マルジェラは死んだ

これは最新のコレクションから発表されたマルジェラの新作スニーカーの写真だ。

思わずこのインスタグラムの投稿に自分は「disappointed(失望した)」とコメントをした。アンチモードを掲げ、常にファッションとは何か?という洋服好きに投げかけられる答えのない永遠の問いに最も自分が共感できる答えを提供し続けてくれたマルジェラから、こんなスニーカーが発表されることは耐え難いことだった。

バレンシアガが発表したトリプルSを筆頭に、現在のトレンドのメインストリームではこういったボリュームのあるダサかっこいい(?)スニーカーが席巻している。トリプルSに関して言えばネット上で1日一回は見かけるレベルでスナップなどに取り上げられているし、プラダやヴィトンなど名だたるブランドもこぞって二番煎じを生産している。

巷でこのタイプのスニーカーが流行っている事に関しては正直なんとも思ってないし、ラフ・シモンズのozweegoに関して言えば購入をかつて検討していた程だ。
ただし、マルジェラからこんなスニーカーが発表されるとなれば話は別だ。かつてアンチモードの名の下にトレンドに中指を立て続けていたマルジェラが、トレンドのメインストリームを創り出すのならまだしも、トレンドの後追いをし始めた事実は残念でならない。

今回はそんなここ最近のマルジェラへの愚痴とも言える事を吐き出したい。見苦しい自己満足の文かもしれないが。

(以下マルタン=マルタン・マルジェラ氏、マルジェラ=メゾン・マルタン・マルジェラを指す)

マルタン・マルジェラが彼のブランドであるマルジェラを去ったと言われる2008年から7年、2015年にジョン・ガリアーノがクリエイティブディレクターに就任した。

これはファッションブランドとしては当然の新陳代謝である。マルジェラがアンチモードを掲げたクリエイションでファッションシーンの中でも特異な存在になったとは言え、ディレクターの移籍などトレンドの中を生きる所謂ナマモノとしてのファッションブランドは本質的な部分の芯を除いた要素は常に変化させ続ける必要がある。

マルタンが2008年にメゾン・マルタン・マルジェラを去って以降、メゾンのクリエイションはマルタンの陰を落とすデザインチームによって行われてきた。これはマルタンが在籍していた2008年以前からマルジェラで取られていた体制であり、マルタンがFAXなどでインタビューに応じる際の一人称が必ず「we」であるのもここに由来するだろう。

コレクターの間ではマルタンが直接手掛けた2008年以前のアイテムが神格化されているが、2009年から2014年までに発表されたコレクションやアイテムはマルジェラのデザインチームがマルタンの息を間接的に吹きかける様にデザインされていたように自分は感じる。
事実ガリアーノの就任までの間ヘッドディレクターを雇わずにクリエイションを行なっていた点において、「メゾン・マルタン・マルジェラはメゾン・マルタン・マルジェラであり続ける」という方針のもと経営が行われていたのではないかと思う。

ガリアーノがマルジェラのクリエィティブディレクターに就任する、という話を聞いた時、自分はとても悲しい気分になったというのが正直なところだった。本来、自分はファッションというカルチャー、もとい産業においてなるべくフラットな視点を持って考察したいと考えているし、それが正直な気持ちだ。最近で言えばエディがセリーヌに移籍する話を聞いた時も、自分はファービー・ファイロのファンでもあるので名残惜しくはあったが、サンローランというビッグメゾンを復活に導いたエディ・スリマンの新たなキャリアに心からワクワクした。コンスエロ・カスティリオーニのマルニも今でも思いを馳せる事があるが、現在のマルニも嫌いじゃない。

ただ、マルタンに関しては違った。このファッションインダストリーの中でも唯一と言っても過言ではないメゾン・マルタン・マルジェラの匿名性が失われてしまうかもしれないということに、いちファンとして言い知れない遺憾の意を感じた。

ジョン・ガリアーノは偉大なデザイナーだ。セントラルセントマーチンズを首席で卒業し、低迷期にあったディオールのオートクチュールを商業的に成功させた。同ブランドのヘッドディレクターとして君臨し、当時オムを手がけていたエディ・スリマンと共にディオールのブランドとしての地位を揺るぎないものにした。その後、パリでのプライベート時のユダヤ人に対する差別的発言により炎上、退任に追い込まれた。ディオールのディレクターとしてのガリアーノの幕引きには、圧倒的な影響力を持つガリアーノの首を穏便に切るために経営陣が仕掛けたでっち上げなど様々な憶測が飛び交っているが、真偽の程は定かではない。(ガリアーノの後任がラフ・シモンズであったことは個人的には喜ばしいことではあった。)

ガリアーノのデザインはセクシーで、寸劇の様な世界観だ。デビュー当時の80年代後半から90年代、モードではコムデギャルソンやヨウジヤマモトがパリで地位を得、ジルサンダーが評価され始めるミニマリズムの黎明期であった。そんな中で打ち出されるガリアーノのデザインはかなり目立ったはずだ。(年齢の関係上、当時のことは自分は実際にはわからないが)

そんなファッションシーンの一時代を築いたガリアーノがアノニマスなマルジェラを手がけるということは自分にとっては合理的な選択に思えなかった。これは多くのマルジェラファンが思ったことではないかと思う。

マルタンがマルジェラを去ることになった理由は、マルジェラの親会社であるオンリーザブレイブ社の商業主義的経営にあったと言われている。この背景を考えるとガリアーノのマルジェラ就任は、マルタンが去った後もデザインチームが守り続けていた「マルジェラをマルジェラたらしめる要素」を完全に掌握し、親会社の経営方針に従わせるための仕掛けであったのではないかと考えてしまう。
ガリアーノの就任の報道も、ガリアーノ本人のディオール退任の経緯も相まってかなりセンセーショナルに行われていたように思えるし、言葉は悪いかもしれないが話題作りの為だったのかもしれない。もしそうだとすれば、マルジェラにおいてその様な事が行われてしまった事実について自分は心から残念である。

自分がこの記事を書くに至った経緯には、マルジェラの最新のコレクションがある。少し前にツイッターでも呟いたが、マルジェラ18ssと19awはもはやペンキを被ったジョン・ガリアーノであった。前述した通り、ブランドのデザイナー交代劇は、個人的な感情抜きにしていえば本来なら悲しむ事であってはならないと思う。自分も本心では悲しい気持ちを抱きながらも、自分を洋服の魅力に引き込んでくれたマルジェラの進退を見守りたかったし、最初はそうしていた。だけどもうあんまりだ。

メゾン・マルタン・マルジェラがメゾン・マルジェラになって以来、もうマルジェラのアクセサリーの半分は真鍮ではなくシルバーで作られている。アウターの襟元にもいやらしく仕付け糸が施されている。ペンキを塗りたくったタビブーツが発表された。マルジェラジャパンの設立が発表された。チャイナマーケットへの参入が示唆された。マッキントッシュとのコラボレーションが発表された。極め付けの冒頭のスニーカーである。2014年まで辛うじて生きていたマルタン・マルジェラの影は、オンリーザブレイブ社によって消しさられてしまった。マルジェラは死んだのだ。

ガリアーノの功績を見れば、マルジェラというビッグメゾンへの移籍は何ら疑問ではない。ファッションインダストリーの中というマクロの枠組みで捉えれば、マルジェラといういちブランドにもようやく変化の時がきたのかもしれない。しかし、マルジェラというブランドが持つ唯一無二とも言える特異性とアノニマスさを欠くことは、マクロの枠組みで言っても大きな損失に思えてならない。

手遅れかどうかはわからない。ただ、いちマルジェラファンとして純粋な気持ちを書くとすれば、これ以上マルジェラからマルタンを感じられなくなるのは寂しくて苦しくててたまらないのだ。

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