見出し画像

ハワイの植物⑥バニヤン・ツリーを引き継いだ人々

★アイナハウ⇒キング通り⇒マジック・アイランド
カイウラニ王女は1899年に23歳で亡くなり、アイナハウは1921年に焼失した。火事の時、バニヤンは防火帯の役割を果たし、近隣への延焼を防いだ。バニヤンは1939年にツシタラ通りに移植され、1949年に撤去された。クレッグホーンは、木の一部を挿し木としてホノルルの各地に植えた。

アイナハウのバニヤン 1900年頃

クレッグホーンは、アイナハウのバニヤンの挿し木のひとつを、ハワイ王国の植物苗床があったキング通りとケエアウモク通りの角に植えた。挿し木は大樹に育ったが、道路拡張の障害物となった。市議会を中心に多くの論争があり、市長は木の一部を複数の場所に植えることを条件に1967 年に木を伐採した。

キング通りとケアモク通りの交差点のバニヤン 1967年に伐採

キング-ケエアウモク通りのバニヤンの一部は1967年、ホノルル・コミュニティ・カレッジに植えられたが、図書館の新築工事に伴い、1974年にマジック・アイランドに移植された。大樹に育ったバニヤンは、ワイキキとダイヤモンドヘッドを望む場所に木陰を提供し、ピクニックを楽しむ市民で賑わっている。

マジック・アイランドのバニヤン 2023年9月17日撮影

★アイナハウ⇒トーマススクエア
1843年2月、在ホノルル英国総領事の策略で、英国海軍が派遣したポーレット調査官は、カメハメハ3世と面談後、ハワイを英国領とすると宣言。ビクトリア女王に異議を申し立てると、トーマス海軍提督が派遣され、主権を返した。1843月7月31日に主権回復式典が行われた場所が現在のトーマススクエアだ。

サウス・ベレタニア通りから見たトーマススクエア 2023年9月8日撮影

1850年、トーマススクエアはハワイ初の都市公園に定められた。1875年、クレッグホーンはトーマススクエアの管理を任され、1883年、円形と半円形の小道による公園設計を承認。しかし王国の財政は厳しく、彼はアイナハウのバニヤンと王国の苗床の木を植え、野外舞台、座席を実現する資金を友人に求めた。

トーマススクエアの中央サークルに植えられた4本のバニヤン 2023年9月8日撮影

1887年4月7日のロイヤル・ハワイアン・バンドのコンサートには大勢の観衆が集まり、公園のオープンは成功した。
2018年7月31日、主権回復175周年式典で、高さ12フィートのカメハメハ3世のブロンズ像とハワイ州旗を掲げた旗竿を公園に奉納。
背後には樹齢130年を超える4本のバニヤンが枝を広げる。

カメハメハ3世像とハワイ州旗とバニヤン 2023年9月8日撮影

★アイナハウ⇒カイウラニ小学校
クレッグホーンは、アイナハウのバニヤンの挿し木のひとつを、カイウラニ王女が亡くなった1899年に、ホノルル市のカリヒに設立されたカイウラニの名前を冠した小学校の校庭に植えた。
私がカイウラニ小学校を訪れた2023年10月20日は、王女が亡くなって124年目。樹齢124年の大木が校庭の隅に、小学校の宝として、金網に囲まれて大切に守られていた。小学校の生徒たちは毎年10月16日のカイウラニ王女の誕生日には、バニヤンの前に芝生広場に集まって、王女の生涯を物語る歌と踊りを繰り広げるとのこと。

カイウラニ小学校のバニヤン 2023年10月20日撮影

★カピオラニ公園周辺の13本のバニヤン
カラカウア王は1874年、互恵条約を結ぶために米国へ。その途上、米国の都市公園を見て、カピオラニ公園の建設を決意。1876年、カピオラニ公園協会を設立し、建設資金を調達するために$50×200口のファンドが売り出され、この資金をもとに競馬場、植樹、遊歩道の整備が行われた。

カピオラニ公園に整備された競馬場

植樹はクレッグホーンが行い、オーストラリアから輸入したアイアンウッドで並木道を作った。バニヤンは、動物園内外に3本、モンサラット通り沿いに2本、ファンド購入者が土地を借りて豪邸を建てた海岸沿いに5本、東端に3本が残る。動物園内のバニヤンは、クレッグホーンが係わった可能性がある。

カピオラニ公園周辺に植えられた13本のバニヤンのマップ
ホノルル動物園内のバニヤン 2024年1月26日撮影

残り12本のバニヤンは誰が植えたのか。1910年クレッグホーンの逝去後、1922 年~1923 年にかけて、13 歳のローウェル・ディリンガムが、母親からバニヤンを植えることを割り当てられ、夏のプロジェクトとして植えたのだった。ローウェルの父ウォルターは、1921年~1928年にアラワイ運河を施工している。ウォルターは1919年にクーカーイリモク神のパパエナエナ・ヘイアウ(神殿)のあった場所にラ・ペトラという豪邸を建てた。その場所は、カピオラニ公園の東(南)端、ポニ・モイ・ロード沿いのバニヤンの奥にあり、ディリンガム家にとってカピオラニ公園は庭のような存在だったのだろう。

カピオラニ公園の東(南)端、ポニ・モイ・ロード沿いのバニヤン
カピオラニ公園の山側、パキ・アベニュー沿いのバニヤン 2024年1月26日撮影
ダブル・レインボーが架かったカピオラニ公園東端のバニヤン 2022年9月21日撮影
ウォー・メモリアル・ナタトリウム前のバニヤン 2024年1月26日撮影
ウォー・メモリアル近くのカラカウア・アベニュー沿いのバニヤン 2024年1月26日撮影
ワイキキ水族館の西側のバニヤン 2024年1月26日撮影
ベアフット・ビーチ・カフェの西側のバニヤン 2024年1月26日撮影
クイーンズ・ビーチの後ろのバニヤン 2024年1月26日撮影
モンサラット・アベニュー沿い(海側)のバニヤン 2024年1月26日撮影
モンサラット・アベニュー沿い(海側)のバニヤンの果実 2024年1月26日撮影
モンサラット・アベニュー沿い(山側)のバニヤン 2024年1月26日撮影
ホノルル動物園前(海側)のバニヤン 2024年1月26日撮影
ホノルル動物園入口前のバニヤン 2018年12月23日撮影

★ワイキキの3本のバニヤン
カラカウア通り沿いのデューク像の東側にあるバニヤンは、樹齢140年以上と推定されている。ワイキキ改善協会は、樹の海側にフラ・マウンドを設けて、毎週火曜日・土曜日と最終日曜の午後6時30分から観覧無料の「クヒオ・ビーチ・フラ・ショー」を開催し、多くの観光客でにぎわっていたが、現在は中止している。

バニヤンの下で開催されたクヒオ・ビーチ・フラ・ショー 2019年6月6日撮影

インターナショナルマーケットプレイスのバニヤンは、1800年代中期に、スコットランド人のヘンリー・マクファーレンと妻のエリザが自宅の庭に植えたもの。
1956年、ドン・ビーチはバニヤンの周りにティキ文化をテーマとした藁ぶき屋根の建物を建て、インターナショナルマーケットプレイスをオープン。

インターナショナルマーケットプレイスのバニヤンとツリーハウス 2020年2月6日撮影

モアナサーフライダーのバニヤンは、1901年のホテル開業後、1904年に農務局試験場長のジャレッド・スミスが植えた。1918年には樹の東西にホテル棟を建築。バニヤン・コートと呼ばれる中庭では1935年から40年間、ハワイ音楽を世界中に届けたラジオ番組「ハワイ・コールズ」を放送し、ハワイ観光をPR。

モアナサーフライダーのバニヤン・コート 2018年12月27日撮影

関連する投稿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?