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浮世離れしすぎずバランスを保つ

これは今の人生を生きる私にとって重要事項というか。
定期的に様々なところで吐き出している内容の割に文章まとまってないですが記し。


制作だけをしていると篭りっきりになり、一般社会との関わりがなくなる。
でもそれは自分にとって健康ではないと思っていて、だからバランスを取るためにあえて社会の波に揉まれに時々違う仕事をしに行ったり、じっと座っている制作(静)とは真逆の行動(動/例えば登山)をしたりする。
バランス大事。静だけじゃなくて動もないと。逆も然り。


作家活動というと「それ一本で食べていけたら成功」みたいな感じで世の中の人たちに思われがちな印象がある。なので今の私の状況(バイトをしたりしながら制作をすること)を見た誰かは、まだ一本で生活できてないのね、というような哀れむ目を向けてくる。
私も食べていけたら万々歳だとは思っているし、それだけでやっていってる人はすごいなと思うし実際憧れはある(あるのかよ)けれど、別に私はそこが目的ではないんだけどな、といつも思う。別にとびきり売れて有名になりたいわけでもない。


言葉選びは異なるが、闘病生活を終え旅立っていった大好きな友人が言っていた言葉
"人生は長さではなくて、息絶えるまでに如何に自分らしく生きられるか"
これがずっと心の中にあるのも大きい。
いつ来るかわからない自分の命が絶える時に「あーマジ私の人生最高だったな!私として生まれてきてよかった!」って思えたらそれが私にとっての成功。
だから息絶えるその瞬間の感情のためだけに今こうやって生きている。
行けるうちに行きたいところに行く。会えるうちに会いたい人に会う。手が動くうちに作りたいものを作る。
だって、明日どうなるかわからないよ。


世間様から見たらきっと寝る間も惜しんで苦しみながらも必死に制作に勤しむことが本来あるべき姿なのだろう。現時点で食べていけていないならば。
でも私は身体や心を壊してまでやりたくない。そもそもそこまでしてやる仕事ってこの世には存在していないとすら思う。会社勤めにしても。

私は心身健康な生活というベースがあってからの制作で。
制作することで心が健康でなくなるならやめます。健康でなかったら制作はできません。

人間本来のものづくりの姿(自分や家族などの身の回りのものを作り、それで生活を豊かにしていくこと)にバイタリティや美しさを感じて、生活に根付いた作業として染めや織る作業をしたり、生活の中で必要だと感じた物を作る行為をしている。ただそれだけをしている人間です。

だから作家と名乗るのも違和感があり、でもそれ以外に当てはまりそうなものもなく、作家活動的なことをしてますはははーと濁す。
こんな生活いつまでするんかね?とは思うけどね。

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