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バカが自殺未遂した時の話 ①

大前提として自殺を推奨する内容ではありません。むしろこれを読んで思い留まって欲しいと思っています。
当然ながらショッキングな内容ですが私としては黒歴史的な認知なのでかなりちょけて書きます。バカがバカなことしたんだなみたいな気持ちで読んでもらえると嬉しいです。


自殺未遂前日

当時私は仕事でミスって親にめちゃくちゃ怒られていたこと、精神疾患を抱えていてかなり追い詰められていました。本当に死ぬ以外に解決する方法がないと信じていました。あとは毛嫌いしていた父親に「そんなに死にたいなら早く死ね」と言われたことがあります。毛嫌いしていてほぼ無視していた状態でしたが曲がりなりにも血の繋がった肉親であると思っていたのかもしれません。父は既に亡くなりましたがいつか地獄で再会するであろうと踏んでいるのでその時にきっちり謝罪してもらおうと思います。絶対許さんからな。


そして当日

狂いに狂っていた私はありとあらゆる自殺方法を調べ行き着く先が電話相談の検索結果にブチギレながら模索していました。既に首吊りやODに何度か失敗していた私がたどり着いたのは投身でした。自宅がそこそこの高さがあり手軽でかつ敷地内なので他人に迷惑がかからず、帰ってきた父親がぺしゃんこで死んでいる私を見てショックを受けて死ぬほど後悔して欲しいという気持ちから選びました。天気がよくてなんだかこの世を去るには最高の日だと感じたのを覚えています。これで全てのしがらみから解放されるんだと久々に高揚しながら意気揚々と自宅の屋根からジャンプで飛び降りました。
痛みを感じる瞬間は覚えていなくて口の中が血でいっぱいになり手のひらと接していたコンクリートが濡れていく感覚がありました。やっと終わった。20点もつけられない人生。こんなの60年もやっていけるか。薄れいく意識の中そんなことを思っていました。


人間は意外と頑丈である

やっと終わった…と思っていましたが違いました。大丈夫ですかーと私に声をかける知らない女性の声、男女のざわざわする声、体をぎゅーっと圧迫される感覚、なんか見覚えのある景色。
当時摂食障害も患っていた私は体重が30キロ程度でしたがそれが高所から落下すると結構な音がするらしく後に聞いた話だと隣人がでかい音を聞きつけて見に行ったら…という感じで救急車を呼んでくれたそうです。なんか見覚えのある景色はよく未遂で失敗して担ぎ込まれていた急患の処置室(の手前の部屋)でした。バカなので途切れ途切れの意識の中まさかこのまま助かったりしないよねなんて考えていました。


かの有名なMGSVのワンシーン まさにこれ


次に覚えているのは知らない病室でした。体が動かない。頭の周りにごちゃごちゃ置いてある医療機器がなんかうるさい。2日間集中治療室で輸血と応急処置をされてなんとか意識を取り戻したようでした。憤慨していました。なぜ助けるのか。助けろと頼んだ記憶はない。こちとら死ぬためにそれこそ必死だったんだぞ。そんなことを叫んだりかろうじて動く右手で点滴やらなにやらを引っこ抜こうと暴れ回っていたので拘束され泣き叫ぶたびに鎮静剤みたいなのを点滴されて意識朦朧としながら「あぁ、死ぬの 失敗したんだ」という現実に打ちひしがれていました。


次の日

今すぐ全ての治療行為をやめて殺して欲しいと思っていましたがそんな願いも虚しく現在の病院では手の施しようがないのでそこそこ遠い大きい病院に救急車で移送されることになりました。知らぬ間になっていたようです。何か説明された記憶はありますがとにかく助けるのをやめろとキレ散らかしていたと思います。医者って大変なんだな…と思いました。助けた患者にキレられるなんて最悪だと思います。私だったらぶん殴ってボコボコにしてたと思います。殴られませんでした。ありがとう。


税金の恩恵をめちゃくちゃ受ける

ようやく冷静さを取り戻して落ち着いてきたところで2時間くらいかけて救急車で移送されながら「救急車ってお金かかるのかな、いくらくらい払わなきゃいけないんだろう。私もうバイトの貯金ないんだけど。なんか事故って死なないかな。」とか考えてました。すごいムキムキの救急隊員の人と共に2時間すごしました。なんで救急隊員やってるんですか?みたいなことを聞いた気がする。なんて言ってたか覚えてない。すみません。


次回  大学病院手術編