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優しい芸人さん 私のお笑い遍歴 中編

前編の続き

全てが個人的な見解、思い出。

個人的第二次M-1ブーム

久しぶりにM-1の決勝で見たNON STYLEの漫才に衝撃を受ける。
この時芸人が東京よしもとに所属、いわゆる東京進出するというシステムを知る。

NON STYLEの石田さんのM-1への哲学に感銘を受け、インタビュー記事などを読み漁る。
「その年M-1への思いが1番強いやつが優勝する」という根性理論とも言えるような言葉が、当時の私にやけに刺さった。

この頃は学校の休み時間を利用してマンスリーよしもとやお笑いポポロを読むことに熱中した。クラスメイトのアイドルグループの話題には到底ついていけなかった。

baseよしもとに通いつつも、この頃から東京のよしもと芸人に興味を持つようになる。

よしもとオンラインの思い出

当時よしもとオンラインという、インターネットの配信番組があった。

毎日22時から深夜1時までの生放送で、一部と二部でパーソナリティとなる芸人が変わる。
パーソナリティの芸人が交代するときの2組の掛け合いが好きで、その時間になるギリギリまで粘って見ていた。

好んで見ていたのは火曜日一部担当のライセンスと日曜日一部のトータルテンボス、
そして1番の楽しみは金曜日、一部がオリエンタルラジオ二部がNON STYLEだった。
次の日が休みの金曜日は、眠い目を擦りながらよく深夜の1時まで見ていたのを思い出す。

よしもとオンラインをきっかけにライセンスにハマる。その後ライセンスファミリーというライセンスと親交のある若手芸人の存在を知り、彼らの出演しているヨシモト∞ホールのレギュラー公演AGE AGE LIVEを見始める。

AGE AGE LIVE全盛期

東京は渋谷のど真ん中にあるヨシモト∞ホール。そのレギュラー公演であるAGE AGE LIVEも毎日月曜日から金曜日までネット上で生配信されていた。
(ちなみにこの頃まだ一般人だったきゃりーぱみゅぱみゅも劇場の常連だった。私は当時彼女のアメーバブログを読んでいた。)

学校が終わると、配信開始の16時に間に合うよう真っ先に帰宅した。(学校から自宅まで1時間はかかるので、その帰宅スピードは異常…) 

AGE AGE LIVEはピラミッド形式に芸人がランク分けされており、月に一度入れ替え戦が行われる。
当時のトップメンバーの中には今もテレビなどで活躍しているパンサーや平成ノブシコブシ、ジャングルポケット、ピースに
今話題のM-1チャンピオン マジカルラブリーや若手の頃のチョコレートプラネット、エハラマサヒロなんかも出演していた。

もちろん当時の彼らはまだ無名の芸人で、中でもピースは芸歴も長く劇場番長として後輩芸人にも慕われていた。

その頃「レッドシアター」などバラエティですでに大ブレイクしていたはんにゃ、しずる、フルーツポンチも所属していたが多忙でスケジュールが合わず出演を見合わせていることが多かった。

しかしこのライブ、最初から最後までお客さんの投票(会場投票+オンライン投票)で芸人のランクが決まるため、テレビの売れっ子芸人にもかなりシビアな点数が付けられていたのを覚えている。

私が∞ホールを語る上で避けて通れないのが、アームストロングというコンビ。
当時はネタ番組にも度々出演していたので、私と同世代の人の中には知っている人もいると思う。
今だと、とにかく明るい安村の元コンビと言えば1番分かりやすいかもしれない。

アームストロングは世間一般的に見ると知名度はそこまで高くなかったかもしれないが、劇場には熱狂的なファンが多かった。
それこそチーモンチョーチューやパンサー、エリートヤンキー、グランジ、ミルククラウン、LLRなど、当時を知っている人なら彼らが一種のアイドル的な扱いを受けるほど人気があったことが分かるはず。

あの頃のファンは、今で言う"推しの芸人"に対して異常な執着を持っていたと思う。
実際にアイドル風グループを作るなど、芸人がアイドル視されるブームが当時の∞ホールにもあった。
とにかく舞台に出るだけで黄色い歓声が上がるという時代だった。

私はこの時アームストロングというコンビが大好きだった。どういった点かと言うと上手く言葉にできないが、とにかくあの2人にしか作れない空気感がとても好きだった。

コンビ解散の騒動のショックもあり、未だに当時のことを明るい気持ちで振り返ることができない。それくらい入れ込んでいたのと思う。

解散の理由は明るくないから言わない、
とはっきりブログに書いた安村さんのあの対応もとても潔くて好きだった。見えないところで彼らは彼らの葛藤があったのだろうな。

解散の時の周りの芸人の奮闘ぶりとか、とにかく思い出すと泣けてくるような良いエピソードがいっぱいある。ただ一つ言えるのは、あの頃の劇場のスタッフさん、後輩芸人、先輩芸人、そしてファンにもとっても愛されていたコンビだったといまだに思う。

前触れもなく(たまにフラグが立つが)
突如解散を迎える芸人が多いのがAGE AGE LIVE出身者というのもなんだかなぁ…
華やかな世界の裏にも人間ひとりひとりの哀しさが透けて見えた。
(私はピース又吉の「火花」を読んだ時、これらのことを想って泣いた。最近は犬の心が解散したことで一つの時代が終わったような気がしていた。)

ファンは勝手に自分の中にブームを作り、その陰りが見えるとすぐに興味は薄れる。
私はその後ヨシモト∞ホール追いかけることをやめ、お笑いへの興味は緩やかにスピードを緩めていった。

そして5upよしもとの時代、個人的なお笑いブームの終焉を迎えようとしていた。

追記:最終回を書こうとして色々と溜め込んでいたのですが、ブームには終焉が無いのです。
私は時系列もあやふやなこの思い出を記録として残しておこうと思ういます。
とにかく、アームストロング大好きだったよ。未だに好きだよ。藤崎マーケットも変わらず好きだよ。
優しい芸人さんというタイトルはそのまま。
私がガキの中学生の時から、直接お話しした芸人さんはみんな漏れなく優しかったのです。出待ち対応は冷たいよ、と噂の芸人さんも居たけれど、それはその時の事情があったんでしょう。皆忙しいし、尖ってたしね。
忙しすぎるかまいたちや、思わぬブレイク中の天竺鼠(瀬下さん)なんかも活躍していて本当に嬉しい。皆みんな売れてほしいし、幸せでいてほしいと一端のファンは思っています。
2022.2.23

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