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片岡義男『白い波の荒野へ』②波の壁の頂が朝日をうけて輝いていた。

夕方、西の空が晴れはじめたころ、ジェニファーが来た。
ぼくらが共同でつかっている1958年モデルの白いフォードの4ドアで、いつものようにカメハメハ・ハイウェイからバックで走ってきた。
無漂白タンガリーのフレアード・ジーンズにオリーブ色の洗いざらしたTシャツ。

彼女は、居間に出しているカメラ・ヘルメットを見て、言った。
「波が来るのね」
「今夜は徹夜だ」
「また肥るわ」
波を待って夜を明かすとき、玄米をとろとろに煮たものを食べる。海の状態を知るために沖に出ると、体が冷えるから、ワインを入れて熱く煮つめたマーマレードを食べ、コーヒーを飲む。

陽が沈むときは外に出て、西の海と空をながめる。オレンジ色の半円が、海と空を照らしている。太平洋と太陽との、すざまじいまでのへだたりが実感される。
青い部分の空を見つめていると、吸いこまれそうな錯覚をおぼえる。
太陽を乱反射させている無数の波頭が、瞬間ごとに生まれては、消えている。

ぼくは、16ミリ撮影機に標準のレンズをつけ、三脚といっしょにやぐらまで持ってきて、海を撮影した。もし15mをこえる大波が来たら、このフィルムは前日の光景として編集上の値打ちを持ってくる。
エマニュエルがもどってきた。
「波の来るまえの海がどんなだか知りたければ、いま沖へ出てみるといい」

陽が沈むときは外に出て、西の海と空をながめる。
オレンジ色の半円が、海と空を照らしている。
太平洋と太陽との、すざまじいまでのへだたりが実感される。

夜になった。
波がくだける音。風。椰子の葉。気象観測情報。ほかには、なんの音も聞こえない。それぞれの仕事をしながら、ぼくらは夜の時間を経過させていた。
仕事が単調になりすぎると、キチンにあつまって玄米を食べ、コーヒーを飲み、マーマレードをなめて話をした。

サーファーであるぼくらは、不思議な習性を持っている。仲間の誰かが、今日は波が来ると言えば、ぐっとみんなでその波を待つ。どんなふうにその波を待つかも、重要なのだ。
夜のあいだに3度、砂浜を歩いてみた。月の位置がかわると、砂浜にできる影と月光によって白く光る部分とが、変わっていく。

3時をまわらないうちに空は白みはじめ、空気の香りがかわっていった。風の吹く方向が変わり、吹きかたもちがってくるからだ。
「よし。波が来るぞ。俺の波だ」
と、エマニュエルが立ちあがったのは4時ちかく。
カメラをすえつけ、エマニュエルとぼくはウエット・スーツを着てヘルメットをかむった。

太陽の光りが山をこえてこちらに届く瞬間、海の沖のほうが、ひと刷毛、黄金色に塗られる。そして、太陽がのぼるスピードにあわせて、黄金色の波は海岸のほうに寄せてくる。
「ジェニファー。きみは海へ入らずに、カメラを受けもってくれ。すえっぱなしでいい」
「それなら、もう1台、ズームで撮るわ」

「ジェニファー。きみは海へ入らずに、カメラを受けもってくれ。すえっぱなしでいい」
「それなら、もう1台、ズームで撮るわ」

ぼくはエマニュエルに訊いた。
「どうなんだ」
「来る。沖へ出よう。1時間は待つかもしれない」
サーフボードを浮かべ、腹ばいに乗る。両手で水をかき、沖へ出ていった。
奇妙な気分になるのは、このときだ。来るのか来ないのかわからない波にむかって出ていくのだから。

沖に出ると、時間の感覚がなくなってしまう。不思議で得体の知れない中空に漂っている錯覚に落ちこんでいく。
ボードに腹ばいになり、位置を保ちながら、波を待った。2度、海岸にもどり、ジェニファーが持ってきたマーマレード入りコーヒーをすすり、砂浜を走って、全身にあたたかさをとりもどした。

3度目に沖へ出たとき、その大波が来た。
盛りあがった海が押しよせてくるのが見えた。その波の壁の頂が朝日をうけて輝いていた。砕けては飛び散る波頭は、溶けた黄金が空中に舞っているようだ。
海底が持ち上げられる錯覚と共に、ぼくらの体は空中にほうりあげられ、大波の波頭はボードの下にあった。

もっとも高くあがって静止する一瞬、全身の感覚がとぎすまされる。波のうえの空気を吸いこむ。波と共に走るボードのうえに立ちあがり、両腕をのばしてバランスをとりおえた次の瞬間、大波の斜面をすべり降りている。無重力にちかい状態は、ボードの下に波のエネルギーを受けとめる重い状態へ急変する。

波と共に走るボードのうえに立ちあがり、両腕をのばしてバランスをとりおえた次の瞬間、
大波の斜面をすべり降りている。無重力にちかい状態は、
ボードの下に波のエネルギーを受けとめる重い状態へ急変する。

撮影したフィルムは、あくる日、現像にまわした。
フィルムができあがってくると、ぼくは小屋にこもって編集に没頭した。スローモーションでとらえられている光景があまりにも素晴らしいので、見る回数をかさねるにしたがって、すべて嘘か幻に思えはじめてくるのだった。

あの50フィートの不思議な波は、あの日の朝、たしかにカワイロア海岸のぼくらのところにやって来た。エマニュエルもぼくも、その波に乗った。50フィートの高みから降りはじめたときの官能の極点は、いまでも自分の体が記憶している。波の内部に巻きこまれ、ひきずりまわされた苦しさも忘れてはいない。

だが、それらの記憶をこえて、嘘か幻に熱狂している錯覚は日ごとに強まった。
大波が来ると判断した根拠を、エマニュエルにただした。
「根拠はない。ここで感じた」
と心臓のあたりを叩いた。
あの波がどうして出来たのかは不明との結論を出してから、彼は口をきかなくなった。波に乗ってばかりいた。

あの波のもとの波が太平洋のどこかに発生したことはまちがいない。波はハワイにむかって伝わってくる。海岸にちかづくにしたがってスピードを落とす。海底の珊瑚礁の棚に乗り上げると、波は高く盛りあがる。波の左端には風の影響も加わり、チューブ状になる。はじめの波がなぜできたかには、ぼくは興味がない。

波はハワイにむかって伝わってくる。
海岸にちかづくにしたがってスピードを落とす。
海底の珊瑚礁の棚に乗り上げると、波は高く盛りあがる。

フィルムは、細工をせずに、そのままつなぐことにした。冒頭には、大波が来る前日に撮ったカワイロア海岸の光景をつけ加えた。
それでいいだろう、とラリーは言った。フィルムの編集よりも、映画の公開のしかたを計画することに熱心だった。
エマニュエルがいなくなった。

ジェニファーが空港でばったり会ったエマニュエルが、ぼくらにとっての最後の彼だ。
「南へ行く、と言ってたわ」
「タヒチからオーストラリアにまわるつもりなのだな」
サーファーは、あるとき、この病気にかかる。自分の理想とする幻の波を求めて、南半球の海をほっつきまわる病気サーフ・サファリ。

大波のフィルムは、つなぎあわされた。
おしまいに、冬の北海岸のある日の、どしゃ降りのシーンをつけ加えた。
エマニュエルがいなくなって10日目に、ひどい雨が降った。叩きつける雨に洗われる小屋の白い板張りの壁。しなう椰子の樹。その葉。黒く切り立つワイアナエ山塊。海のひろがり。波打ちぎわ。

ジェニファーに手伝ってもらって、その雨を撮影した。
小屋にかえり、熱いシャワーを浴び、ぼくらはベッドに入った。彼女がアルバイトにでかけるまで時間があったからだ。
彼女を白いフォードでワイキキまで送り届けた。
パンチボウルまでくると晴れていた。タンタラスに淡い二重の虹がかかっていた。

ワイキキ・ビジネス・プラザの前で、車を降りようとするジェニファーに、
「ようけ働かんと食えんがの」
と、ぼくは言った。
「何と言ったの?」
「おじいさんが、口ぐせのように言っていた。なんという意味か、忘れてしまった」
彼女は手を振って車を離れた。椰子の葉が風に吹かれ、硬い音で鳴った。

オアフ島の北海岸に架かる虹

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片岡義男『白い波の荒野へ』(1974年)
1974年、雑誌『野性時代』が創刊され、創刊者の角川春樹さんの熱心な勧めで、片岡義男さんはハワイを舞台に波乗りを主題にした短編小説を書いた。「僕にとってハワイはおそらくもっとも居心地の良い場所だろう。しかし現実のそこでは、そこに固有の言葉づかいが必要とされる。固有の言葉づかいをとおして受けざるを得ない世界の限定は、小説のなかでは可能な限り避けたいと僕は思ったようだ。避けるための工夫として、波乗りという日常と非日常との境い目の場所、あるいはその両者の混在の場所を、僕は用意しなくてはならなかった」と片岡義男さんは振り返っている。

なお、私の文章は、片岡義男さんの作品の抜粋であり、表現を補うために、佐藤秀明さんがウェブ上に公開しているノースショアの写真を添えた。

『波乗りの島』として1冊にまとめられた片岡義男さんの5つの短編小説の全文は、下記のウェブサイトで公開されている。
青空文庫

片岡義男.com全著作電子化計画


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