今日は「ツラいぞ?」という話をします。

こんにちは、みなさん。はじめまして、ベンティです。

今日は「ツラいぞ?」という話をします。最初なのに愚痴のような内容ですがお許しください。人に読ませるためのノートというよりは、自分の考えをまとめるための手記のような位置付けで、今回書かせていただければと思います。

さて「ツラいぞ?」ということですが、何がツラいかと言いますと、働くことがツラいという話です。在り来たりかもしれません。もう少し詳しく説明させてください。僕は新卒として東京のとあるIT企業で働いているのですが、今年の10月ごろから徐々に「ツラい」という感情が増してきまして、12月半ばの今日に至っては、何も仕事ができないというところまでその気持ちが肥大化してしまいました。結果、平日お昼のこの時間帯に、僕は仕事もせずつらつらとノートを書いています。

ちなみに僕が今感じているこの「ツラいぞ?」という気持ちは、入社以前に想像していたものとは少し違っています。いわゆる新卒でツラいと言っている人たちは、ツイッターや人伝に聞いたイメージでは、職場環境が劣悪で上司から嫌味を言われる毎日だったり、仕事内容が退屈で何の意義も見いだせないものだったり、あるいは今まで勉強してきたことが全く活かされない職場に飛ばされてしまって望んでいた働き方ができなかったり、長時間労働だったり、etc...といったものでした。

しかしながら今の職場は労働環境は良好だし、上司は良い人たちばかりだし、比較的自由な時間に休めて悪くない給料を貰えてるし、今まで大学で培ってきたスキルを行かせて職場でも活躍できているし、上記のような不満は全くないのに、それでもツラいのです。これはなんでなんでしょうか?

10月からこのツラいという気持ちに向き合い続け、働く意義を見出し、頑張ってやる気を出そうとトライしてきたつもりです。昨日暇すぎて何回仕事の意義をとらえ直したのか、過去のスケッチブックやノートを見返して数えていたのですが、その数は11回程度でした。数で言われてもピンとこないかもしれませんがこれはつまり、10月から今に至るまで1週間に一回以上、仕事の意義をとらえ直していることになります。もっとわかりやすくいえば、土日で仕事の意義を見出して月曜日で出社するも、週半ばでその意義を見失い、また土日でその意義を考える。それを10週間に渡り続けていることになります。比較的頑張っている方ではないでしょうか。その努力が意味のあるものかは置いておいて。

しかしながら、毎週意義をとらえ直しても週半ばでやる気が途絶えてしまうのは、その捉え方が間違っているか、それとも行動することによって自分の気持ちが変化し最初に立てた意義が意味をなさなくなっているかのどちらかということになります。僕の感覚では、おそらく前者だと思います。頭では意義をとらえ直しても、心がやる気を感じれずに、結局継続しない。恐らくこんなところだと思っています。

頭ではわかっているのです。比較的良好な職場だし、賃金も申し分ないし、これまで培っていたスキルを使ってそれとなく成果のようなものを出せている。他でこのような条件を達成しようと思ったら、なかなか難しいと思われる。そうは頭で思っていても、なぜか「ツラいぞ?」と感じ続けている。またその気持ちは週を追うごとに増してきている。これはなぜなのか?

恐らく、単純に仕事が楽しくないんだと思います。そして、仕事が楽しくないという現象は単純でも、その原因は複雑だから、次のステップに踏み出せないんだと思います。いや正確にいえば、原因が明らかではないので、次のステップが見えないんだと思います。付き合っている恋人にどこか不満があるけど何が不満か明確にわからないから惰性で付き合い続けているように。突然ですが、小説家の村上春樹は、著書「職業としての小説家」の中で、こんなことを述べています。

それをしているときに楽しい気持ちになれますか?(中略)もしあなたが自分にとって重要だと思えることに従事していて、そこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができないならば、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあることになりそうです。そういう時はもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部分、不自然な部分をかたっぱしから放り出していかなくてはいけません

またスティーブ・ジョブズは、どこかのスピーチでこんなことを言っています。

「いい仕事をする唯一の方法は、自分のしている仕事を愛することです。まだそんな仕事を見つけていないのであれば、探し続けるべきです。それを見つけたとき、あなたはそれがそれだと分かるようになるのです。これは愛した人との関係のように、歳月が流れれば流れるほどより良いものになっていきみます。見つかるまで探し続けなさい。立ち止まっていてはいけません。」

どちらも世界中で有名な方ですが、要はやっている行為(=仕事)を愛すことが大切だ、と言っているのだと思います。そして僕はこの数ヶ月ですが、今の仕事に何とか愛すべきポイントを見出そうとしました。それは職場の仲間であったり、将来のキャリアから逆算した必要なスキルであったり、あるいは仕事の中で楽しい瞬間を探すための実験の場として捉えるなど。しかしながら、結局は恋人との便宜的な付き合いのようになってしまい、そこに満足感を見出すことができずにいます。贅沢な悩みかもしれませんが、いや、はっきり言えばめちゃくちゃ贅沢な悩みだとは思いますが、しかしどんなに他者から見て贅沢であっても、そこから感じる痛みは確かに実感の伴った僕の痛みですし、それはこれまで20数年生きてきた中でも最大級の痛みのような気がします。誰かと比較して和らぐような痛みではない、ということです。

この痛みの要因は、今の仕事を愛せないだけなく、そもそも今後どのようにすれば、そんな愛する行為を見つけられるかわからないことにあります。おっしゃる通り、愛なんてものは個別固有のものであり、自分が苦労してこれから見つけて行かなきゃいけないものなんでしょう。今の仕事を継続するにせよ、やめて新しい仕事を探すにせよ、それは自分で決断して行動するべきことであり、人に相談してどうこうなるものでもないのかもしれません。どこかの社長のように、じゃあやればいいじゃん、というアドバイスに尽きるのでしょう。それは正論です。それが正論とはわかっているけど、実際に今の環境が嫌だとは思いつつ、実際にステップを踏めずにいます。

これまでつらつらと感じてきたことを、僕だけでなく複数の同期と一緒に考えてきましたが、ついに突破口が見えなくなってしまいました。これからも行動し続けるんでしょうが、一度今の自分が何を考えているのか残すためにも、あるいは過去同じ悩みを持っていた方や現在進行形で同じような悩みを抱えている方々とあわよくばコミュニケーションを取れるためにも、こういったノートにまとめることは大切なような気がしました。よかったらコメントいただけると嬉しいです。また気づいたことをノートに書いていこうと思います。入社して一年も経っていない会社をやめるということは、社会常識や固定観念に以外と塗り固められていた自分にとって、今の所まだ難しい選択肢のようです。

最後に、就職先が見つからず悩んでいる後輩や、まだ内定先がないけどどうしたら良いかわからない後輩に同じ苦しみを味わってもらいたくない気がするので一言だけ書きますが、大企業に入って相性が合わなかったらやめるといった甘い考えは危険です。小さい企業やアルバイトを通じてやりたいことを見つけた上で意思決定した方が、確実に「変なもの」にとらわれずに自由な選択ができるように思います。世の中にはいっぱいお金の稼ぎ方がありますが、最初に大企業に入ってその年収やリズムが基準になってしまうことは、ひょっとしたらリスクかもしれません。よかったら相談の連絡をください。悩みまくりの僕ですが、「やめておけ」ということだけは自信を持っていえます。読んでいただいてありがとうございました。

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