生体認証と統計的センス

生体認証はつくづく統計的なセンスが問われるトピックだな、と最近感じます。

パスワード等を用いる認証手段と異なり、生体認証はカギの役割を果たす情報を外部から観察することが可能です。声は録音、指紋は触れたものから、顔は沢山の写真を組み合わせて、ということで組み合わせられることは、数ある映画の演出からも自明といえます。

リンク(サムネがちょっときつい画像だった)

また、偽陽性と偽陰性(False PositiveとFalse Negative、語感がカッコいい)の問題もあり、強度を高めすぎれば二日酔いの顔や声が拒否されてしまうかもしれないし、弱めれば空似の他人に突破されるリスクも高まるわけです。

このような要因もあるため複数の認証手段を組み合わせることが大事ですが、残存するリスクの存在を最後まで理解することは難しいんじゃないだろうか、とも思います。結果的に、小売の現場において、欧州基準であれば3600円くらいまでであればリスクは軽微であると捉えて、手数料の中で不正リスクを吸収していくのが現実的な解となります。

そういうリスクもあるのですが、事前の同意を分かりやすく明示していけば、少額支払いで何もいらない経済圏は、とても便利な社会なのかもしれません。生体認証の何よりも強みといえるのは、実社会において我々がある人を顔や声で認識し分けるように、直感的な方法である、という点です。飲み屋で自分が勝手に本人認証されているときって、少なくとも気持ちがいいものだと思っていて、まずはアルコールな現場から(3600円で収まらないかもしれませんが)導入してみるのはアリなのではないかな、と思っています。

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