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零元

まずはのところでも述べたことを思い出そう。

操作Aのあと操作Bをするときの操作をA・Bあるいは単にABと書き、操作全体の集合Xに乗法が定義された。そして「何もしない」というのも一つの操作であると考え、これを△で書くことにすれば、△はこの乗法による単位元の働きをするのだった。さらに、操作Aについて、AA’=△となるような操作A’がある場合をAの右逆元、A’A=△となる操作A’をAの左逆元と呼び、右逆元でもあり左逆元でもある場合を、Aの逆元と呼んだ。また、逆元の存在するような操作を可逆元と呼んだ。一般にはXはこの乗法について単位的半群である。どんな操作もその逆元をXにもつのであればXは群である。(注意1)

(注意1:一般には、「操作」というのを「集合の元」という言葉に置き換えた形でこれらを定義する。ここでは日常的な状況をイメージするのが趣旨なので「操作」と呼んでいるが本質的には同じである。またその場合は、単位元を1で表すのが習慣となっている。)

さて、特別な操作Oがあって、どんな操作Aについても、
AO=OA=O
という性質を満たすとする。このような操作Oのことを零元(れいげん、ぜろげん)とよぶ。

それはどんな操作をしても結局操作Oを1回使ったらもう元に戻らない上に、操作Oに吸収されてしまうことを言っている。ちょっと怖い。

例えば、書道で白い半紙に筆に墨を付けて字を書くとしよう。あるところで一画うまく書けなかった。その部分を書き直したくても、墨のついた部分はもうごまかせない。上からなぞってもおかしいから結局”没”となる。書の一画を操作と思えば、この失敗した一画が零元にあたる。失敗の一画があれば結果は失敗となる。失敗の一画のあとに上からなぞるという操作をしても失敗であるという訳だ。

他の例としては、論理でいえば「PかつQ」という演算での零元は、真偽値が常に「偽」となる命題である。一方「PまたはQ」という演算での零元は、真偽値が常に「真」となる命題である。

零元は結局操作Oによって無になるようでもあるし、ブラックホールに飲み込まれるようなものであるが、もう少しポジティブな例にしてみよう。

例えば一度宝くじで莫大なお金が当選したら、もう働いて生活費を稼ぐ必要はない。頑張って働いてきたお金も、宝くじの当選によってこれからの人生はまさにゴールデンライフに。ああ、我が人生~。

これは、例えば単純にお金を整数値として、宝くじの当選金額はもう莫大すぎるので(本来は有限だが)∞とし、整数の集合Zに∞という値を付け加えた集合Z’とする。その上の加法を宝くじの当選金額∞については莫大すぎて
(働いたお金)+∞=∞+(働いたお金)=∞
ということである。したがって∞が零元となる。まさに、お金の量としては、働いても「焼け石に水」状態。(しかしそんな生活になったら人間もう引き返せないような。そういう意味で零元)

さて、零元Oがあればそれは一意的である。実際、2つの零元OとO’があるとしたらO=OO’=O’であるからOとO’は一致する。

また、零元はどんな元との積も零元にするのだから、当然零元にはその逆元は存在しない。ただし、それは零元と単位元は異なると仮定している。

零元と単位元が一致する場合は、1点集合{0}しかない。実際、零元0と単位元1が一致するので0=1であるから、任意の元xについて、
x=x・1=x・0=0
である。この1点集合{0}には乗法0・0=0が定義されていて、単位元は0であるからこれも単位的半群である。これを自明な単位的半群という。

単位的半群の中に、いつも零元があるとは限らない。例えば、自然数すべての集合における乗法について、その零元0は自然数の中には含まれない。そんな世界ならゼロにならないので安心できそうだ。

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