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心が病んでいると思った時は寄付をしてみる。

「見返りを求めず与える」

これって良く言われる基本的なことですけど
これがなかなかに難しい。

それは現代が
「~したから~が得られる」という
環境や関係が習慣的に染み込んでいるからでしょう。

それ以外の選択肢や行動がなかなか思いつかないからと言えます。

「見返りを求めない行動」
そう思わないようにしても
なんだかんだ期待しちゃうものです。


私達は
時間という対価を払ってお給料を得ていますし
それで得たお金で自らの望む
物品やサービスという対価を得ています。

それが資本主義の本質であるかのような方程式
教育の中で育ってきたからしょうがない気もします。

ですから
「見返りを求めず与える」
という行為に違和感や抵抗を感じやすいのだと思います。

でもそれを訓練ができる方法があります。

「寄付」

寄付は「見返りを求めない」練習として最適。


寄付で見返りを求める人はほとんどいないのではないでしょうか。
だからめちゃくちゃ訓練になります。

でも、訓練したらどうなるのかって話。
「見返りを求めない」ようになるとどうなるのさ。
そこが気になりますよね。



この訓練を繰り返し行い常連化してくると不思議と、
「運」が舞い込んでくるようになるので本当に不思議です。

これ本当に不思議。

とっても大事なので2回言いましたよ。

でも…なんの科学的根拠もありませんので
興味のない方は是非とも全力でスルーしちゃってください。

科学的根拠はありませんが、
統計的には「そう思う」「運が良くなった」と答えた人の割合がとても多いのはとても非科学的です。

逆説的になりますが
寄付をすることで「見返り」を求めない習慣がつき
この精神状態の変化が見返りの行動になったとは言えないでしょうか。


潜在意識的にも自分は寄付が「できない」とか、
しない」と思うことは
自分には余裕がない
他人に構ってられない
というネガティブな思考が働いてしまうので良くありません。

寄付をしないことがネガティブなのではなく
「寄付をしない」「できない」という言い訳を思考することが
潜在意識的に良くないということです。


反対に「寄付できるよ」と余裕を持つ訓練をしておくことで
いつの間にかポジティブな現象が起きている人の割合が多いのは決して偶然ではありません。

この現象をから見えることは、

寄付は「自己肯定感」を高める最も最良の方法であり
自分の潜在能力を引き出してくれるもの

と言えるのではないでしょうか。

「寄付」をすることによる見返りを求めない訓練が
自己肯定感を上げる訓練に繋がっていたということ。

これぞ
「与えることによって与えられる世の中」の証明ではないでしょうか。



多くの人は
余裕がないから寄付をしないとか
余裕ができれば寄付をしようと思う人は多いはず。

…でも余裕なんていつまでたっても生まれません。

欲望とは無限に広がるので自分の収入が増えれば
増えた分だけ今では想像できない欲望が増えていき
結局余裕なんて一生できるわけないのです。


寄付をする金額の大小ではなく
寄付をするという行為を続けて
自己肯定力を上げてみる。

自己肯定力が向上してくれば
見返りのないことに迷ったり腹を立てたり
精神を乱されるようなことも少なくなってくるのではないでしょうか。

最近の精神病が多いのは実は
この自己肯定力の低下にあるのではないかと思っています。

肯定力といっても、わがままや自己中心的という意味でなく
心の余裕という意味の肯定力です。

心の余裕がないなぁって感じたり
自己肯定力が足りないなぁって感じた時は
寄付をしてみることをおすすめします。


寄付をするということは誰かを助けることだけではなく
実は何らかのかたちで自分に帰ってきているものです。

見えないものを扱い味方にするには
見えないものを大切に扱うことと同じだと思います。


ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。