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はぁ…イライラするなぁ…(辛すぎ)

引続き、愛していると言ってくれ(韓国)である。
結局昨日は配信済の14話までを見てしまった。

そして15話である。
タイトルが「別れ」 詳細も辛いことしか書かれてない。
これは覚悟を決めてみるしかない、と温かい雑炊を食べ、
心をふっかふかにしてから再生した。

モウンが物足りなさを感じているのと同じように、
ジヌももどかしさを感じているのだなぁと気づいた。

「私は、大丈夫」といったものの、
結局モウンは大丈夫ではなくて、
「大丈夫」と言ってしまった手前、
自分の気持ちを伝える機会を喪失してしまった。

話しかけたときに、すっと先に行ってしまっていること、
どんなに泣いても、背を向けたら気づいてもらえないこと、
分かっていたはずなのに、いざそうなったとき、
少しずつ積み重なってきたつらい気持ちを、
伝えることができないまま終わってしまった。

ひとつひとつはたいしたことなくても、
積もり積もるとだめなことは確かにある。

喧嘩でよくある、「嫌だったのなら、その時に言ってよ」は傲慢で、
互いに注意深く感じる必要があるのだ。

自分に軽く背を向けて、
笑いながら携帯の向こうの人と話すモウンに対して、
言い出せない気持ちを抱えているジヌも同じだ。

きこえる彼女と付き合うことで、どことなく後れを取ってしまう気持ちや、相手の遠慮や、お互いに聞こえていれば不要であった気遣いを感じて申し訳なく思ってしまうことがあることは、わかっていた。
だから人と「距離」を取ることが大切で、楽しいことは配慮のいらない、居心地のいいひととしてください、と突き放した経緯があるのだ。

背中を向けて、すこし離れて横になり、
モウンの独り言を、偶然ひろってしまったシーン。

あの「イライラするなぁ」は、モウンがこの状況を招いてしまった自身の情けなさ、手話や書き言葉では伝えきれないから話し出せない、自らの煮え切らなさに対しての言葉だと思うのに。
それにすら気づけないほど、ジヌもモウンに対しての、自分が聞こえれば当たり前にできること、気づけることを拾えないくやしさや疚しさがあったんだろうな。


ということで。15話まで見終わりましたが、
私は信じてる。私は信じているのだ。あと1時間ある。
韓ドラで1時間あれば、何もかもが変わる可能性だってあるのだ。
今夜の配信を楽しみに待ちたいと思います。

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