己の樽

「『ブルーアワーをぶっ飛ばす』観に行きたいんですよね」という話をしたら、「刺されそうだよね」と言われた。

この手の話は、ボーッとしてるとブッ刺される。東京女子図鑑しかり。
一見香ばしい話に見えるけれど、誰にも話さないような、グチャグチャドロドロの焦げついた生き様が明確に描かれている。

誰かによって分断される女同士の価値観、広げても現れるステージ、年齢や美醜の呪い。
野心のある女が現実に打ちのめされる瞬間は痛々しい。

当の先輩に借りて「あの子は貴族」を読んだ。

話に出てくる3人の女は、20代後半の榛原華子と相楽逸子、30代前半の時岡美紀。

田舎にうんざりして、大学への進学を機に上京した美紀は内部生を目の前にして痛感する。
東京の、しかも限られたエリアの出身ではない時点で、同じ土俵で戦うことができないと叩きつけられるのだ。

私は地方の出だから、美紀の帰省に対する気持ちも分かるし、異なる世界の住人から線引きされて落ち込んだこともある。

一方で、華子の祖母への接し方や、お雛様のこと、正月の恒例行事は心当たりがあるし、
逸子が海外へ行くことを上京と捉えているように、私も似た感覚で留学した。
全部、理解できる。

青木幸一郎のような男にも、数人心当たりがある。
本当に仕上がりが良くて、紳士的な男。
少しだけ好きになったことがあるのだ。
あとから、自分が手に入れられないものへの憧れだと判ったけど。

自分の家のことはあまり話したがらないが、通っていた学校、実家の場所や習慣、嗜好品で生粋のそれだと分かってしまう。
彼らは決まって、地方出身ということが分かると「あぁ、」という顔をする。
こんなことなら、黙っていれば良かったと思うほどに。
芝生を入れ替えても、広げても、隣の芝生は眩しいほどに青々しい。

「きっと、誰の心にもあるんだよ、上京してきた人の心にはね。上京でなくてもいい。東京に観光で来たことがある人も、テレビや雑誌でなんとなく見てるだけの人も、みんないつの間にか東京のイメージを刻み込まれてて、現実とは少し違うその場所に、ずっと変わらず憧れつづけてるんだよ。それが、東京。まぼろしの東京」

上京した美香のセリフを見ると、東京への情景と思慕が流れ出てくる。
東京駅 丸の内駅舎が醸し出す大団円の雰囲気は、田舎の人間にしか分からない感覚なのだ。

一方で、華子の東京(故郷)の見方は以下のように語られている。

「夜の東京の、ギラギラした光の点滅をタクシーから眺めるうちに、華子の心は次第に落ち着きを取り戻す。まるで、海辺の町で育った人が海を見るとほっとするように、華子はタクシーから見る東京の景色にたまらなく安堵した。(中略)
こうして華子は振り出しに戻されたのだった。タクシーの窓を雨粒が流れる。選転手は無言でワイパーのスイッチを入れた。夜の東京が雨でびしょ濡れになると、ネオンが滲み、情緒が出る。そういう景色も、華子は好きだった。もちろん、自分がタクシーに乗っている場合に限るけれど。」

松濤出身の彼女だから安堵できる景色は、私には見えない。

ずっと、私を知らない人に囲まれたかった。
上京したのもそれが理由の1つである。
あの場所では家が付き纏って、どうにも生きづらかった。田舎ではすぐにサンプリングされてしまうけれど、都会にいると認識さえされないから気が楽だ。

引き換えに何者にもなれないし、多分これから何者にでもなれる。

記号になってからが本番だと思っているから、
新しいものに価値があると思っているから
でもそれって本当に?


物語には終わりがあるもので、己の足るを知った女たちはもう一度歩み出す。

現実はというと、そんな数時間や数百ページのように円滑に進まないわけで…

東京での生活は続くし、食らって食らって、生き残らなければならないのだ。
年齢やルッキズムの呪い、自分が解けていても周りがかかっていたらあまり意味がないし、
無意識に、得られなかったものにしがみ付こうと必死なのかもしれない。誰か矛盾を受け止めてくれ。

先輩、やっぱりブッ刺さりました。

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