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何者でもない自分

若い頃、自分の思考、価値観はどこから生まれてきたのか考えてみたことがある。

何に心を動かされ、何が選択の基準になったのか?
考えてみればみるほど、この命題は深くて、なかなか難しい問いだった。

物心ついた時から、何となく道は用意されていたし、みんなが向かっている先に行けば良かった。
中学、高校時代は勉強と先生の評価。あと、それなりに学校生活を楽しむための友達たちとの関係。
これらは自ら考えなくても、周りにあったので、こなしていけば良いという感じだった。

こなす毎日・・・こなしていけば時間は過ぎる。1980年代後半から90年代半ば位まで中学、高校、大学を過ごした僕らの世代はきっとそんなもんだったと思う。中高で受験を勝ち抜き、大学で遊ぶというような風潮は当時まだあった。

僕が大学を卒業して就職をした年、1997年。この年は就職も超氷河期と言われ企業も採用を絞っていた。
こなす生き方をしてきた僕にとっては、これはかなりの向かい風で内定をとることは厳しかった。大学四年生の時、たくさんの企業を受けたがどれも受からなかった。

この時、僕はこなす生き方の限界を感じた。もしかして、運良くどこかの企業に受かっていれば、そのまま流れに乗ったのかもしれない。
しかし、どこにも受からなかった僕には次行く場所が無かった。
むしろ、今までこなしてきたことは、次に行く場所のためにやってきた事なのに、目の前が閉ざされてしまった。
やはり、その時のショックは大きかった。

そうなると、必然的に考えざるを得ない。
今までの自分は何だったのか?
これから何を指標に生きて行けばよいのか?
当時の悩みの中心は常にここだったと思う。

でも、ここからがある意味「僕の人生」だった。
レールを外れたからこそ考えた、自分、生き方。
そして、何者でもない自分として生きること。

結局フリーターとして社会人のスタートを切った僕は「何者でもない自分」として東京で生きていく事になった。

東京での生活も基本フルタイムでアルバイトをするわけだから、目の前にはこなすべき仕事、役割が出てくる。生きていく為に一生懸命こなしていった。

こなしていく生き方で失敗をしたはずなのに、またこなす毎日を送る自分を責めたり、日々にやるせなさを感じることも多かった。
でも東京で生きていく為にはこれしかなかった。家賃を払う為、食費を払う為、奨学金を返す為、お金が必要で、お金の為に働いていた気がする。

その頃の時代が一番辛かったかな。「何者でもない自分期」

そこを、振り返ってみると「自分について考えた」ということの裏には就職が出来なかったということが大きい。おそらくどこかに就職していたらそこの流れに乗って、自分について考える時間はあまり無かったかも知れない。

これが僕に与えられた試練であったかも知れないけど、その時崖っぷちで考えたことや精神力は今の力になっていると思う。自分を保つのに憂さを晴らすことも多かったけど、しっかり悩み、考え、なんとか生きていた。

最近は個人の時代と言われるようになり、自分のことを語り、自分を表現する時代になった。あの時うんと苦しんで、自分について考えたことが、今になって役立ってきた気がする。
そして社会もその構造を変えていき、どこかにきっちり属すとか、これという分かりやすい肩書で生きるより、多様な自分でやりたいと思うことをやりたいときにやることの価値が上がってきた。

何者でもない自分に耐えられないと、あわててどこかに属したり、肩書を求めて自分を固定化してしまう。

しかし、これからは自分軸を立てて、そこからの多様性を楽しむような生き方、働き方が主流になると思う。

何者でもない自分には慣れている。自分軸もしっかり定まっている。

これからの時代にワクワクしている。