三国志の原点!後漢末期の時代背景

三国志は始めから「魏」「呉」「蜀」の3つの国があったわけではなく、中国の後漢末期から晋による三国統一までの時代を指します。
その為、三国志を知るには後漢末期から遡ってみる必要があります。

漢王朝について

後漢とは、万里の長城や始皇帝で知られる秦王朝に続く統一王朝、漢王朝にあたります。劉邦が垓下の戦いにて項羽を破って中国を統一し切り開いた漢王朝を前漢(ぜんかん)と呼ぶのに対し、光武帝で知られる劉秀によって再興された漢王朝を後漢(ごかん)と呼びます。

外戚が権力を振るう時代へ

光武帝によって統治された後漢ですが、後の皇帝たちは若くして皇帝になった為、代わりに政治を行ったのが外戚(がいせき)と呼ばれる人たちです。

外戚とは、皇后や妃の一族を表します。それまで無官だった者も一族の者が皇帝から寵愛を受けるとその親族ということで取り立てられ、権力を持つことができます。その権力を振るい軍の統率や政治を行うようになります。

前漢と後漢に分かれるのは、外戚の簒奪によって漢王朝が「新」という王朝になったからです。当然、奪い取った形なので反乱が起き、光武帝が平定します。

このように、外戚が実権を握ると身内での官位独占や専制が始まります。さらに、皇后は他の妃を排除するなどして一族の思うがままでした。これにはさすがの皇帝陛下も為す術ない状態に陥ります。

全てが宦官の思うがままに

そこで皇帝は宦官(かんがん)と協力し、外戚に対抗する計画を始めます。

宦官とは、皇帝の側近で、皇帝の身の回りの世話をする人たちです。権力を持つ外戚以上に皇帝に近い環境や後宮への出入りも可能なことから次第に発言力を強めていきます。

宦官は皇帝の勅を利用できる為、外戚以上に皇帝や朝廷を操ることが可能になり、宦官が実権を握り出した結果、汚職や賄賂が当然のようになります。

士人と党錮の禁

朝廷に仕える者の中には外戚や宦官の他にも士人(官僚)がいます。彼らは正式に試験に受かった生え抜きの官僚なので教養が高く、中でも儒教を学んで宦官に批判的な士人を清流派と呼び、対する宦官を濁流派と呼びました。

清流派士人は朝廷で宦官の悪態を告発するも、宦官が実権を握る政権では意味もなく、逆に弾圧されることになります。この事件を党錮の禁と呼びます。

後漢の衰退

これまで述べたように外戚と宦官による抗争によって国全体は混乱し、衰退を始めます。そして、搾取される民衆の生活は苦しくなるばかりか飢饉や天災も起こり、後に黄巾の乱と呼ばれる反乱が全国各地で一斉に蜂起します。

次回の内容

今回は、三国志を知るためにバックグラウンドとなる後漢末期についてまとめました。
次回は、三国志の英雄たちが各地で活躍し始める黄巾の乱を解説する前に、その英雄の一人である曹操について少し紹介します。曹操は他の英雄たちとは生い立ちが異なり、士人や宦官とも関わりのある重要人物の一人です。

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諏訪亮祐

三国志の主役である曹操が切り拓いた三国志の世界や曹操の偉大なる実績をお届けしています。三国志は高校の時に没頭し、後の人生の大きな糧になりました。また、松井秀喜氏についてもまとめています。好きな作家はドストエフスキー

三国志で人生学んだ

学生時代、私は三国志のゲームに夢中になっていました。振り返ってみると、三国志で学んだことは数多く、全ては三国志から学んだと言っても過言ではありません。成功した英雄、そうでない者、全ての人物から学ぶことがあった気がします。自分が読書を始めたのも三国志がきっかけです。ここでは、...
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