愛はもっと自由で軽くて、有限でいい。
おはようございます。
愛していると言ってくれ、最終話無事に見終わりました。
終わってしばらくは、「え…?」が頭の中にこだましていましたが、
なぜ「え?」になってしまったのか、考えてみました。
愛というと、なんだか御大層で、普遍で、限りなく、無私、
言葉のもつ柔らかさ、温かさ、あかるさを感じる一方、
「前者のようなものでなければならない」と縛られてしまいがちだなと思った。皮肉。
愛は恋の上位互換でもないし、愛の先に恋はないと思いがちだけど
愛した先で、独占欲(私だけを見てほしい/元カノのことなんてもう気にしないでほしい)や、私と同じように、あなたも私のことを見て、そして察してほしい、私の好きなあなたの中に、私と同じものが必ずあってほしいと思ってしまうことだってある。
「その先で」ではなく、その過程で、相手と自分との間の思いのバランスが傾いた時点で、簡単にバケモノになってしまう。
愛することにすべての理解は必要ないし、愛した先でもう一度私をきちんと知ってほしい、相手のことをきちんと理解したい、と愛の先にもう一度恋があってもいいと思う。
相手が同じように自分を愛してくれるわけでもないし、
相手がどんなに深く思ってくれていても、そのすべてに気づけるわけもない。お互い様だ。
そうなんだ。このくらいの気持ちでいいんだ。
だからこそきっと、ジヌも蒸し返すこともなく、もう一度関係をスタートすることができたんだ。あのラストで十分だったんだ、で、タイトルに戻る
と、ここまで二人にとっての「愛」はどうだったのかと考えましたが、
最終回、いろいろな愛をさらっと描いていてよかったですね。
この物語は人が人をおもう様子を全編丁寧にとらえていて、
見てる最中の心拍数、多分50台だったと思う。(一部除く)
ジョハンはすでにもう「愛」なんだよな…存在が…。
はぁー!もうマジで本当に幸せが怒涛のように訪れてほしい。
二周目見るなら、今度こそジョハンをジッと最初から凝視しちゃうね…。私は…!
ということで、愛していると言ってくれ、おしまいです。
3日間、お付き合いくださった方、どうもありがとうございました。
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