UNIQLO & J.W.Andersonとは何だったのか

京都のユニクロでバイトしてる友達によると、少なくとも彼の働く店舗では当該コラボは空振りらしい。

今日、ユニクロに足を運んでこのコラボを見てきた自分としてはまあそんな感じだろうな、、、と思った。
と同時にまだ日本の消費者はまだユニクロでファッションを最大限に楽しむ段階に至って無いようなことに少し安堵した。

個人的な感想だが、自分は今回のユニクロ&アンダーソンのコラボは結果としては失敗に終わるような気がする。その理由は当コラボが狙った客層の市場が実は存在せず、ユニクロとアンダーソンがコラボすることによるシナジーの不発に終わる可能性が高いと感じたから。


でも、一つ言えることとしては、これは失敗に終わると言う事実の裏側に、ユニクロとアンダーソンがファッション次世代に対して仕掛けた挑戦、引いては実験をしていたという可能性があるのかもしれない、と言うことだ。下記より説明する。

まずコラボアイテムを実際に手にとって見た感想から。
自分がいいな、と思ったのはボーダーのニットとストライプの入ったスラックス、それとダウン。

ボーダーニットはユニクロ自慢のメリノが入っており、デザインもアンダーソンらしくていいと思った。ダウンとスラックスに関してはシルエットが良くて使い勝手がいい。ダウンは無地のものについてだが。

ただ、自分が思ったのはボーダーのニットはまだしもこれではコラボした意味があるのか?ということ。自分は結局購入には至らなかった。(友人はボーダーのニットを購入したそう)

そもそも今回のコラボが狙っていたマーケットがどこなのか?という話だが、これは「ユニクロでの買い物に"攻め"を求めている層」だったのではないか。

ユニクロが国民服になった、なんて声もあるが確かにシンクエージェントの調査によれば日本人のユニクロでの購入経験がある確率は約80%、年齢層も他のファッションブランドに比べて圧倒的にカバーしている範囲が広い。

さらに最近あちこちで聞くように、ユニクロの服のクオリティは確かにすごい。自分が特に驚いたのがミラノリブジャケット、セールとはいえあれが1990円はすごい。
周りのファッションフリークたちも合理的な判断の一つとしてユニクロを選択肢に自然に加えているし、今や年に何十万もファッションにお金をかける層も自然と手に取る消耗品としての洋服、それがユニクロである。

アンダーソンはここに目をつけた。ファッションの民主化を謳うアンダーソンは自身のインタビューでも、ユニクロとコラボすることによって、より手に取りやすい値段で自分のクリエイションを世の中の人に楽しんでもらいたいと語っていた。

安価で高クオリティを届けるユニクロが今を煌めくハイメゾンのデザイナーのアンダーソンと手をとること。これは確かにファッションの民主化を目指すにあたって理想的な構図であるように思える。ハイファッションを楽しむ層がユニクロでJ.W.アンダーソンを纏う高揚感を手に入れる、アンダーソンはそんな光景を目指していたはず。

しかし今日自分が実際に店舗で見た光景は違かった。魚柄のニットを触って見てはそのラムウールのごわつきに難色を示す人、チェック柄のダウンを手にとって鏡の前で首を傾げる人、手をつけられた様子もなく整然と並ぶダウントート、そんな光景だった。

理由は簡単で、ユニクロはファッションの民主化を目指す最善のチョイスだったが、そのユニクロですらまだ民主化を行うには力不足だったということ。

下は前述の友人が送ってくれた画像だが、店頭のマネキン。贔屓目に見てもこれはかっこよくないと思う。彼が言うにはユニクロの店舗の販促にはあんな攻めた服を売るノウハウはないとのこと。

確かに、ユニクロはベーシックを売ってきたブランドであって、ファッションの最先端を切り開いてきたわけではない。店員がどう売っていいのかわからないのも一つの問題だと思うし、その背景があったからこそユニクロユーとイネスはそれなりに売れているんだろう。ベーシック×ルメールとベーシック×アンダーソンではどちらの方がユニクロのユーザーと相性がいいか一目瞭然だと思う。

結局、ユニクロのユーザーが多岐に渡るとはいえ、その人達はユニクロにベーシックで消耗品を求めてはいるが、洋服を買うことによって得られる高揚感まで求めていなかったということ。

それ故使いやすく、それなりデザインが良いものを求めて押し寄せたユニクロユーザーたちが、アンダーソンのデザインを前にして困惑してしまった。
結果として狙っていた「ユニクロにファッションを楽しむ高揚感を求めている層」は実は蜃気楼だった。

ただ、アンダーソンとユニクロは今回のコラボで残した功績もあると自分は思う。

それは前述した通り、ファッションの次世代はもうそこまで迫っているのか、と言う見えない問いに一石を投じたと言うこと。

今回自分が当該コラボが狙ったと仮定した「ユニクロにファッションを楽しむ高揚感を求めている層」は今は蜃気楼だけど、未来のマジョリティ層になれるポテンシャルがあるマーケットだと思う。アンダーソンとユニクロはその市場の大きさを今回確認したのではないか。

単に利益だけを求めたのであれば、モード好きな層が反応しそうなのはユニクロよりもzaraとかh&mだろう。にも関わらず今回アンダーソンがユニクロを選択した理由はやはりファッションの民主化を実現可能なのは現段階ではクオリティの担保的な面でもユニクロ以外に存在しないから。

それほどにアンダーソンは本気で向き合ったはずだ。実際、今回のアイテムにはブリティッシュな雰囲気のトレンチコートなどアクの強いと言う意味でアンダーソンらしいアイテムも存在したし、バックパックやオックスフォードシャツ、アウター類のボタンなど、ロゴが大胆にあしらわれていたものがあった。
ロゴについては現在のファッショントレンド真っ盛りのアプローチだと思う。現実的に考えて、大胆なロゴが好きな人達はそのロゴが持つブランド力に魅力を見出している部分があると思うから、ユニクロコラボという前提があってしまうとそのブランド力は半減してしまうと思う。

にも関わらずアンダーソンはチャレンジした。そういう現代のファッションフリーク達はユニクロにもそれを求めているのか、ユニクロにそういう魅力があるのかということを確認するために、自身のブランドイメージを傷つける可能性のあるアプローチをとった。


結果として、この投石はアウターやアイコニックなデザインの大物を求めている層はユニクロにはまだあまり存在しないという現代人の価値観を浮き彫りにした(日本の実店舗での反応しか見てないが)。

ユニクロがまだ国民服になっていないと安心した反面、アンダーソンがそういった実験を今回していたとしたら、未来のハイファッションシーンが一体どうなってしまうのか、と考えさせられてしまった、そんなコラボだった。

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