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ボクの3.11

ボクにとっての3月11日は何も変わらない日常の日。

あの未曾有の大災害が多くの国民にとって
記憶に残る日であるのは間違いない。
だけどボクにとってはいつもの日常と変わらない。

それはボクにとって寄付を考えさせられるキッカケが影響していると思う。

8年前のボクはあの出来事を対岸の火事のように見ていた。
「悲惨だな」と思いながらもそれには何も手を付けず
何も行動せずいつもと変わらぬ日常があった。
心のどこかで他人事のように思えていたのだろう。

そんなボクが6年前のある出来事をキッカケに
考え方が180度変わってしまった。

娘の誕生である。

その時は嬉しいという感情を突き抜けて
ありとあらゆるものに感謝の気持ちが込み上げてきた。

出産に携わる方々はもちろん、それに至る過程もすべて。
決して一人では辿り着けない境地。
娘を無事授けて頂いた喜びだけではなく
ボク自身もこうやって生を受け、世に存在できていることに
今まで思いもしなかった感情が湧いて来たのを思い出す。

感謝の意を込め
社会に還元しようと寄付を始めたキッカケになった。

生命の灯が消えたことで寄付を始めたのではなく
生命の誕生から寄付を始めた。
失われる命よりも育まれる命の方がボクの心には響いたのだ。

動機は違えど生命の大切さを知るキッカケとして
ボクにとっては人生を変えうる大きな出来事のひとつになった。

寄付をキッカケに8年前には感じられなかった感情や衝動は
自分の中で大きく変化させることになったことは間違いない。

それこそ尋常ではないくらい変化したと思う。

3.11だからって何か特別な日ではなく
日常的に手を合わせることができるようになったし
不思議と精神的にゆとりと豊かさを得ることができた。


援助や寄付というと
物質的、経済的な支援という側面が強いが
寄付という行為によって
逆に与えられるものの大きさに今でも驚いている。


今では日常的に寄付というものに触れているが
今日はいつもの10倍寄付してみた。
10倍といっても元金が小さいのでたかが知れている。

ついでにコンビニの募金箱で小銭入れをカラッポにしてきた。
お掃除した気分で何だか新しい門出を迎えられそうな気がする。

いつもと変わらない日常と言っておきながら
8年前の出来事を深く意識した日なのかも知れない。


ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。