地球史で考える「あるべき姿」

地球が誕生したのが50億年前で、宇宙に漂っていたアミノ酸から生命が出来上がったのが40億年前。海にいた生命体が陸に上がり、ホモ・サピエンスが生まれたのが今からずっと前。彼らが火という道具を使い始めたのもずっと前。そこから言葉を話し、文字を書き、知性が世代から世代へ受け継がれるようになったのは、地球史で見るとほんの少し前。古代ギリシャでソクラテスが誕生したのが今から二千年前。キリストも釈迦も孔子も生まれたのも二千年前辺り。そこからわずか二千年の間になんだかんだ色々あって、地球規模の災害が話題になっている。というより人間の暮らし自体やこれまでの歩みが間違っていたのではないかという声が、選択バイアスかもしれないが、少なくとも身の回りではよく耳にする。

赤ん坊の頃甘やかされて育った子供は大人になった時我慢できなくなるらしい。瞬間はかわいそうだと思っても大人になった時のことを考え甘やかさない親がいる。林業は百年単位で木を育てる。自分たちの世代では無く次世代のことを考え木を育てる。間伐せぬと木はよく育たない。割り箸を使うのをためらう人がいるが、木を切るのをかわいそうだという人もいるが、長い目で見た時は間伐は必要だ。

何がどうあるべきなのか、少なくとも何がどうあってはいけないのかを考える時、これまでの歴史を振り返る必要がある。これまでの歩みや自然な流れを鑑みて、これがどうあるべきなのかを「頭だけでなく」身体も含めて考えていく必要がある。

ような気がする。

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