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『ファミレス行こ。』結末への不安を吐き出す会 - 2024/04/17 日記#228

・漫画『カラオケ行こ!』及び『ファミレス行こ。』上巻・本誌のネタバレを含みます。


<패밀리 레스토랑 가자.>의 결말은 이미 정해둔 상태다. 작가는 “결말에 대해 독자들이 어떻게 느끼고 받아들일지 걱정이 되기도 한다”고 했다.

「ファミレス行こ。」の結末はすでに決まっている。作家は「結末について、読者がどう感じ、どう受け止めるか心配になることもある」と話した。(DeepL翻訳より)

가라오케에서 만난 야쿠자와 학생···패밀리 레스토랑으로 가다

・この一文を読んで、私も不安になってしまった。そもそもどんな結末であれきっと作家さん本人は心配に思うものなのだと思う。

・いちファンとして、私はどんな結末であろうともそれが和山さんが導き出した二人の答えなのだから受け止める。

・ただそれとは別に、一個人の意見ではなく国内外の多くのファン、世間的な評価としての不安はまったく拭いきれていないのもまた事実だ。私は長年のファンではないから、やっぱりまだ和山さんという人を全然知らないし、皆さんのように100%の信頼を置くには知識も時間もまったく足りていない。

クィアベイティング

クィアベイティングとは、実際にはクィアではない人がレズビアンやバイセクシュアルなど、あたかもセクシュアルマイノリティであるかのように匂わすことで、LGBTQ当事者や世間の注目を集める手法のことを指します。

クィアベイティングとは?クィアの意味から具体例まで当事者が徹底解説

・最も心配なのは、過去更新したnoteでも再三書いている通り、クィアベイティングについて。端的に言うと、クィアではないのにクィアっぽく見せて注目を集める、クィアを餌にする行為、という意味。

・上記記事では主に歌手の方やドラマでの例が多かったが、さいきんの二次元界隈でクィアベイティングが一番話題になったのは『水星の魔女』だと思う。『水星の魔女』に関しては私は視聴していないので言及を控える。しかし海外の歌手やドラマだけでなく、日本のアニメや漫画もクィアベイティングという視点で注目を浴びることがあるという事実は『ファミレス行こ。』を応援する立場においてかなり慎重に受け止めなければならないと私は考える。

・明確にどこからクィアベイティングとするかは個人個人の受け止め方によってかなりグラデーションがあるだろう。正直、私自身も上記記事の例すべてにクィアベイティングだ、と頷くことは出来ない。

・ただ、もし『ファミレス行こ。』が二人の関係性を何でもない普遍的な友情だと結論付けたのなら、私はクィアベイティングに当たるのではないかと批判することになると思う。

・なぜなら、友情だと結末が決まっていた時点で、それを定義付けるまでの過程を描く際に「確認」や「めっっっっちゃくちゃ好き」「その人のこと好きなんでしょうか」などというワードを出す必要はないからだ。

・正確には、それが聡実と狂児が結論を出す過程においてどれだけ大切な描写だったとしても、令和に商業で出す漫画としてそのまま出力するには危ういと考える。同性婚の法制化や創作物における性的マイノリティの描き方など、クィアに関するトピックに注目が集まっている今、私のような人間から批判される可能性は大いにある。

・以前noteにも書いたように、この作品のコアなファンの中には彼らを恋愛関係として見ている人が少なくないと思うし、そういったファン層であることは和山さんも編集部も把握しているはずだ。それをわかっていて、しかも結末が友情だと決まっていた場合その上で、上記にあげた例のように恋愛に寄せた台詞や行動を描くのは、私は明確にクィアベイティングだと思ってしまう。あなたはどう考えますか。

愛は恋愛、性愛だけじゃない

・少なくとも本編での描かれ方として、聡実の中で大学の友人へ感じる「好き」と狂児へ感じる「好き」の重さは同等ではないということが私には読み取れた。

・とはいえ、仮に「めっっっっちゃくちゃ好き」だとして、二人にとってのその感情を世間で言う恋愛や性愛という記号にラベリングするべきだともまったく思わない。実際、和山さんも二人の関係性を明確に定義しているわけではないと答えている。

작가는 둘의 관계를 명확히 규정하지 않았다. “내가 탄생시킨 캐릭터이긴 하지만 나도 제3자의 시선으로 이들을 보고 있다. 아직은 둘이 어떤 관계라고 단정할 수 없다. 독자들도 여러 상상을 하면서 봐주면 좋겠다.”

作家は二人の関係を明確に規定していない。「私が生み出したキャラクターですが、私も第三者の目線で彼らを見ています。 まだ二人がどんな関係だとは断定できない。 読者もいろいろな想像をしながら見ていただけたらと思います」(DeepL翻訳より)

가라오케에서 만난 야쿠자와 학생···패밀리 레스토랑으로 가다

・私自身が作品を読んだ上で持った感想として、聡実は狂児に対して世間で言う恋愛に近い感情を持っているのではないかと感じているし、狂児に関しては感情描写がないので今の段階では聡実に対してどう思っているのかはわからないなと思っている。

・本の中で明確な答えを出さずとも、読者の多くが納得するエンディングは和山さんなら作れると思う。実際に前作『カラオケ行こ!』は不思議な友情とも強い執着とも取れるものすごいバランス感覚で迎えた結末に思えた。

・恋愛や性愛だけでなく、友愛、家族愛、仲間愛なども同様で、彼らの間に確かに存在する絆や関係性に名前が必要だとは思わないし、私は本の中で描写されない限り決めつけることはしたくない。

・時々他のファンの方の感想などを覗くと、もうはっきり恋愛として捉えてるものもあって、それは人それぞれの読み方があるのでもちろん否定はしないけれど、私の考えとは少し違うものだな、と感じる。

・ただ、ただね。こうした我々の言う「ラベリングは必要ない」を明確に描くことへの差別的否定として受け止める人も確かに存在するのは本当に注意すべき点として覚えておいたほうが良いと思う。その点でも和山さんのインタビューでの発言とそれが独り歩きすることに対して少しだけ心配している面はある。まだ、とあるので今後話を進めていくうちに確定する日が来るのかもしれないけれど。

・うまく伝わるかわからないけど、例えば聡実と狂児の関係性が多くの人にとって恋愛に見えるとして、でもそれを恋愛だとしないのは男性同士で恋愛するゲイやバイなどをはっきり描くことに対する拒否姿勢であり、差別的表現に当たるのではないかという論点。あまりうまく伝わらないかも。難しい。

・私が思うに優先度の違いがすれ違いの原因だと考える。関係性という枠組みを重要視し、その上で中身を咀嚼するのか、キャラクター個人と個人のミクロ単位の関わり方においてその中身を読むことを重要視し、枠組みは二の次なのか。

・このあたりは私もまだ考えがまとまっていないので深い言及は避けるしどちらが良い悪いとも言いたくないが、とにかくこの「関係性を明確にするか否か」という議題においてラベリングしないことに否定的意見を持つ人がいる、ということだけは頭の片隅に引っ掛けておきたい。

・私達が良くても世間は許さない、を映画『カラオケ行こ!』で一般中学生に近づくヤクザの危うさやグルーミングについての批判を受けたことで、ファンは一度経験していると思う。それと同じ。

・この話をもう少し掘り下げたい人はツイッターで「BL ラベリング」などでツイート検索してみると良いと思う。

キャラクター最優先でいること

・インタビューを読んで、聡実と狂児は和山さんの頭の中で確かに生きているんだなと感じた。和山さんが生み出したキャラクターは、和山さんのもとから独立して生きているし、その生き様を和山さんが代筆しているに過ぎないのだと思う。

・私の好きな漫画家に雨瀬シオリさんという方がいて、雨瀬さんがTumblrに書いていた、キャラファーストという言葉が印象に残っている。

今回のお話は特に
読み手の方には申し訳ないけど色んなことを隠したままにしておいた

最近の考察ブーム伏線回収ブームが(読み手のも書き手のも)好きじゃ無くて
読み手の聞きたいスッキリしたい書き手の驚かせたいとかよりも

キャラの子たちがつい言っちゃった事喋りたそうな事だけを喋らせてあげたかった
だからかなり読む側に不親切なお話になってると思いますすまんね… キャラファースト…

amarough - Tumblr

・今回のインタビューを読んで、和山さんも割と似たような作風なのかなと思った。聡実も狂児も和山さんの手を離れて、読者や作者のエゴに惑わされず彼らが生きたいように、お話したいことだけをお話して、紙の上で人生を全うして欲しい。

・こちらの動画でも似たような話をしていて(動画は映画『怪物』のネタバレを含みます)、ラストシーンを自分自身はどのように受け取ったか、それをはっきりと言語化せず、見せられたままに「わからない」と受け入れる考え方もあると。

・私もついつい色んなことを考えてはここに書いてしまうけど、彼らを尊重してあまり深く掘り返さず、書かれているそのままを受け取ってあげたい。わからないものをわからないとそのままに大切にしておきたい。書かれていないものを決めつけないようにしたい。

想像しうる色んな結末

・ざっくばらんに言うと付き合う付き合わないとか、そんな単純な話ではなく、二人が迎える結末というのはもっともっと広い視野で色んな可能性が広がっている。

・例えば狂児が腕の「聡実」を消すか消さないか、ヤクザをやめるのかやめないのか、聡実の進路は明かされるのか明かされないのか、聡実は狂児への思いをどのように位置付けるのか付けないのか、二人の関係性に名前がつくのかつかないのか、二人はもう会わないのかこれからも会うのか、生きるべきか死ぬべきか。違う、これはシェイクスピアか。

・聡実にとっての幸せを和山さんがどのように受け取るのか、和山さんが受け取った聡実の幸せを多くの読者が受け入れてくれるのか、たくさんの可能性がある中でどんな結末であれ、大丈夫かな、と心配になるのはごく当たり前のことだと思う。

・最終話を迎えるその日まで私達ファンは一抹の不安を抱えながら見守るしかないし、可能性が無限大の今のうちにいっぱい妄想していっぱい書いておけばいい。

・最終的に、ここ最近あまりにも推しが死ぬため、一旦死ななければいいか、と結論付けたら友人に物騒だと言われた。聡実にとっての幸せが天使になること(暗喩)だったら私は立ち直れない。それが救いになることもある、幸せの種類の一つであるとわかっているからこそ余計に。

・まあ、そんな物騒なことにはならないでしょう。二人が心身ともに健康で天寿を全うしてくれることだけを祈ろうと思う。幸せになってね。


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