見出し画像

片岡義男『白い波の荒野へ』①「波が来る」と最初に言ったのはエマニュエルだった。

かつては洗濯部屋だったところが映写室になっていて、ぼくら4人は、その部屋のなかにいる。映写時間50分の16ミリ・フィルムを観ようというのだ。
スクリーンに数字がカウント・ダウンされ、1の数字が消えると、黄金色に染めあげられた波が映った。朝早い時間の波だった。

東からのぼってきたばかりの太陽の光りを乱反射させながら、4フィートから5フィートの高さに盛りあがり落ちこみ、見ている人をのみこむリズムのくりかえしだ。
あるとき、海が高く盛りあがっていくように感じられた。
波のうねりは濃い緑色にかわり、波の香りと音がひろがっていく錯覚をおぼえた。

サーフボードに両ひざをついて乗っていたエマニュエルが、波のかたまりにあわせて両脚をのばし、サーフボードのうえに立ちあがったことが、カメラの位置からうかがえた。カメラは、彼のヘルメットにとりつけられていたのだ。
彼は50フィートの高さの大波の頂まで、サーフボードに乗ってのぼりついた。

大波の頂にエマニュエルがのぼりついたまま、すべてはそこに静止するかに思えた。波の前面のスロープを滑り降りる直前の、心臓をしぼりあげられるような瞬間がひきのばされていった。
つづいて、50フィートにのしあがった大波は、もっている力を出しきって、カワイロア海岸にいっせいに崩れかかった。

50フィートにのしあがった大波は、もっている力を出しきって、いっせいに崩れかかった。

たおれこみはじめた巨大な三角形の波は、内側にむかって弧を描いていった。
あのときの音が聞こえてきた。砕け落ちる大波の内側にとじこめられている体のいたるところに、水のかたまりがぶちあたっては砕け散っていく。サーフボードから何度もはじき落とされそうになる。

岸から見て右のほうから崩れていく大波の内側を、エマニュエルは、ほぼ水平に、波が崩れる速度よりわずかに速いスピードで滑っていった。
ボトムに滑り降りながら、彼は、体の重心を前足へ移していった。ボトム・ターンをするのだ。ボトムに降りると、彼は重心を右足に移し、ボードを前へ押し出した。

チューブ状になって進む波の内側に入りこんだエマニュエルは、サーフボードの右側のデッキを波の壁にくいこませて走っている。
チューブをぬけきると、白くて分厚い泡立ちだけがのこった。
「これは、ほんとうなのか」
「ほんとうなのよ」
「いま見たフィルムは、ヘルメットのうしろのカメラが撮った」

ヘルメットの前方のカメラが撮影したフィルムは、エマニュエルと同じ立場で大波を体験できた。
「こんどは、途中でワイプアウトした、ぼくのフィルムだ」
サーフボードが波の山をぬけて空中へ輝きながらあがっていき、画面から消えた。
ぼくが海のなかに落ちてからの画面は光と波の乱舞の連続だった。

チューブ状になって進む波の内側に入りこんだエマニュエルは、
サーフボードの右側のデッキを波の壁にくいこませて走っている。

「波が来る」
と最初に言ったのはエマニュエルだった。ぼくが北海岸の小屋へいくと、いつもは冷静な彼が興奮していた。
「準備をしよう。バリー」
彼は16ミリ映画の撮影のための器材の置いてある部屋に入っていき、棚に3つ置いてあるカメラ・ヘルメットの点検をはじめた。

壁にとりつけてあるスピーカーから、無断傍受している無線の声が聞こえていた。アメリカ海軍・空軍の観測船や気象観測機から、ディリンガム空軍基地や真珠湾へ発信されている気象情報だ。
ハワイ周辺の海洋の様子からアリューシャンに吹き荒れる台風の大きさまで、この小屋にいれば、いつでもわかる。

「カラーフィルムのストックは」
「だいじょうぶだ」
「今日はジェニファーは」
「来る」
「今夜は徹夜だ。波は朝はやくに来るだろう」
ぼくとエマニュエルは、カメラ・ヘルメットにカラー・フィルムを装填し、ウエット・スーツをととのえた。
彼は、北海岸の波地図が描かれた東側の壁の前に立った。

「ここから海へ出て、沖へ進み、ここで波を待つ。ここだ。ここに波が来る」
この建物は、カワイロア海岸の南の岬にある。喘息を病んでいた夫婦が渡ってきて建てたが、真珠湾攻撃におどろいて北アメリカにかえってしまった。それから空き家になっていたが、ぼくらが3年前に買い取り、住みついている。

この建物は、カワイロア海岸の南の岬にある。
喘息を病んでいた夫婦が建てたが、北アメリカにかえってしまった。
それから空き家になっていたが、ぼくらが3年前に買い取り、住みついている。

ぼくらをひとつにまとめているのは、今年で30歳になったラリー・デイヴィスだ。マカハで毎年おこなわれるサーフィン・チャンピオンシップで2年連続で優勝した。
チャンピオンになると、あぶく銭が入ってくる。そのあぶく銭を自身を含めたぼくらのグループに投資している。

ラリーは、チューブ状になった波のなかをサーフボードでくぐりぬけるパイプラインが得意だ。それにちなんで「パイプライナーズ」という会社をつくり、ハワイのサーフィンに関するセンターを目ざしている。
北海岸の波乗りを撮影したフィルムを7本、南カリフォルニアで公開し、おかねをかせいでいる。

ぼくはバリー・キミトシ・カネシロ。ハイスクールのドロップ・アウトで27歳。いつも北海岸で波に乗っている。
ジェニファーは21歳。大学にいきながら観光客相手の店員をやっている。サーファーでもある。
エマニュエルは1年まえ、北アメリカからホノルルにきて、ラリーに気に入られ小屋に住みついた。

28歳のエマニュエルは、あまり口をきかない。波乗りを中心に波に関する知識は豊富で、ぼくらを圧倒した。大きな波が来る冬には北海岸一帯をうろつきまわり、かえってこないことがある。はじめのうち彼はハワイの大きな波をうまくこなすことができなかったが、いまでは、ぼくやラリーにひけをとらない。

ぼくらをひとつにまとめているのは、今年で30歳になったラリー・デイヴィスだ。
マカハで毎年おこなわれるサーフィン・チャンピオンシップで2年連続で優勝した。

「波が来る」とエマニュエルが言った日、ラリーは「パイプライナーズ」の商用で北アメリカに渡って留守だった。
「ワイメアのジョセフたちも呼んでこようか」
と、ぼくは、エマニュエルに言った。
彼はじっと、ぼくの顔を見つめてから、こたえた。
「俺たちだけでやろう」

大きな波に遭遇するとき、立会人の数がすくないほど、その波は稀少価値を高め、撮影されたフィルムは伝説としてのスケールを大きくしていく。
「どのくらいの波が来るの」
「50フィートちかい」
ぼくは、顔が複雑な微笑に崩れていくのを感じた。
「きみが笑いたくなる気持はわかるが、ほんとうに来る」

これまでの記録によると、北大西洋で15m、西南太平洋で18mの波がある。50フィート、15mの高さの波は、かなり例外的なのだ。
1952年、カムチャッカの沖で津波が発生したとき、波が届いたとされる地点に、5mの高さのやぐらが材木で組んである。ぼくとエマニュエルは、そのやぐらのうえにあがった。

曇り空だが、南の空は雲が薄く、太陽のあかりがすけて見える。
「沈む陽が見られたら、明日は晴天だ」
「波は、夜には来ないだろう。でも、来たら音だけでも聞きたいから、今夜は徹夜だ」
エマニュエルは、居間の東側の部屋に入り、サーフボードのワックスを削り落としはじめた。塗りなおすつもりだ。

エマニュエルは、居間の東側の部屋に入り、サーフボードのワックスを削り落としはじめた。
塗りなおすつもりだ。

関連する投稿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?