【三国志】組織に欲しい人材!曹操が褒め称えた魏の名将「徐晃」の魅力

三国志は単なる歴史書というだけでなく、ゲームや漫画、小説、ドラマなどを始め、様々な作品として日本では広く知られています。

今から1800年以上も昔の話で、歴史的にも決して長くはありませんが、その数十年もの間には綺羅星のごとき漢たちのドラマや生き様が詰まっています。

そんな私も三国志の漢たちのドラマに魅了された一人。
高校生の時には、ゲーム「三国志Ⅸ パワーアップキッド」や「三国志Ⅹ」で人生を学んだと豪語したほどです。

さて、前置きが長くなりましたが、今回は三国志に登場する魏の名将「徐晃」の魅力を語りたいと思います。

徐晃ってどんな人物?

徐晃(ジョコウ、字は公明)は、中国後漢末期から三国時代に登場する武将。
・最初は元黄巾賊の楊奉(黄巾賊の一派、白波賊の頭目)に仕えていた。
・賊の討伐で功を立て、騎都尉(宮中の武官に与えられる官職)に任ぜられる。
・長安で李傕と郭汜が対立し、都は混乱。
・その時、徐晃は楊奉に献帝を連れて洛陽に戻ることを進言
・洛陽に到着後、楊奉と共に曹操に帰服する予定が、楊奉は曹操と対立。
・徐晃は曹操に降り、楊奉は袁術の下に落ち延びる。
・それ以後、曹操の下で活躍し、後に魏の五代将軍の一人とされる。
・徐晃の性格は「冷静沈着」、そして「慎重かつ大胆」。
・間者を使い、兵法に倣って守備の薄い拠点を攻める堅実派
常に敗戦時を考えて行動し、何度もピンチを救う
・慎重ながらも好機は逃さず、時には食事も取らずに追撃する。
・遠方から一気に突っ込む姿勢から故事成語「長駆直入」の由来となる。
樊城の戦いで関羽を破る
生涯通じて大敗のない無敗将軍
・最期は「葬儀は質素に頼む」と伝えて病死。

各戦いでの活躍・功績は割愛させて頂きました。

動機

私の中で徐晃は三国志で最も優れた最高の将軍です。
智、信、仁、勇、厳の全てを兼ね揃えた武将の鑑

曹操は徐晃の功績を孫武や司馬穰苴にも勝ると褒め称えました。
※孫武は兵法「孫子」、司馬穰苴は兵法「司馬法」の著者。

私は徐晃の功績はもちろんですが、その人柄や人格に惚れたのです。

もし、自分が人の上に立つ立場の身であれば、徐晃のような人がいればどんなに頼もしいだろうか。

どんなに功績を挙げても決して奢らない。
部下に親しく部下からの信頼も厚い。
そして、最後まで派閥を作らなかった。

そんな漢、徐公明の魅力を知ってもらいたいのです。
なぜなら、三国志は時代を超え、現代でも通ずるものがあるからです。

徐晃は三国志の中では、曹操軍(後に魏という国)に属する武将。
現代で例えると、会社の一社員。

組織に属する人であれば徐晃を模範にして欲しいです。

徐晃の集大成は誰もが知る武神「関羽」を破った樊城の戦い。
その樊城の戦いでは、親交があった関羽と戦うことになります。

樊城で絶体絶命の曹仁を救い、関羽を破る!

樊城は中国の荊州南郡に位置し、中原に基盤を敷く曹操にとっては守備の要。

荊州は中国の真ん中に位置する広大な土地です。

そのため、群雄割拠の時代から数多の勢力が狙っていた要地で、樊城の戦いにおいても荊州は魏・呉・蜀の三勢力がぶつかる境界線となっていました。

当時、北の樊城を魏の曹仁が守り、南の江陵から蜀の関羽が北上して樊城を包囲する形で戦いが始まります。そして、関羽が北上した背後を呉の呂蒙と陸遜が狙うという状態です。

樊城の戦いの情勢

・先の漢中の戦いで劉備は曹操を破り、漢中王を名乗る。
・関羽はその勝利に呼応し、疲弊した曹操軍を討つべく北上して樊城を狙う。
・曹操は関羽の北上を知ると、于禁・龐徳を派遣。
・長雨で漢水が氾濫、于禁らの軍が水没。
・于禁は関羽に投降、龐徳は関羽に斬られる。
・関羽は勢いに乗り、曹仁が守る樊城を包囲。
・曹仁、関羽の包囲と洪水で孤立無援となる。
・曹操、徐晃を援軍として送る。
・徐晃、軍が新兵のため関羽に勝てないと察知。
・徐晃、更なる援軍を待ちながら曹仁と連絡を取り合う。
・曹仁・満寵、樊城を耐え抜く。
・曹操、孫権と同盟を結び、孫権に劉備軍の江陵を攻めさせる。
・呉の呂蒙・陸遜が動く。
・関羽、若き天才軍師陸遜を侮り背後を気にせず攻め続ける。
・そのため江陵は守備が薄く、守将の寝返りで簡単に制圧される。
・徐晃の下に援軍が到着。徐晃攻めに転じる。
徐晃、関羽の包囲網を破る
・関羽、敗走の末、孫権軍に捕らえられ斬首。

ざっと要点をまとめると上記のような流れです。

徐晃と関羽、結果を分けた器量の差

樊城の戦いでは、徐晃の良い所と関羽の悪い所がハッキリと出ました。

誰もが恐れる武神「関羽」。
関羽の北上を聞いた時、曹操は遷都を考えたというほど。

武力は三国志トップクラスで学問にも通じる文武両道、そして義を重んじた関羽ですが、性格にとても大きな問題があります。

関羽は頑固で自尊心が高く、相手を見下す傲慢な性格でした。
気位が高く、自分を好む者には親しくし、そうでない者に対しては相手が誰であろうと反発します。

孫権の息子と関羽の娘の婚姻話があった際、関羽は独断で断った上に孫権を罵倒したというエピソードがあります。
三国志演義では、「虎(関羽)の娘を犬(孫権)の子にはやれぬ」と一喝。

そのような性格だった為に、呉や若い陸遜を侮ったり、部下を部下と思わない態度から江陵を守っていた守将(糜芳と傅士仁)を始め、荊州の多くの者が呉に投降しました。

逆に、徐晃は
・正面から切り込んでは関羽に勝てないと判断。
・偽の情報を流し、攻めると見せかけて油断した別の拠点を攻める。
・関羽も駆けつけるが、徐晃が打ち破る。
・曹操がわざわざ出迎えて勝利の祝宴を開いて労う。
・しかし、徐晃の軍は浮かれることなく持ち場を離れなかった。
・それを見て曹操はますます褒め称え、さらに徐晃を信頼した。

言うことは簡単ですが、どんな時も慎重で物事を冷静に判断することは簡単ではありません。曹操も足を運んで出迎えたくなります。

関羽、徐晃両者とも当時トップクラスの武将で、かつ、プライベートでも親交があった二人ですが、極対する性格や人格が結果に現れたと言えます。

そんな徐晃はかねてより以下のように言っていました。

「昔の人はよく明君に出会えぬことを嘆いたものだが、わしは幸運にもその明君にお会いする事ができた。だから、功績をあげてこの幸運に答えなければならぬ。個人の功名など何ほどのこともない」

全てを曹操に尽くした漢の中の漢。

日頃からの態度や振る舞いが土壇場に結果として現れるというのが樊城の戦いという歴史から学ぶことができます。

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諏訪亮祐

三国志の主役である曹操が切り拓いた三国志の世界や曹操の偉大なる実績をお届けしています。三国志は高校の時に没頭し、後の人生の大きな糧になりました。また、松井秀喜氏についてもまとめています。好きな作家はドストエフスキー

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