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日本失われた20年とGAFA

ここ20年日本経済は力を失い、失われた20年と言われている。
たしかに賃金は変わっていないし、職場の雇用環境も厳しくなった。20年前ブラック企業という言葉は無かった。

ここ最近GAFA、いわゆるIT系のグローバル企業が目覚ましく発展し、僕らの日常に入り込んできている。googleを使わない、amazonを使わない若者はいないだろう。
こういったIT系のグローバル企業が扱ってきたのは情報であり、システム。物ではないし、人があくせく何かをやっている姿は見えない。人の頭で考えたこと、仕組みをIT上で形にしている。その人たちが働いている姿を思い浮かべるとPCに向かっている姿が思い浮かぶ。

働くというイメージも変わってきたし、働いて生み出す価値も変わってきた。
今から20年前、僕も既に働いていたが、価値というものが分かりやすかった。物やアナログ的な情報だったからだ。物は生きていく上で、なくてはならない物であるし、効率よく生きる為、早く、そして貴重な情報を仕入れることは価値を持っていた。
ここから逆算するに人が欲しがる物や情報を提供することで経済が回っていた。この時代日本は強かった。


この経済が鈍化したから経済が回らなくなったということは、物が売れない、情報が売れないという状況が起きたということだ。
物が売れないに関しては、物質的に豊かになり、新しい物を欲しがらなくなったということ。
情報に関してはデジタル化が進み、低コストで提供されるようになった。情報を人が運ぶこともないし、情報インフラが整えば情報そのもので価値を生むことは難しくなった。

この状況から価値が分からなくなり、働く意味や、方向性を見失ったと言える。それが失われた20年。

その一方、躍進してきたGAFAに象徴されるグローバル企業。全てアメリカが本社。彼らがやっていることはすべて今までの常識を超えるものばかり。
お店に行かなくても、物が買えるようになり、人に会いに行かなくても、リアルに近いコミュニケーションが取れるようになり、ディスプレイの向こうに世界が出来た。ITの技術で、それまでの人間のあり方を変えていった。おそらく彼らは世界を作り変えていたのだ。

失われた20年は新しい世界への遅れをとった20年とも言える。
失ったと思っているのは、過去からの比較。
本当は新しい世界が始まっていたのかもしれない。
その一つ一つを紐解くにはGAFAが本質的に何かやってきたのか、理解し、その先にある世界を見定める必要がある。

ここ最近、googleのサービスやamazonを使ってみて、その利便さに驚かされる。それまで会社など組織でしかできなかったことがたくさん個人で出来るようになっている。感じることはそれまで会社というものが持っていた「機能」をネット上に取りだし、それを個人が使えるようにしているということ。その機能を使うのも特にコストはかからない。

僕らはこの新しい世界で何を描いていくのだろうか。
今はまだはっきり見えないが、新しくデザインされた姿が設計されているはずだ。
実際にサービスを使いながら、そこに秘められているデザインを紐解いていく。
失われたと嘆くのではなく、新しい世界の輪郭を自分なりに描いてみたい。