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片岡義男『アイランド・スタイル』②高原の開発構想を打ち砕く火山の噴火。

玉突き屋で1時間ほどすごし、ぼくとラリーはパニオロの自宅へむかった。
空も海も町なみも、燃えるような黄金色だった。
「録音はここでやる。音響特性がいいそうだ」
とパニオロが居間を示した。
「スタジオでも、こうはいかないよ」
と録音責任者グレンが言った。

グレンは、海兵隊あがりのタフな傭兵を連想させる。だが彼は、現代音楽の傑作とされるオーケストラ作品をいくつもつくっている。
録音器材の運びこみを彼は部下たちに指図した。
マティルダが入ってきた。
「若い男の人が何人もいると、エネルギーがみなぎって素敵よ」
「俺だって若いぞ」とパニオロ。

ぼくとラリーは、パニオロといっしょに2階へあがった。東西と南に張り出たテラスをひとまわりすると、ここは山の中腹の谷間とわかる。目に入る風景は手つかずの自然だ。
「ここが人工の保養地になってしまうのか」
ラリーがつぶやいた。
涼しい風の吹くこの高原が観光開発の目標になろうとしている。

ハワイの大企業がこのあたりの広大な土地を所有している。湾をヨット・ハーバーに変え、町はブティークやレストランのならぶスーベニア・タウンに変貌させ、高原に高級保養地の施設をととのえる計画だ。
極秘裡にはこばれた計画が明らかになったのは、住民たちに退去明け渡し命令が届いてからだった。

テラスをひとまわりすると、ここは山の中腹の谷間とわかる。目に入る風景は手つかずの自然だ。

北の岬のなかほどから、ぼくたちは湾を見ていた。
空がまっ青だ。白い雲が浮んでいる。
海底がすけて見える。浅い部分の海水は淡いグリーンだ。いきなり深くなる珊瑚礁の棚の縁が、湾の沖を南から北へ直線でふさいでいる。海の色はそこで深いブルーに変化している。

沖から波が来る。浅瀬に乗りあげ、高くのびあがる。そしてチューブ波へと自らを巻きこんでいく。
黒い砂の海岸。椰子の林。その先の町なみ。深い谷間。牧場。畑。背後にそびえる険しい山の量感。すべてが美しい。
ぼくは三脚を立て、望遠レンズをつけた一眼レフ・カメラを装置し、波に焦点をあわせた。

ラインハートがファインダーを覗くと、ぼくは沖にいるラリーたちに合図を送った。
「最初にラリーがチューブに入る」
「よし」
のびあがった波の頂上でボードに立ちあがったラリーは、先端に体重を移しテイクオフ。スロープを斜めに切り裂きボトムへ滑降。ターンで下から上へ。反転してショルダーへ。

こちらの岬に走ってくるチューブを、レンズは真横よりすこし前面からとらえている。
チューブの内部で、ラリーがチューブに抜きつ抜かれつする様子をラインハートは見た。
チューブが閉じるとき、ラリーは飛び出し、ポーズをきめ、波の外に出た。
はじめて見るライディングにラインハートは声もない。

チューブの内部で、ラリーがチューブに抜きつ抜かれつする様子をラインハートは見た。

パニオロの家に泊まっている全員が、朝早く起きた。朝食をすませて、現場にむかった。
朝霧が高原をおおい、小鳥の鳴く声が聞こえ、風の冷たさが心地よかった。
パニオロの家とおなじくらいの標高の谷間の高原にのぼりついた。古い木造の民家がそこかしこに見えた。

保養地計画によって立ち退きと明け渡しを命令されている民家だ。いちばん高い地点にある家に到着した。抵抗運動を推し進めている人たちの大部分が来ていた。「幸せの谷間同盟」というそろいのTシャツを着ていた。
古くから住みついている人たちは、この高原の谷間をハッピー・ヴァレーと呼んでいる。

今日、朝7時にブルドーザーがここへ来る。もっとも標高の高いジョー・カラマの家から取り壊しと整地を開始するのだ。
ブルドーザーのエンジン音が聞こえてきた。
ラインハートのギターが鳴り、『ニシモト・カントリー・ストア』の歌をみんながうたった。
全員がブルドーザーのまえに立ちふさがった。

ブルドーザーのオペレーターは肥った白人のおっさんだった。
「どこで生まれたんだい、あなたは」とラリー。
「この島。西側だけど」
「島育ちなら、ブルドーザーをUターンさせ、帰っていくはずだ」
「仕事をさせてくれ。屋根に人がいるじゃないか」
「危険は承知だ」
ブルドーザーは建物にむかった。

正面の階段に鉄の歯を衝突させた。
木のへし折れる音がし、階段が半分ほどゆがんで持ちあがった。屋根のうえで、ぼくたちは姿勢を低くした。
ジョー・カラマの長男と次男がブルドーザーに飛び乗り、オペレーターを押さえこんだ。警官たちが3人をひき離そうとし、その背後から、人々がのしかかった。

ブルドーザーがここへ来る。標高の高いジョー・カラマの家から取り壊しと整地を開始するのだ。

結局、ジョー・カラマの息子ふたりと、ほかに男性が3名、逮捕された。
前部を階段に食いこませたまま、ブルドーザーは動かなくなっていた。さわぎにまぎれて誰かがエンジンの電気系統を破壊したのだ。オペレーターがいじっていたが、ウンともスンとも言わなかった。

午後まだ早い時間に逮捕者は釈放された。保釈金を弁護士に持たせ、ラリーが警察へ出むいた。近くの公園でラリーと逮捕者5名は記者会見を受け、写真を撮られた。
全員でパニオロの家へ帰った。
おそい昼食のあと、ぼくとラリー、ラインハートとジェニファーは、ダン・オヘロに連れられて山にのぼった。

石を積みあげて四角に囲ったヘイアウ(寺院)があった。
ダンは、ヘイアウのなかに立ち、ハッピー・ヴァレーでの今日の出来事を神に報告した。
儀式のあと、ダンはぼくに言った。
「きみが聞いた音は、前兆だ。なにが起こるかはわからない。しかし、なにが起こってもいいように覚悟だけは決めておこう」

パニオロの家では、録音の準備が着々と進められていた。
ラインハートは、うれしそうに言った。
「LPのタイトルが決まった。アイランド・スタイル。ハッピー・ヴァレーからの音楽、と副題がつく」
パニオロの次男レイモンドといっしょに、ぼくは東京のハワイ音楽のグループを迎えに空港にむかった。

ダンは、ヘイアウのなかに立ち、ハッピー・ヴァレーでの今日の出来事を神に報告した。

夜だ。湾の出口ちかくの海に、ぼくとラリーは浮かんでいる。
月が昇る時間に合わせて、サーフボードで沖に出た。ラリーは何度もチューブ波に挑戦した。
海底からは、なんの音も聞こえない、とラリーは言った。
ぼくもチューブに入ってみたが、音は聞こえなかった。

体を休めながら、ぼくたちはチューブ波を見ている。波の裾野からあおぎ見るチューブは、月光を浴びて壮絶な美しさだった。
「保養地をつくる連中は、この湾をヨット・ハーバーにするつもりだ。完成模型がもうできている」
「見たのか」
「地球に最後まで生き残った男の、死にぎわの夢のように美しい」

「ヨット・ハーバーになったら、この波もなくなるぞ。海底を深く掘るから」
「測量がすでに終わってる」
「とにかく抵抗しような」
「やるよ」
流れ星が飛んだ。
ぼくたちは、もう一度チューブに入ることにした。
ラリーが、ふと空へ顔をあげた。
「聞いたか」
ぼくも叫んだ。
「ラリー、聞いたか!」

地を這う重低音だった。テイクオフにおくれたまま、波の頂上で、再びぼくたちは音を聞いた。
あの夜の音に似ている。だが、海底からではなく、夜の空間のなかを波動してくる。
ラリーは山の頂上を指さした。
屏風のようにつらなる山のてっぺんのひとつから噴火していた。ぼくたちはしばらく見入った。

ラリーは山の頂上を指さした。屏風のようにつらなる山のてっぺんのひとつから噴火していた。

町にサイレンの音が聞えた。すでに明かりを消していた民家に、次々に明かりが灯った。
「パニオロの家が危ない!」
サーフボードで砂浜に乗りあげ、ジープで山裾にむかった。
山には赤く溶解した巨大な傷口が縦にできていた。その傷口から溶岩が噴き出て流れ落ちた。

居間には、明かりが灯り、録音器材がならび、コードが何本もフロアを這っていたが、人はいなかった。
2階へかけあがり、テラスに出た。
全員がこちらに背をむけ、噴火を見あげていた。後姿は、花火見物のようにのんびりしていた。
「早く避難しろ!」
全員がふりかえった。恐怖と畏敬の表情があった。

溶岩は、山の下のスロープをゆっくり流れだしていた。溶岩の河幅が広がると、表面に亀裂が走り、まっ赤に燃える網の目になって夜の底に浮かびあがる。
建物がゆれつづけている。
灰が、顔や胸に当たった。
大地がゆれた。噴火口が根もとまで裂けきり、猛然と噴きあげる丸く巨大な溶岩の山が現出した。

「逃げよう」
こんどは、全員が、はじかれたように1階へ降りた。
「器材はどうしよう」
「火山にくれちまえ」
「テープは?」
「ぜんぶ、この罐に入ってる」
「こいつだけ持って逃げろ」
制服の警官がふたり、飛びこんできた。
「早く避難しろ! 町は全滅するぞ」
楽器だけを持ち、全員が家を出た。

パニオロは家の裏の池から7羽のアヒルを抱きよせ、飼犬カメハメハをつれて、ジープに乗りこんだ。
すこしくだったところで、道路は溶岩に埋まっていた。
「降りて歩こう」
ラリーはサーフボードを溶岩の河にほうった。
「全滅だ。溶岩は湾へ流れこむからチューブもなくなる。さっきのが乗りおさめだ」

大地がゆれた。噴火口が根もとまで裂けきり、猛然と噴きあげる丸く巨大な溶岩の山が現出した。

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片岡義男『アイランド・スタイル』(1978年)
『アイランド・スタイル』は雑誌『野性時代』1978年9月号に発表された。モデルとなる舞台は、オアフ島のワイメア・バレー。登場する音楽家のモデルは、ギャビー・パヒヌイと仲間たち。アメリカの伝統音楽を掘りおこす白人音楽家は、ライ・クーダーがモデルだ。レコードは1975年に発表された。ハワイの大企業の再開発計画への反対運動も実話だ。最後、火山が噴火するが、これは現在のオアフ島では想定外で、ハワイ島のキラウエア火山の噴火を参考にしたと思われる。

2023年4月29日、土曜日、午後8時30分、「ワイキキ・スパム・ジャム・フェスティバル」のモアナサーフライダー前の舞台に、トリビュート・トゥー・シリル・パヒヌイ・バンドが出演した。曲は「ブルー・ハワイアン・ムーンライト」「ヒイラヴェ」「コウ・キノ・マンボ」。ギャビー・パヒヌイは1980年に亡くなり、息子シリルも2018年に亡くなり、その追悼楽団の演奏だが、ギャビーの音楽の魂は受け継がれていることが分かる。

なお、私の文章は、片岡義男さんの作品の抜粋であり、表現を補うために、ウェブ上に公開されているワイメア・バレー、キラウエア火山などの写真を添えた。

『波乗りの島』として1冊にまとめられた片岡義男さんの5つの短編小説の全文は、下記のウェブサイトで公開されている。
青空文庫

片岡義男.com全著作電子化計画

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