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寝湯と脳

疲れが溜まってくると必ず行きたくなるのが近所にある温泉です。時間帯は午前中がベストなのですが、夕方までの陽の出ている時間の方がなぜか有意義に感じるのは私だけでしょうか?

私が最近良く通っているのが、地元千葉幕張の海っぺりにある温泉で、広がる内房の凪とポツリポツリと浮かぶ波乗りたちを眺めながらゆったりとした時間を楽しめます。その中でも特にお気に入りなのが「寝湯」です。浸かるタイプではなく、浅いタイプが好ましく、仰向けになって空を眺めながら背中をお湯がチョロチョロと撫でてくれて、リラックスタイムを楽しむことができ、ついつい20〜30分は寝てしまいます。

その日は午前中にも関わらず結構賑わっており、寝湯も待ち状態で、ようやく順番が回ってきました。青空をボーッと眺めながら10数分、寝湯タイムに浸っていたときに、ふと「なんで背中ばかり温めるのだろう?」と思い、たまにはお腹側を温めてみようと腹ばいになってみた。が、あまり気持ちよくない。時間の問題かなとしばらく目をつぶり、腹側温めに没頭していました。

腹ばいでいつもと違う面を温めながらぼんやり考えていたのが「右脳と左脳」についてだ。表裏があれば左右もある、という発想。実は先日、大学院での構想発表の時に教授から「すーざんの今の状態は右脳と左脳が乖離しているよ」と指摘されたことがずっと気にかかっていたからだ。たしかにとってつけたような発表の締めだったなと反省をしたものの、右脳と左脳の役割を改めて考えるようになった良いきっかけをいただきました。

私の場合、10年前くらいから急に左脳が動き始めました。東日本大震災のあたりからで、それまではずっと右脳人間で生きてきたが、ここぞという時になかなか思いが伝わらず、そこを補完し始めたのがきっかけになったと考えられます。その詳細はまたいずれnoteで触れるとして、いまは右脳と左脳の自分なりの解釈を記してみます。
まず物事を直感的に右脳が受け止め、そこから達成すべき目的や理想をそのまま右脳がゴールやビジョンとして掲げていきます。そこへのロードマップや戦略を今度は左脳へとバトンタッチ。全貌が描けたら、最終的にシンプルに削ぎ落とし、感情的に右脳で人に伝える。そのプロセスにおいて右脳と左脳がとても気持ちよく「同期」している感じが「可能性」に変わる。そしてその同期がたまに「非同期」に変わる瞬間が「違和感」で、実はそこに本質が隠れているのではないかとも思っている。てな具合いです。

とかなんとか考えているうちにお腹が温まってきたので目を開けたら、まわりに寝ている人がひとりもいなくなっており、寝湯にうつ伏せのオジサンがちょっと気持ち悪かったのかもと思いながらも、次回は横にチャレンジしてみようと思います。隣の人はさぞかし嫌でしょうが。

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