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YOSHIKIさんの寄付公表記事について思う日本人の寄付の在り方について…。

今回の台風19号により甚大な被害を受けた被災者支援のため、
YOSHIKIさんが自身の運営する米国非営利公益法人「YOSHIKIFOUNDATIONAMERICA」を通じ、日本赤十字社に対し1000万円を寄付したことを発表したことが記事で取り上げられていました。

以前よりボクの記事の中で何度かYOSHIKIさんには
寄付業界をぜひ盛り上げて頂き子どもたちのヒーローになって欲しいと書いていますので、このような活動はどんどん公表され
広く世間の注目を浴びるようになって欲しいと願っていますし
日本人が持つ寄付への在り方を変えて欲しいと思っています。

↓ コチラの記事
ウルトラマンは公務員……と寄付業界のヒーロー像の在り方のお話し。


さて今回の日刊スポーツ記事の中の一節に
日本人が持つ寄付への在り方が記載されていました。

「そうした慈善活動は隠れて行ってこそ
“美徳” だとする考えも一部にはあるが~」


日本人の心の中には慈善活動はコソコソやった方がいい
善行は人知れず行い公にするべきではない
…という風習がありそれが美徳とされているという記事。

この気持ちはボクも分からなくもありません。

自分がしてきたことを自慢のように語るのは、あまりよろしくないという考え方は標準的であるし、誰しも人の自慢話なんて聞きたくありません。


でも「寄付」をそれに置き換えた場合どうなの? 

…っていつも思うのです。

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寄付を公表することってそんな卑しいことなのかな?
人助けを自慢って捉えられるのはどうなのかな?


これらの行動は
むしろ堂々として良いことだし称えられるべきことだと思います。


神社などで鳥居や建物に「寄進」という文字を見たことありませんか?

「寄進」とは
寺院や神社などに土地や金銭、財物を寄付をする行為のことで
そこに住む住民や地方豪族たちがお金を寄付してその建物を建てた証です。
それにお金を出した者たちの名前を刻み
末代までその功績が刻まれていく仕組みになっています。

これは公にしてるのではないですか?

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もっと身近なことで言えば学校

「寄贈」という文字を学生時代に誰もが絶対に見たことあると思います。
卒業生が感謝の思いを込めて寄付するのが一般的ですが
体育用具とか学校旗、はたまたピアノまで
昭和○○卒業生一同のような文字見たことあると思います。

これも公にしてるのではないですか?

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「寄進」「寄贈」の際は末代まで名を残すくらい刻まれるのに
「寄付」は人知れずコソコソやることが美学なんて矛盾していませんか。

全くもって意味不明です。

本当に善行を公にしないことが美徳なら
「寄進」も「寄贈」も全部名前を伏せればいいじゃないですか。

一切公表しません!
…って伏せましょう。その方が公平ですし…。

ってそんな意地悪な事を言いたいわけではありません。

そもそも日本人は「公共」のために精神を投じるという文化は「寄進」や「寄贈」のように古くから備え持っている精神でその精神性は世界でも有数の国だと思っています。
民族的に昔から積極的に寄付を行う習慣があったにも関わらず
それがいつしか個人と社会との関わりが薄らいで来たことは
とても残念なことだと思います。


だからこそ被災地への寄付支援などは
支援者の石碑を建てて称えてもいいくらいだとも思っています。
それが寄付における在り方考え方を変えるキッカケになるのであれば
積極的に公表していくべきです。

石碑を建てるなんて時間とお金がかかるっていうんなら
市役所にでっかい張り紙でもして公表してもいいと思います。
公表の方法なんて何とでもなります。


そうすると「売名行為だ!」なんて騒ぎ立てる輩が必ず出てきますが
寄付で名前が売れて広告効果になるのならそれでもいいじゃないですか。

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結果、被災地にお金が集まるのならそれでいい。
目的は被災者にお金が集まることなのですから。


そして本当に寄付活動に広告効果があるのなら
大手企業がこぞって参入してめちゃくちゃお金が集まると思います。
でも現状そこまで集まらないということは、
そこまでの広告効果はないということではないでしょうか。
費用対効果としてたかが知れているんです。

もしくは「売名行為」と言われ企業やブランドイメージを下げたくない、損なわれたくないという参入障壁があるのかも知れません。
とにかく寄付におけるマイナスイメージはクソみたいな話です。

日本人の先入観が持つ
「アレはいいけど、コレはダメ」っていう線引きが本当わからない。
どこか感覚的で説得力がまるでありません。

なのでイメージがそうさせるなら
イメージを変えるしかないとも思います。


「寄付をすることはカッコイイ」 …って。

スポーツで活躍した人を報道するように
寄付活動で活躍した人を報道すればいい。

子どもたちが目指すべき目標になればいい。

そんなの無理~。
って思うかもしれませんがそれもイメージ。

スポーツ報道も当たり前に報道されているから
視聴者もそれが当たり前に見ているだけ。

寄付も報道することが当たり前になればそれがイメージになる
ようするに寄付に対するイメージの問題だと思うのです。


記事の中でYOSHIKIさんは下記のように語っています。


「僕らみたいな立場の人たちは、寄付のことをどんどん公開した方がいいんです。災害への認知度、そして支援の輪を広げるために。
アメリカに長く住んでいますが、ハリウッドでは普通のことです」と説明。
「みんなで支援の輪を広げよう!」と呼びかけた。



そう、コレ。

普通なわけ。

YOSHIKIさんにとって寄付は
歯磨きをするが如く、何も特別な事ではなく普通なのです。

金額だけ見れば一般人には真似できないような巨額の金額ですが
行為自体は誰にでもできる簡単なこと。

YOSHIKIさんはきっとそう思っていると思います。


自分にとって普通のことだし大々的に報道されなくてもいいけど
支援の輪を広げるためには公開した方がいいと言っているわけです。

たかが歯磨きした程度で「あいつ歯磨きしてるぜ~」って
騒がれたら「そんなことで騒ぐなよ~」って思ってしまいますよね。

でも多くの人が歯磨きをした方がいいって事を広めるためにも
YOSHIKIさんは「はみがきしました!」ということを公開しているのだと思います。

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寄付に対する日本人の在り方、考え方を変えるため
そして支援の輪を広げていくためにも
YOSHIKIさんの活動で日本人に少しでも精神的な変化が起これば良いなと思います。

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