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こいつあ春から縁起がいいわえ!?実はめっちゃ不謹慎なこの科白に痺れたとこから始まった歌舞伎沼の住人になるまでのこと

あの日、私はきまぐれにいつもと違う角を曲がった。曲がったところでドンとぶつかり、「すみません」と会釈し前を向き直す。「あれ? どこかで会ったことがあるような」。訝しげに振り返ると、その人はもういなかった。気を取り直し、再び前を向く。すると、街中のビルボードやら交通安全ポスターやら、とにかく目に入るすべてが、さっきぶつかった人の顔にすり替わっていた。なにこれ、怖い。

 私が人生初の推しに出くわした瞬間はこんな感じ。あ、リアルでぶつかったわけではないです。たとえるならってこと。ひと目見た瞬間に雷に打たれたとか、体中に電流が走る系のそれではなかった。平熱のまま、世界が切り替わってしまったのだ。ぶつかる前まで、自分がどんな世界で生きていたのか、もう全然わからない。
CREAweb  ジェーン・スー“奇跡の推し活エッセイ”ラブレター・フロム・ヘル、或いは天国で寝言。より抜粋

好きな三人吉三はお嬢吉三!
そんなこと言う歌舞伎好事家はそんなにいないと思いますが、それでも河竹黙阿弥による歌舞伎演目「三人吉三廓初買(さんにんきちさ くるわのはつがい)」または「三人吉三巴白浪(さんにんきちさ ともえのしらなみ)」通称「三人吉三(さんにんきちさ)」は屈指の人気演目で、「月も朧に白魚の〜」で始まるお嬢吉三の名科白をこっそりお風呂で誦じたりしたことのある方は私だけじゃないはず。(え?)
この科白、実は「こいつあ春から縁起がいいわえ〜」で終わるんです。そう!お正月時分になるとCMなんかで一度は聞いたことあるんじゃないでしょうか。黙阿弥の代名詞とも言える七五調の科白回しは日本人ならどうにも心地よく響くもので、なんだかいいことありそうな、おめでたい雰囲気に溢れた感じしますよね?
でもね。私驚いてしまったんです。助けもせず叫びもしませんでしたが(©︎中島みゆき)驚いてしまって。
さてここでざっと話のあらすじを。和尚吉三(おしょうきちさ)・お嬢吉三(おじょうきちさ)・お坊吉三(おぼうきちさ)という偶然にも「吉三」という同じ名前を持つ泥棒3人による因果応報悲劇、と言ってピンとくるあなたは既にこの歌舞伎を観たことある人です。そう、はっきり言ってざっとなんてレベルでは到底説明しきれない複雑な設定があるので詳しく知りたい方はググってください。でも観たことない方は是非設定だけ把握して通しで見て欲しい!けど通しではほとんどかからないんですよね。。
さて話を戻します。この科白、通称「厄祓い」と呼ばれていて、季節は旧暦の節分の夜という設定なんですね。およそ今の2月下旬頃にあたります。細かい設定は省きますが、お嬢吉三は今で言う“男の娘”で実際のセクシャリティは不明ですがとにかく体は男性で、女装をして美人局なんかしてお金を稼いでいた悪人です。で、この日はたまたま通りかかった夜鷹(路上売春婦とでも言いましょうか、戦後だったらパンパンとか言いますね)のおとせから強請ろうと決めてだまくらかしてお金を奪うのですがそのお金がなんと百両!しかも!お金を奪うと同時におとせを川に突き落とし殺人紛いなことまで仕出かします。(実際はおとせちゃん、これでは死なないです。これではね…)
で、その百両を盗んだとこを見ていたとある男がお嬢吉三に斬りかかるんですが、お嬢、がっつり男なんで一蹴します。この、“女装してるし事実女にしか見えないほど美しい男"がめちゃくちゃ強いって展開、萌えますよね(え?)。弁天小僧然り。で、追い払って一安心して例の科白を吐くんです。七五調でゆったり朗々と、女の装いに似合わず男の声で乱れた着物もそのままに。引き込まれます。純粋に聞き心地がいい。でも実体は「適当に見つけた夜鷹をカツアゲしたら百両も持ってて超ラッキー♡てか今日って節分じゃん?まじ春から縁起いいわー(超意訳)」ってことなんです。まじか。えええ…全然めでたくない。
でもこんなお嬢吉三にも切ない事情があってこんなことして稼いでいて、それは他の2人の吉三(和尚吉三・お坊吉三)も同じです。根っからの極悪人ではないんですね。時代や家庭の事情でこうなった。そこには現代にも通じる貧困の連鎖のようなものを感じます。おそらくお嬢吉三・お坊吉三は10代、和尚吉三も精々ハタチを超えたくらい。若い若い3人は止むに止まれぬ事情を抱えて悪事を悪事で納めていきます。それはどんどんエスカレートしていきやがて最悪の結末が。。。観たくなってきたでしょう?

あぁ、いつか大好きな中村七之助丈のお嬢吉三を観たいなーと願っていたある日、ついにその時はやってきました。忘れもしない2014年6月9日、渋谷は文化村シアターコクーン。大詰めで大量に降る雪を頂けるほどの席は思っていたよりも狭く、膝を幾重にも畳んで今か今かと開演を待っていました。客入りの間、既に舞台上には市中の人々を演じる役者さんがいらして、まるで自分も江戸時代に入り込んだような気持ちにさせられ、否が応でも期待に胸膨らんだのを昨日のことのように覚えています。いよいよ幕が上がると(実際には演出上既に幕は上がっていましたが)通常公演とは大きく違い躍動感あふれる演出と本水を携えた舞台装置に息を呑み、あっという間に大川端庚申塚の場になりました。そう、件の“厄祓い”の科白はこのシーンです。(少し話が前後しますが、コクーン歌舞伎の三人吉三は普段かからない場面も含め全編通しで行われたお陰でものすごく腑に落ちたのを覚えています。通常公演ではイヤホンガイドをしてても中々こうはいきません。)
そして。その時はついにやってきました。七之助丈によるお嬢吉三は私にとって推しになるに余りある条件を揃えまくって、目の前をキラキラで埋め尽くしあっという間に去っていきました。そうです、これが推し爆誕の瞬間であり、住所が歌舞伎沼になった瞬間です。そして冒頭のジェーン・スー氏の引用に戻ります。まさに。まさに終演後渋谷の街を歩く私はこんな感じでした。何を見ても推しに見える、何これ怖い。でもスキー♡ていうテンション。やがて歌舞伎座徒歩圏内に引っ越したりとその沼から抜け出すことはなく、今も首までどっぷり使ってキーボードは泥だらけです。
ところで今日は節分ですね。どうしてもこの日にnoteをスタートさせたかったのはそういう理由です。こんな私の行き場のない歌舞伎愛を振りまくnote、鷹揚に御見物頂けましたらこれ幸い。どうぞ末長くご贔屓に。

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