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雨の運動会は親のため?先生のため?誰のためやねん。

先週の土曜日に娘の小学校の運動会があり

怪しい天候でしたけど開催されました。
しかし正午前の激しい降雨により中断
そして一部の競技は順延となったのです。


その延期分が翌週の水曜日に行われ今年の運動会は全プログラムが終了となりました。

土曜日の開催日には参加できましたが延期された予備日は平日だったので
会社員のボクは参加できず、カミさんも仕事でどうしても抜けれず
両親とも我が子の全競技を見届けることができませんでした。

ボクらだけでなく平日の親御さんの参加はかなり少ないみたいですね。
共働きの家庭では仕方のないことなのかも知れません。

そこで雨の運動会でよく議論されるのが…

小学校側はなぜ延期になった運動会を平日にするのか?

運動会中止あるあるです。

まぁ学校の先生も日曜日は休みたいだろうから
平日にしたい気持ちはわからんでもないです。

だけど親御さんを呼ぶのであれば参加しやすい曜日を設定するべき。

という積年の課題とも言えるこの論争。

まぁまぁ
お互いにいろんな諸事情があるんでしょうけど。

ボクは親として初めてこの永遠の論争の当事者になったわけですが
率直な感想を言えば

どっちでもいいけど
なんでこの対立の図式が「先生対親」なん?

なんで_ロゴ_fixed-1-1

ってこと。


いやいや

子ども目線で考えなあかんでしょ。
って言うのが素直な意見です。

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「何の為に練習してきたのか?」

延期や中止になって一番悲しいのは子供たちですよ。
これまで一生懸命に練習してきた成果をお父さんやお母さんに見せたい!
と強く願うのであれば親御さんの参加しやすい日時を選ぶべきだと思う。

反対に
学校側の中止や延期の理由が
子ども中心に考えられているのであればボクは全然構いません。

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雨で滑ってケガ人が出るのを防ぐ
天候不良はケガの発生率が上がるからとか

雨の中では風邪をひく生徒が出たり
体調を崩すと学習に影響がでるためとか

子ども中心に考えられた中止の理由を公開すればいいんですよ。
(そういうことをしている学校もあるかも知れませんが)

なんかその不透明さが子供中心じゃなく
学校や先生方の都合って感じがするんですよね。

だから論争が起きるんじゃないかな。


学校側も中止や延期の判断基準も難しいと思います。

我が子の勇姿を観たいワガママな親御さんからすると

「あのくらいの雨ならできるだろ」
「他の学校は決行してる」

のような判断基準のない決断に迫られる学校側はかわいそうだと思います

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場合によっては理不尽な言い分も受けていることでしょう。
先生方には同情するくらいツライ決断だと思います。

そういう側面から見ても
子ども中心で考えた結果「こういう結果です」
ってはっきり言ってやったらいいんです。

そしたら理不尽な親もちょっとは納得するかも…?

まぁそんな常識を超えたところに思考があるから理不尽三昧なんでしょうけど。少なからず納得する親御さんたちはいると思います。


そもそも親も、先生も、学校側も
すべての人に都合のいい中止の理由なんて存在しないんだから
一番納得のいく選択をするべきす。


その選択こそ「子ども」中心に置くってことなんじゃないですかね。

そもそもだけど「運動会ってなんのため」にするのかって話だと思います。
学習の一環から見ると
「個人の成長を披露する場」
「仲間と協力して成果を出す」ことが主な主旨になるでしょう。

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運動会を通じて育まれる力が実現できない運動会なら中止すればいい。

逆に雨でも「運動会の意義」が感じられればボクは強制決行してもいいと思います。学習の本質がどこにあるかってことですよ。

それが「運動会」じゃないですかね。

つづく。

ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。