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象は鼻が長い、僕はおんなのこが好き

「象は鼻が長い」。三上章さんの有名(かな?)な本の題名。日本語の文の構造について考察したご本。「象は」は「鼻」にも「長い」にもかかっていて、「鼻」にかかるのが副業で「長い」にかかるのが本業みたいな話(すごく端折ってる)。言い代えると「象の鼻」が「長い」ってこと。確かに「父さんは足が臭い」という文もおんなじ出来栄えだ(例が悪いって?じゃあ、清少納言さんの「春はあけぼの(が良い)」なんかも同じだよね)。では、「僕はおんなのこが好き」って文はどうだろう、一見おんなじ作りに見えるけど、「僕は」は「おんなのこ」には、なん(の悪さ)もしてない。もちろん「僕のおんなのこ」が「好き」にはならない。日本語の「は」ってのは、ちょいとクセもんだ。どうも、「は」ってのは、そいつがくっついたものの状態(性質とか有様とか)を示すための言葉じゃないかな。「象」は「鼻が長い」という状態。「僕」は「おんなのこが好き」という状態。「春」は「あけぼのが良い」という状態(これは個人、少納言さんの感想だけど)。あくまで、「は」のあとに来る「○○」が「△△」というのは、「は」の前にあるものの状態を示すための説明じゃないかい。だから「は」の後には、何だってつけられる。たとえば「父さん」は「走る」。「父さん」は「走る」という状態にある。「父さん」は「臭い」。「父さん」は「臭い」という状態にある。「父さん」は「課長」。「父さん」は「課長」という状態(役職)にある。「は」の後には動詞も形容詞も名詞もなんでもくっついて、それは「は」の前のものの状態を表すことになる(副詞も動詞といっしょならくっつける。「父さん」は「早く」「寝る」とか)。こうしてみると、日本語ってのは、どうやら「静的」な言葉なんだなあと思えてしまう。状態を表す言葉が連なって、動詞すら状態を表す言葉としての役割を担って、文章が紡がれていく。ようこそ、日本語の森へ。

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