例え話をします。

よく九死に一生を得た人の話なんかで出てくるけど、事故とかで死にかけた時、その瞬間、人生が走馬灯のように過ぎ去るのを見ることがあるようです。

脳科学的な見地に立つと、何とか生き残る術を過去の記憶、経験から探しにいくのでは無いか・・・?なんて解釈されたりするようです。

それは、なんか自我の生存本能という感じの解釈であまり好みではありません。

こういう話、皆さんはどう考えますか?

自分の人生の走馬灯・・・

人生の走馬灯を見てみたいですか・・・?

僕は「ワンダフルライフ」という映画が好きで、よくこういうことを考えるんです。

この映画では、死んだ後、あの天国に行く前に一つだけ、大切な思い出を選ばされます。それを映画化して、自分でその映画を自分が見ながら天国に旅立っていくんです。

この映画を見終わると、僕はどんな場面を選ぶんだろう・・・?
と、考えさせられます。

誰もが持っている素晴らしき人生・・・

でも、です・・・もしかして、僕らはもう死んでいて、そのシーンを選んでいる最中なのかも知れません。

どのシーンにしようかな?って見ているのかな?

人生の走馬灯をゆっくり、じっくり見ているのが今のこの世界。

そんな風に考えると、一瞬一瞬が愛おしいですね。

本当はどの場面も素晴らしくて、たったひとつしかなくて。

懐かしくて・・・

それがわたしたちの人生なのかも知れません。

素晴らしきかな人生。

今、この瞬間を味わえる喜び、感じて。

あなたはどんな場面を選びますか・・・?